*以下は揖斐高訳注『頼山陽詩集』

岩波文庫 2024年pp.94~103よりの

 

 

抜粋に基づいています。

日本人で初めてナポレオンについての詩を

書いた人はだれでしょう?
こんなクイズが出されたら、

11月19日のブログ

『ナポレオンの偽回想録~ボワーニュ伯爵夫人の回想録より 4(下)』を

読んだあなたなら楽勝ですね。
答えは、もちろん、頼山陽です。
題して『仏郎王の歌』。

              (一)
仏郎王
王の起こるは何処ぞ 大西洋

フランス王
王が身を起こしたのは

どこかといえばそれは大西洋である。
ナポレオンは地中海に浮かぶ

コルシカ島の出身のはずだが、と思うと

この「大西洋」は西の大きな海という意味で、

現代の地理上の大西洋ではないらしい。

(二句略)

欧邏(おうら)を蚕食(さんしょく)して

東に疆(さかい)を拓(ひら)き
誓ひて崑崙(こんろん)を以て中央と為さんとす

王はヨーロッパを侵食して東に国境を広げ、
世界の中心である崑崙山を領土の中心にしようとした。
崑崙は世界の中央にあるとされる、神話上の山。

それを中央にするというのは全世界を支配する、ということ。

崑崙山脈といえば中国西部の大山脈。

こういった言葉が出て来るところがいかにも漢詩人だ。

このあと、戦争の様子が描かれる。
「国内の浮浪者たちを集めて軍隊を編成すると、

兵士たちは妻子がいないので

勇猛果敢な武威を発揮した。

彼らが手にした武器は、

棒を縮めると銃になり、延ばすとになり、

銃が退くと鎗が進んで、互いに突き合って戦った」
頼山陽の空想だろうか?妙な武器である。

向かう所 前なく 血玄黄(げんこう)たり
独り鄂羅(がくら)有りて相ひ頡頏(きっこう)す

王の軍隊が向かうところ遮るものはなく、
激戦の血が夥しく流されたが、

ただロシアだけが対抗した。
鄂羅はロシアのこと。

トラファルガーの海戦で

イギリスが大勝したことは忘れられているが。

        (二)
ロシアは懐に剣を忍ばせた刺客を遣わした。
フランス王はそれを知って

わざと刺客と立ち回りを演じた。

能く刺さば我を刺せ 亡ぼすこと能はず
汝が主 何ぞ旗鼓(きこ)もて当たらざる

「刺せるものなら私を刺せ。

私を刺してもフランスを亡ぼすことはできないぞ。
お前の主は、

どうして戦いで決着しようとしないのか」と言い放った。
英雄らしさを強調したくて

作り話を持ち込んだのかな。

客を遣りて即ち発す 陣堂々たり
絨旗(じゅうき)天を蔽ひて日に茫(ぼう)無し
五戰 国に及び 我が武揚がり
鄂羅は魚の釜湯(ふとう)に泣くが如し

王は刺客を放免し、

ただちに堂々たる陣容で出発した。
軍旗は天を覆い、

日の光も翳るほどであった。
五たび戦って、ロシアの首都に迫り、

フランス軍の意気は揚がり、
ロシアは釜で煮られて泣いている魚のように

絶体絶命の窮地に陥った。
絨旗は軍旗。

茫は光芒。太陽の輝き。
「魚の釜湯に泣くが如し」というのは『後漢書』に
「魚の釜中に遊びて須臾の間に喘息する

(あっという間に息が詰まる)が若(ごと)きのみ」

という句に由来するらしい。

ロシアも形無しである。

何ぞ料(はか)らんや 大雪 平地に一丈強ならんとは
王の馬八千 凍え且つ僵(たお)る
運路梗塞して望む可(べ)からず
馬肉方寸 日(ひび)に糧(かて)に充(あ)つ

ところが、あに図らんや、

冬にはいるとロシアでは平地に深さ一丈余りも大雪が積もり、
王の八千頭の軍馬は凍え死んでしまった。
輸送路もふさがって絶望的な状態になり、
僅かな馬肉が日々の食糧に充てられた。

王曰わく 「天は仏郎を右(たす)けず
我 吾が衆を活かさば 降るも何ぞ妨げん」と
単騎 敵に降れば 敵敢へて 戕(そこな)はず
之を阿墨(あぼく)に放ちて君臣慶ず

王はいった、「天はフランスを助けてくれない。
私は多くの兵士を生かすためには、降伏もいとはない」。
かくして王がただ一人で敵に降伏すると、
敵も敢えて王を殺害することはせず、
アメリカに追放して、

ロシアは君臣ともに慶びあった。

形勢がまずいと見てとると、ナポレオンは、

単騎ではないが、コランクールを供に

こっそりフランスへ帰国した。

全軍を見捨てたわけである。

フランス脱出に失敗したルイ16世とは違って、

敵中約2500キロの脱出に成功したのは

みごとではあるが。

あまり留守が長くなると、

オーストリアのような外国勢力だけではなく、

国内でクーデターが起こる可能性もあっただろう。

権力を維持するには確かに賢明な策だったろう。

ワーテルローで降伏し、

セントヘレナ島へ流されたことと混同しているのだろう、

というのが揖斐氏の説である。      

 

 

(続く)