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シェイクスピアの「コリーレーナス」Coriolanusと

「タイタス・アンドロニカス」Titus Andronicusは

どちらも古代ローマを舞台にしているが、

「ジュリアス・シーザー」や「アントニーとクレオパトラ」ほど

知られてはいないだろう。

不人気の二作はどちらも

BBC制作のスタジオ収録版をテレビで見た。

両者ともに愉快な話ではないので読むのを避けてきた。

さて、西洋人が政治について語るとき

しばしば古代ローマが引き合いに出される。

だからある程度の知識はあった方がよかろうと、

スエトニウスの「ローマ皇帝伝」(岩波文庫 上下二巻)を読んだ。

あまりにもひどい暴君列伝だが、

それでも少し古代ローマに興味がわいてきたので、

この際シェイクスピアの戯曲も読んでみようかと思った。

「コリーレーナス」Coriolanus(Pelikan版)を

amazonで程度が「良い」古本を購入した。

確かに書き込み等はなかったが、

本を開く度にかび臭い臭いがする。

それには閉口してFolger版Coriolanusと,

ついでにTitus Andronicusを購入しようと

amazonで検索してみたが見つからない。

ついでがあって丸善京都店に行くと、

どちらもあった。

Folgerは最近は大型の版も出している。

実測21.2cm×13.8cm。

本を開きやすそうなのでTitusは大型本にした。

1760円。

小型のCoriolanusは960円+税。

表紙を一新したPelikanはだいたい1冊が2000円くらいと高くなっていた。

高校生の頃、学校の図書館で

研究社のポケットブックスのHamletを手に取って、

To be,or not tobeのくだりを読んでみた。

何とか読めそうだった。

 

大学の授業で「オセロー」を半分ばかり読んだ。

「お気に召すまま」をNHKシュークスピア劇場版

(上記のBBC制作映像版シェークスピア全集が

教育テレビで2ヶ月に一本くらいのペースで放送されていた。)

で読みかけたのだが、

やはり半分ほどで力尽きた。

 

40代になって

はじめて読み通すことができたのはKing Learだった。

「原書で読む世界の名作」という

NHK第二放送の番組のおかげだった。

授業の予習をするのと同じで、

次の放送までに英文を何頁か読むということを続けていると

最後まで到達できたわけである。

「原書で読む世界の名作」は

たしか木曜の夜9時くらいから放送された30分番組で、

英文の朗読のあとで和訳が読まれるというパターンだった。

いろいろな大学の英文学の先生が講師を務めていたのに、

作品の鑑賞とか分析とかはほとんどなかった。

「世界の名作」といっても英語圏の作品に限られていたので、

「赤と黒」や「魔の山」がとりあげられることはなかった。

何年間か番組にあわせて英文学を読み続けた。

特にディケンズの「デイビッド・コパーフィールド」

という大作が読めたのはよかった、と思う。

ただし、その頃には本は読んでも放送は聞かなくなっていた。

ともあれ、また復活してもらいたいと思う番組の一つである。

King Lear以来25年。

調べてみると「ソネット」を含めて

シェイクスピアは英語で29冊読んでいた。

(高校生のときから読んだ本の書名、著者名、日付を

ノートに記入していた。

コンピューターを使うようになって

年末にexcelに打ち込むようになった)

いつ頃からか年に1冊はシェイクスピアを読むようになった。

25年のうち4年は

シェイクスピアを読まない年もあったが、

だいたいコンスタントに読んできた。

彩の国さいたま芸術劇場で

シェイクスピア全作品を上演する企画があった。

途中からだが、年1回の公演にあわせて原作を読むようになった。

上演される作品は、

公演の1~2ヶ月前にちくま文庫から

松岡和子訳が出るというのが恒例だった。

それを待ちかねて読み始めたりしたものだ。

その後、原作が英語かフランス語の場合、

演劇公演の前に戯曲を読む習慣を

現代演劇にも広げるようになった。

ヤスミナ・レザの作品で

駐車場が舞台になっているものがあった。

本を読んで殺風景な場所を選んだものだなあと思って劇場に行ったら、

舞台上にクラシックカーを止めて、

ライティングもすてきなものになっていた。

いい意味で予想を裏切られた。

ネタバレを嫌う世の中になっているようだが、

この方式はわりとオススメである。


私は別にシェイクスピアの専門家というわけではなく、

単に長年読み続けてきただけである。

それでも、

シェイクスピアを英語で読んでみたいという人のために、

何か役に立ちそうなことがあるかもしれない、

と考えて以下にまとめてみた。

①自分に合った注釈を選ぶ。
同じ作品にもいろいろなエディションが出ているが、

本文はだいたい同じでも注釈は違う。

ポイントは注釈である。

 

注釈が後ろにまとめられている本では

いちいち頁を繰らないといけないので面倒だ。

頁の下に注釈コーナーのある脚注方式の本にすべきだ。

 

またFolger版では右頁が本文、左頁が注釈になっている。

 

そのほか対訳版は

見開きで英文と訳文、注釈がワンセットになっていて便利だ。

研究社シェイクスピア選集から10冊出ている。

amazonで調べると「マクベス」は税込み3300円。

翻訳と原書と両方買うことを考えれば高くはない。

状態の「良い」中古で送料込み2350円というものもある。
 

私は4冊買ったのだが、

「マクベス」で一部訳文に納得できず、

松岡和子訳を見てはじめて納得できた、

という経験からすっかり松岡信者になって、今日に至るである。

注釈は詳しい方がいいかというと、そうもいいきれない。

通読するためにはある程度のスピードがあったほうがいいので、

理解するために必要最低限の注が望ましい。

以前、安売りのArden版を買ったりしたが、

注が詳しすぎて全然読まずじまいだった。

ひとによりけりだが、

私には簡潔なPelikan、もしくはより懇切なFolgerが適度な注釈だと思える。


②読みやすい作品を選ぶ。
経験上一番読みやすかったのは

「ジュリアス・シーザー」である。

読みやすいので、

昔からわりと教科書等にとりあげられることが多かった由。

③内容から選ぶ
ただし古代ローマを舞台にした

歴史劇に興味が持てないなら、

そしてラブコメが好きなら、

ロマンチック・コメディと呼ばれる、

「十二夜」「夏の夜の夢」「お気に召すまま」が傑作だ。

私自身一番好きなのはこのジャンルである。

シェイクスピアの作品中一番有名なのは

「ハムレット」だろうが、おそらく一番長い。

長さもチェックしておくといい。

④感じのよさそうな本を選ぶ
私は辞書をひいた単語の意味は

頁の余白に書き込むことにしている。

Pelikanはマージンをたっぷりとってあるので

書き込みがしやすいのも気に入っている点だ。

やはり洋書屋で本を手に取って、

なじみやすそうかどうか感じてみるのがよい。

⑤自分なりのペースをつかむ。
仕事や学校や家事育児がどのくらい忙しいかにもよるので

一概に言えないが、

私の場合1日400行程度読むペースがつかめると

通読できるようになった。

⑥音声からのアプローチ
私は少し読み進められたら、

amazonのAudibleでダウンロードした

ラジオドラマ仕立てのシェイクスピアを聞くことにしている。

英語に集中しつつ、本場の舞台の雰囲気が味わえる。

読書の友としては映像作品よりもいいと思うが、

そのあたりはそれぞれの好み次第。

⑦シェイクスピアを読むのにどの程度の語学力が必要か?
注釈の英語が理解できれば十分。

確かに頭をひねってもわからない英語も出てくるだろうが、

結局そのつど頭をひねって考えるしかない。

翻訳を読んでから

読み返しても分からない英語はそんなに多くはない。

語彙については、

大学で買わされたOnionsのA Shakespeare Glossaryが意外と役に立つこともあった。

SchmidtのShakespeare Lexicon and Quotation Dictionary(2巻本)も

持っているが最近は使っていない。

PelikanやFolgerの注釈がかなり行き届いているし、

語彙にこだわりすぎると読むスピードが落ちる。

しかしSchmidtのおかげで

すっきり疑問が解決したこともあるので、

こだわりたい人は手元に置いておくべし。
また、知りたいことが

別の本の注釈に書かれていることもある。

注釈者によって

少し注目ポイントがずれていることがあるわけだ。

⑧1冊読み切るということにこだわらないなら、

高校生の私がやったように、

「ハムレット」の有名な独白とか、

「ロミオとジュリエット」のバルコニーの場面あたりを

読んでみるといい。

わりと分かるじゃないか、となるかもしれない。
シェイクスピアは名文句の宝庫なので、

翻訳で気に入った文句があれば

英語でどう言うか調べてみるというのもいいかもしれない。

自分なりの名文句集をつくるといいかも。

数年前、大学時代の旧友に

「シェイクスピアは20冊以上英語で読んだ」と言ったら、

「僕は翻訳で全部読んだ」と返してきた。

まあ普通は翻訳で読読むか。

未読のシェイクスピアはあと9冊。

残念ながら、旧友はもうこの世にいない。