朝日新聞の土曜日朝刊には

読書特集が組まれていますが、

年末ということで、

今朝(12月28日)は通常の書評はなくて、

「書評委員の今年の三点」が2ページを占めていました。

そこで,

誰からも頼まれていない、

haricot rougeが今年の3点を発表します。

①キリスト教の本質 

「不在の神」はいかにして生まれたか
加藤隆 NHK出版新書
②近代美学入門
井奥葉子 ちくま新書 
③言語の本質
今井むつみ 秋田喜美 中公新書

最近毎日何かamazonで注文しているので、

ピンポンの響きは荷物の到着とばかりドアを開けると、

二人組のおばさんからなる

キリスト教の伝道部隊でした(たしかエホバの証人)。

聖書をタダであげると言われましたが、

間に合ってます。

文語訳聖書に、

31年ぶりの翻訳として話題になった聖書協会共同訳、

英語なら欽定訳聖書も持っています。

フランス語版ならもらってもいいですが。

読んだかって?

中2の時一ヶ月かけて読みました。

その聖書は1700ページくらいだったので、

一日50ページ以上とノルマを決めて読んだんですね。

別に信仰の道を求めたわけではなく、

何かに、西洋の文化を理解するには

聖書、ギリシア・ローマ神話、中世の騎士道物語を

知らないとダメだと書いてあったので、

読んだまでのこと。

haricot rougeは根っからの

教養主義者であり無神論者なのです。

世界中で何十億という人間が

キリスト教やイスラム教を信じているというのが不思議です。

そんなharicot rougeにとっては

①はたいへんに納得のいく、

溜飲の下がる一冊でした。

キリスト教の母体ともいうべき

ユダヤ教の長い歴史をベースにした本書は

一般教養書としてもよく出来ています。

信仰心のある人にもない人にも薦められます。

以下、目から鱗が落ちる感じを受けた文章を引用しておきます。

ユダヤ教は、預言者を、

前四世紀後半あたりで見限っている。

考えてみれば、神は神なのだから、

預言者のような者を必要とするのはおかしい、

ということになる。

神自身が現れれば済むことである。

預言者だと称して、

支配者的に振る舞おうとする者は、

神が不在であることをいいことにして、

神をダシにして、

自分に都合のいい立場を主張する者

かもしれないと考えるべきである。

(pp.130-131)

 「敬虔」とは、

「分かっていないけれど、

形だけきちんとやっている」という意味である。

(p.142)

かつては高山宏の本をよく読んでいたので、

崇高美学やピクチャレスク、

といった言葉は知っていたし、

エドマンド・バークの『崇高と美の起源』や

カントの『判断力批判』も読みました。

それでも今ひとつよく分からないなあという感じでした。

②を読んでかなり整理がついたように思います。

単に美学の歴史をたどるのではなく、

根本的に重要な問題が扱われています。

美は美しい「もの」にあるのか、

それを見て美を感じた「人」にあるのか。

古代ギリシアと現代の芸術に違いはあるのか。

自然と芸術の「美」の関係は?

かなり以前にエチエンヌ・スリオの『美学入門』

なんていう本も読みましたが、

何も覚えていません。

大学の先生が一通りのことを教えるとしたら

こんなもんかな、というかんじだったかな。

それほど類書を読んでいるわけではないですが、

おそらく、美学、そして一般に美というものに

関心を持っているなら、

②が今一番いい本だと思います。

オノマトペを言語の起源と結びつけるだけなら、

誰でも思いつけそうですが、

③は「言語と身体性」と「アブダクション推論」などで

さらに理論は展開させていきます。

いつか読もうと思って後回しにしていた、

ルソーやヘルダーの言語起源論には

どんなことがかいてあったのか、

ちょっと気になりました。

以上三冊ともかなり内容を忘れてしまっている

ということに気がつきました。

もう一度読み返すといいけれど、

 

 

 

 

ほかにも読みたい本が多いし。

悩まし~い。

 

*カバーの絵はヴィジェ=ルブランの『アレクサンドル1世の守護天使』

(②のp.107参照)