吉田羊のハムレット、チケットを買うか迷った公演である。

見終わって、やっぱり評価に迷っている。

 

 

 


かなり以前、アンジェイ・ワイダが演出した『ハムレット』を

阿倍野の近鉄劇場で見た覚えがある。

ハムレットを中年の女優が演じていたのだが、

最初少し演じたあと楽屋に戻ってきたところを、

観客は鏡の斜め後ろからのぞき見ているような仕掛けになっていて、

そのため特設の舞台だった。

なにしろ台詞はポーランド語で、

字幕装置などない時代なので

何を言っているかまるで分からないのだが、

なぜか非常に優れた舞台であることは分かった。

吉田羊のハムレットはいわゆる男装の麗人というか、

外見上はほとんど男として通用できるレベルだった。

一方、飯豊まりえのオフィーリア、広岡由里子のガートルードは

どちらも女性らしい衣裳だった。

アンジェイ・ワイダ版のようには

女優がハムレットを演じるということが

主題化されているとはいえない。

 PARCOの公式ホームページを見ると、

『ハムレットQ1』のQ1はQ1,Q2,F1と

3種類あるテクストのうちの一つで、

Q1(1603年刊行/約2150行)が

Q2(1604~5年刊行/約3700行)の原型、

Q2を参考にF1(1623行/約3550行)が作られたと

推測されているということのようだ。

今回は松岡和子によるQ1の新訳が使われている。
F1に比べると分量がQ1は半分強ぐらいしかない。

ケネス・ブラナー監督の映画版『ハムレット』は

台詞いっさい省略なし、初のコンプリート版というのが

公開当時のウリだったが、

ブルーレイでは4時間2分である。

テクストはF1だったのか。

Q1では当然上演時間も短くなる。

劇場には終演時間等の掲示物がなかったので、

ネットで調べると、第1幕1時間45分休憩15分、

第2幕1時間35分だった。

ところが1時開演で2時10分頃から休憩に入り、

後半は2時半から4時頃まで。

30分も早く終わった。

どうなってるのかな。

有名なTo be or not to beも

かなり前の方に移されていたので、

てっきりピーター・ブルック演出

ブッフ・デュ・ノール劇場の

『ハムレットの悲劇』(2001年)のように

自由に台詞の順序を入れ替えたのかと思ったが、

そうではなかった。

ちなみにピーター・ブルック版では

ハムレットはエイドリアン・レスターというジャマイカ系黒人の俳優で、

いかにもハムレットをやりそうな白人でルックスもいい、

スコット・ハンディはホレーシオ役だった。

この人に託されていた最後の台詞は、

忘れていたが調べてみると、

「そこにいるのは誰だ?」だった。

びわ湖ホールで見たときは、

それほど感心しない公演だったのだが、

最後の台詞があまりに謎めいているのでまた見たくなる。

吉田羊は3年前、ブルータスを演じていたが、

そのときは女優だけで

『ジュリアス・シーザー』を演じるというプロダクションで、

演出は『ハムレットQ1』同様森新太郎だった。

だから、旅役者がやって来たあたりでポロ-ニアスが、

かつて演劇をやっていた、

シーザーを殺すブルータスとか、

などといっていたのは楽屋落ちである。

歴史劇はやたら男ばかり出てきて

少々うんざりすることもあるので、

女性版シーザーはとても面白い試みであり、

かなり成功していると思った。

英文のエッセイBrutus, who became a womanにも書いたが、

公演日は総選挙直後に

女性議員の割合がさらに低下したというニュースも

耳に新しい日だった。

女だけで国家の命運を決するという情景は、

まさにフィクションにこそ、

演劇にこそできることであった。

まあそれとは違って、

本作はハムレットを演じるのが女優であるということではなく、

吉田羊であることが眼目なのだろう。

そこで私が見た歴代ハムレットを思い出してみると、

一番すばらしいハムレットは、

蜷川幸雄演出のもと藤原竜也が演じたハムレットだった。

精神をぎりぎりにまで張り詰めて、

ナイフのように投げつけられる言葉の迫力たるや。

岡田将生のハムレットは

道化としてハムレットを造形しており、

舞台姿の美しさもあって、

やはり優秀な回答ぶりだった。

 

先に書いたように吉田羊はやはり男よりは声が高く軽い。

力強さ、迫力という点では

どうしても男の俳優のようにはいかない。

その反面、ある優雅さが感じられた。

しかし意表をつかれたのは、男より高い声ををさらに高くして、

ヘリウムガスを吸ったときのようなというか、

アニメ声で佯狂の台詞を吐くという手法だった。

 

オフィーリアが贈り物をハムレットに返すというシーン。

その贈り物が、

今どき幼い女の子でも「いらない」といいそうな

ケチな兎の人形だっただけでも、

思わず苦笑してしまったのだが、

アニメ声ハムレットとのツーショットは

記憶に残る珍風景だった。

 

 

私はそのアニメ声作戦は失敗だったと思うが、

好意的に解釈すれば、

華麗で重厚な悲劇というイメージを

払拭することが目的だったのかとも思える。

コミカルな演技が随所にあり、

劇中劇のシーンではミュージカル風の歌が入ったりした。

飯豊まりえが

小さなハープを演奏しながら歌うというシーンもあって

なかなかの芸達者ぶりを見せていた。
飯豊まりえは最後にフォーティンブラスとして再登場する。

しいてその意味を考えると、

ハムレットの意志と王国の継承者を

女優が演じるということだろうが、

蜷川版で

エヴァのパイロットのようなフォーティンブラスが

登場したときのような衝撃は感じなかった。

目元が松岡茉優に似ている、

この衣裳も可愛いなと思ったくらいだ。

迷える子羊のようなアニメ声のハムレットよ。

汝はどこへ行こうとしているのか。