セリフのない映画を2本見ました。

といってもサイレント映画ではありません。

サイレント映画ではたしかに声は聞こえませんが、

俳優は何か必死にしゃべっていてりして、

文字だけの頁が現れます。

そう、ショットがどうとか論じようのない、

本の一頁のようなもの。
 

今日見たのは

『ゴンドラ』と

『ロボット ドリームズ』です。
 

『ゴンドラ』はジョージアの小さな村にある

古ぼけたゴンドラ(ロープウェイ)が舞台です。

ゴンドラの乗務員として働き出したイヴァと、

先輩乗務員のニノ。

駅長のオヤジはかわいくないけど、

二人はアイデアの限りをつくしてゴンドラで遊びます。

プロペラをつければ、飛行機ゴンドラ、

ジェットエンジンから火を噴けばロケット・ゴンドラ、

地上と空中のゴンドラで音楽会、

ゴンドラに車椅子を吊り下げて車椅子の男を狂喜させる…
 

『ロボット ドリームズ』は

スペイン・フランス合作のアニメですが、

1980年代のニューヨークが舞台なので

アメリカ映画かと思いました。

原作はサラ・バロンというアメリカの作家の

グラフィック・ノベルだそうです。

孤独なドッグ

(犬のキャラクターです、動物たちが住んでいるニューヨークなので)は

注文して自分で組み立てたロボットと

友情を育んでゆくが、離れ離れになってしまう…、

というちょっと切ないお話。

両作ともセリフなしでもよく分かりました、

というか、へたにセリフが入ると

妙な具合になりそうなくらいの感じでした。

文学は言葉だけで映像はありません。

逆に映画は映像が必須で、

言葉なしでも成立するわけです。

マルグリット・デュラスは、

あくまで自分は文学の側に立つといっていた、

と思うのですが、

たしかに文学と映画を対立的に捉えることは充分理由があります。

サリンジャーは

自作を映画化したものの出来に納得がゆかず、

作品の映像化は断固拒否したそうです。

『ライ麦畑の反逆児』という

サリンジャーの伝記映画もあるそうですが(未見)、

まあ伝記映画は拒否しようがなかったか…

『ライ麦畑で出会ったら』という映画は、

『ライ麦畑でつかまえて』を舞台化しようと

台本を書き上げた高校生が、

許可を求めて隠遁生活を送るサリンジャーに会いに行く、

というストーリーでした。

青春映画の佳作です。

サリンジャー役はクリス・クーパーという人で、

シブい演技は悪くなかったけど、

というかそのせいか、

サリンジャーじゃないよな、と思ってしまいました。

話がだいぶずれてきましたが、

かつて文学とむつみあっているような

タイプの映画がありました。

「文芸映画」です。

文学という高級な芸術の余光の中で

映画も芸術世界の一員であろうとしていたのでしょうか。

文学の威光が薄れてきたのが、

文芸映画が廃れた理由の一つかもしれません。
 

一方で文芸映画らしさもありながら、

映画ならではの映像の美しさに

魅了される作品を先日見ました。

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の

『エフィ・ブリースト』です
原作は19世紀ドイツの作家フォンターネの小説です。

原題はFontane Effi Briest

フォンターネの名前を冠したものになっています。

20歳も年上のインシュテッテン男爵と結婚した

エフィは息の詰まるような暮らしの中で

ひとときの過ちを犯してしまう…といったストーリーです。

最近の映画では少なくなったモノローグが用いられ、

ときどきサイレント映画のように文字だけの頁が出てきます。

言葉を重視した、というか意識させるつくりです。

フォンターネの小説を読んだことはありませんが、

長編小説を読んでいる気分をちょっと味わえました。

きっとファスビンダーも

フォンターネの小説が好きなんでしょう。

ファスビンダーの力量が感じられる、

 

 

とても美しい映画なので、是非一度ご覧になって下さい。