ショパンのエチュード(練習曲)とプレリュード(前奏曲)では
どちらがお好きですか?
昨日、ショパン全集
(The Real Chopin, NIFCCD 000-020, 2010,
The Fryderyk Chopin Institute)から
『⒓の練習曲 Op.10』と 『⒓の練習曲 Op.25』が収まったCDと、
『24の前奏曲Op.24』のCDを
久しぶりに聴いてみました。
―ショパンを聞き込んでいる人からは怒られそうですが、
ワルツやポロネーズほど特徴的なリズムがないので、
正直なところよく区別がつきません。
練習曲はタチアナ・シェバノヴァ、
『前奏曲』はウォ***・スイタラWojciech Switala(読めない!)
というなじみのないピアニストの演奏ですが、
それぞれ1848年と1849年のエラールが
使われているのがポイントです。
ピリオド楽器に興味のある人にはお薦めの全集です。
リストには
泣く子も黙る『超絶技巧練習曲A172』がありますが,
『12の前奏曲集』はありません。
でももしかしたら『12の前奏曲』が生まれていたかも、というお話です。
1837年10月27日、
マリー・ダグは日記にこう書きました。
「この日はくまなく晴れ渡っていて、
フランツは⒓の前奏曲を仕上げたところだ。
これは独創的な作品群を
堂々と開始する立派な作品である。」
(拙訳『巡礼の年』p.147)
リストに『⒓の前奏曲』という作品はないのですが、
私はこれは後に『超絶技巧練習曲A172』となる曲集だと思います。
成立過程を
福田弥著『リスト』(音楽之友社2005年183~184頁)をもとに整理すると
『すべての長短調における48の練習曲 A8』(実際は⒓曲)1826年出版
↓1830年代後半に大改訂
『24の大練習曲 A39』(実際は⒓曲) 1838年出版
↓さらに改訂
『超絶技巧練習曲A172』1852年出版(結局⒓曲)
マリーの言っている『⒓の前奏曲』は
『24の大練習曲 A39』のことであろうというのが私の説です。
福田弥氏は1839年完成としていますが、
セルジュ・ギュートSerge GutのLiszt(L'Age d''Homme, 1989, p.289)では
『24の大練習曲 A39』を1837年版としています。
楽譜が紛失したとか、
マリーダグーが「練習曲」を「前奏曲」と勘違いしたとか、
思われる人もあるでしょう。
しかし、楽譜紛失という大事件があれば
必ずマリーは日記に書いているはずですが、
そのような記述はありません。
勘違い説を否定する材料ととしては
リストとマリー・ダグーによる旅行記
『音楽バシュリエの書簡集』(第Ⅷ書簡)に描かれた
スカラ座の一件があります。
当時コンサートでよく演奏されたのは
オペラで人気のメロディーを
ピアノ用に編曲したものでしたが、
その夜リストは
偏愛するわが最新作のうち一曲を聴衆に披露しようとして、
あやうく小さな成功を危険にさらすところだった。
それはプレリュード=エチュード(studio)で、
僕の考えでは実に見事なものなんだが。
まず、このstudio[エチュード]という語が
そっぽを向かせた。
「Vengo al teatro, per divertir me,
e non per studiare
[私は劇場へ楽しみに来たんだ。
勉強するためじゃない。]」
と平土間のある紳士が叫んだが、
それはこのときの恐るべき多数派の
気持ちを代弁していた。
確かに僕は自室以外の場所で
「練習曲(エチユード)」を演奏するという
突飛な考えを聴衆に理解させるのは成功しなかった。
一見、練習曲の目的は関節をほぐし、
十本の指を柔らかくすることに違いないのだから。
だから最後まで聴いてくれた
聴衆の辛抱強さは特別な好意の証拠だと思った。
楽曲解説などを通じて、
練習曲はもともと練習のための曲なので、
コンサートで練習曲を弾こうとすると怒った客がいた、
という雑学的エピソードをご存じの方もあるでしょうが、
元ネタは『音楽バシュリエの書簡集』だったんですね。
でもやはり原典に戻ることが肝要です。
リストは「プレリュード=エチュード」
と言ったんです。
原文はun prélude-étude(studio)となっています。
ハイフンがくせ者ですが、unという不定冠詞がついているので、
前奏曲と練習曲2曲ではなく、1曲演奏したのだと思います。
(たぶんイタリア語で、prelùdio-stùdioと
言ったと思いますが。)
このコンサートは
1837年12月10日のことでした。
マリーが「⒓の前奏曲」完成、と書いた日から
一月半ぐらい後です。
私が思うに,リストは迷っていたんじゃないでしょうか。
タイトルを「練習曲」とするか「前奏曲」とするか。
二つのジャンルに絶対的な違いはない、
というのがリストの実感だったのではないでしょうか。
1837年末の時点では「12の前奏曲」というタイトルで
楽譜が出版される可能性もあっただろう、と思います。
現代の日本語での一般的な説明を
『デジタル大辞泉』で調べてみました。
「前奏曲」は
「導入的性格を持つ器楽曲。(中略)
一九世紀以降は導入的性格を持たない独立的な作品も多い。
プレリュード。」となっています。
「練習曲」をひくと
「エチュード」を見ろという指示があって、
「音楽で、楽器の練習のために作られた楽曲。練習曲。」
となっています。
なんと、勉強するために劇場に来てるんじゃないぞ、
と怒ったスカラ座の観客レベルの認識ですね。
ショパンの練習曲も聴いたことのない人が
国語辞典作ってるんでしょうかね。
リストの『前奏曲』といえば、
交響詩が有名ですね。
交響詩の編曲版としては
ピアノ四手のための『レ・プレリュードB12』、
2台のピアノのための『 C11』という曲があります。
それはさておき、
「前奏曲」へのリストの思いの痕跡の
ようなものを見つけました。
『超絶技巧練習曲A172』第1曲「前奏曲」です。
第1曲だけにこれは
「導入的性格」という本来の意味での「前奏曲」なのでしょう。
そして、最後にショパンの『前奏曲』について
リストが語った、すばらしい文章をお読み下さい。
ショパンの『前奏曲』はまったく別格の作品である。
曲名から考えられるような、
単に他の曲への導入として演奏されるべき曲ではなく、
現代の大詩人の前奏曲同様詩的な前奏曲であり、
金色の夢の中で魂を揺すり、
理想郷にまで魂を高めて行く。
『前奏曲』に見られる多様性、
出来ばえと知識は素晴らしいものだが、
丹念に調べてみないとよさは分からない。
すべては突然一瀉千里に出来上がったように思われる。
自然で堂々とした様子だが、
それは天才の作の特徴だ。
(『音楽バシュリエの書簡集』第XV書簡)