例年正月には現代の日本の小説を読むことが多いのですが、

今年は戦後の長崎に生まれて英語で小説を書き、

ノーベル賞を受賞したあの作家、

カズオ・イシグロの小説を読みました。

『日の名残り』にするつもりで本も買っていたのですが、

 

 

今年映画が公開されるという

A Pale View of Hills『遠い山並みの光』にしました。


英語など外国語の小説を読んでみようとすると、

いちいち単語を引くのが面倒で挫折してしまったりします。

でも、易しい英語に書き換えた本など読みたくないわい、

という人は児童文学を読むという手もありますが、

ハリー・ポッターシリーズなどはヴォリュームもあって、

大人向きの小説を読むのとあまりちがわないと思います。
 

また、よく言われるのは、

英語を母国語としない国出身の作家の英語は読みやすい、

というものです。

ポーランド生まれのジョゼフ・コンラッドが書いた

A Heart of Darkness『闇の奥』は

それほど苦労せず一日で読めた記憶があります。


カズオ・イシグロのA Pale View of Hillsほど

この説が当てはまる小説はないでしょう。

本文が印刷されている173頁中

辞書をひいてみるつもりでアンダーラインを引いた

単語の数を数えると33でした。

最後まで英語の本を読んでいけるひとつの目安は

1頁中に分からない単語が10個以下ぐらいだとすると、

1ページ平均0.19個は驚異的ですね。

それでいて内容は大人向けで、

久々に小説を読んで、

じわっと感じるものがありました。

*以下ストーリーを紹介するので、

以下ネタバレを嫌う方はまでとんで下さい。
 

語り手である悦子は最初の夫二郎

との間にもうけた景子と、

イギリス人の夫との間にできた

ニキという二人の娘がいたが、

景子は自殺してしまう。

ゆくりなくも悦子は万里子という幼い娘と

暮らしていた佐知子と過ごした

はるか昔のひと夏を思い出す。

佐知子はアメリカ人の恋人フランクと渡米することを夢みていた。

フランクは渡した金を飲んでしまうような男だったのだが。

実家にもどってきたニキと過ごす数日間を枠とした、

戦後ようやく落ち着きを取り戻しつつあった

長崎の物語である。

10歳ほどの万里子は大人の目からすると、

わがままでかなり強情なところもあり、

学校にも通わず、

気に入らないことがあると

ふいといなくなったりします。

母親の佐知子は放っておけば戻ってくる、

などといってかなり放任主義です。

 

良家の出身でプライドが高く、

フランクとの新生活で一発逆転することに固執し、

万里子にはネグレクト気味です。

 

母親に頼れず、フランクを豚とののしり、

猫を可愛がることにだけ慰めを見出している万里子は

とてもよく描かれていると思います。

 

夫の二郎はほぼ仕事一途というだけの人物ですが、

その父親緒方さん―義理の父を悦子はそう呼んでいます―

の方がよく描かれています。

一見人の好い、退職した高校の校長ではあるのですが、

かつて軍国主義教育を行っていたことにまるで反省がなく、

雑誌で批判されても

その批判を理解することもできません。

 

ごく平凡に見える日常会話から

それぞれの人物像と人間関係が

うまく浮かび上がって来ます。

人間の描き方がたいへん巧みだと思いました。
 

第二部の最初で悦子、佐知子、万里子の3人は

長崎が見渡せる稲佐山へ遊びに行きます。

感じの悪い金持ちの少年を万里子がやっつける

という一幕もありますが、

あまり余裕のない毎日を送っていた女たちが、

ごくささやかな贅沢をして楽しむというエピソードが

とても切ないものに感じられました。

小説の最後で、

ニキに与えるカレンダーという形でこのエピソードは回帰します。
 

一方、佐知子のアメリカ行きは成功したのか、

なぜ安定した二郎との結婚生活を棄て

悦子はイギリス人と再婚したのか、

など語られていない部分がたくさん残っています。

このあたり純文学ですね。

映画は広瀬すずさんが悦子、

二階堂ふみさんが佐知子を演じられたそうです。

監督・脚本は石川慶氏。 

石川氏は『蜜蜂と遠雷』、『Arkアーク』、『ある男』を

監督された方だとか。

3作ともよく出来ていました。

『遠い山なみの光』は

どういった感じに仕上がっているんでしょうか。

興味津々です。

映画を見てから本を読む派の人もあると思いますが、

今のうち原作を読んで、

原作はたしかに傑作だね~と

一歩先を行ってる感をだすのも

よろしいのではないでしょうか。

 

<おまけ>
タイトルはどこからとられたのでしょうか?

関連のありそうな文章を引用しておきます。


On clearer days, I could see

 far beyond the opposite bank of the river, 

a pale outline of hills visible against the clouds.

 It was not unpleasant view, 

and on occasions it brought me a rare sense of relief 

from the emptiness of those long afternoons

 I spent in that apartment.

(A Pale View of Hills, Vintage Books, 1982 p.99)
 

<翻訳>

晴れている日には、

川の向こう岸の木立よりもっと遠くに、

雲を背にしたほの白い山々の形が見えた。

なかなか美しい眺めで、

時にはそうしていると、

めずらしくアパート暮らしの

うつろな午後の長さも忘れて、

ほっとすることもあった。

(小野寺健訳『遠い山なみのひかり』ハヤカワepi文庫、2017年、140ページ)