冒頭、幼い長谷部りの(見上愛)は、

病院のベッドに横たわり、自らの命がつきかけていると思う。

そこへ現れた甲野じゅんが花をプレゼントしてくれる。

甲野は運命の人となった。

 

中学で出会った甲野は陸上部員。

りのはマネージャーとなって全力でサポートする。

しかし、思いが通じた瞬間、甲野は消えてしまう。

しかも周囲の誰も甲野を覚えていない。

存在の痕跡さえも消えてしまった。

その後、甲野は軽音楽部員、

車椅子に乗った男性、

クリーニング屋の店主などとして何度も、

りのの前に現れ、

両思いとなったとたんに消滅、を繰り返す。

何度同じ経験をしても、まっすぐに甲野に向かってゆくりのは、

まさに不死身ラヴァー。

まあ、ファンタジーかと思いますよね。

*ネタバレが困る人は映画を見てから読んで下さい。

大学で出会った甲野は

放映中のドラマ「アンメット」のヒロインのように

一晩眠ると記憶をなくす。

ここから記憶と認識の問題が前景化してくる。

朝ごとに見知らぬ少女として甲野のまえに現れるりの。

記憶が消えたことで同一性の認識が不能になる。

それに対して、

りのの世界から甲野じゅんが消滅した秘密は、

似ているだけの別人を甲野と誤って認識していたことが原因だとされる。

過剰な同一性の認識だ。

運命の人との恋へ向かおうとするエネルギーが

暴発してしまったのだ。

普通は運命の人かも、というロマンチックな夢想は

あれやこれやの偶然と都合のよい解釈に導いて行かれる。

一方、甲野じゅんであるということが、

運命の人という、恋の相手としての唯一の正解であると、

りのは思いこんでいる。

恋の発動が甲野じゅんであるという同一性の認識であるなら、

甲野じゅんだと思っていた人物がそうではないと分かると、

恋が消えるのではなく、

仮象にすぎなかった甲野じゅんの存在が消えてしまう。

同一性の否認(そうとは認識されない描き方になってはいるが)

が存在の消滅となるのが、

りのの精神世界である。

両思いになった瞬間<甲野>が消えてしまうのは、

本当の甲野じゅん以外だれとも恋が成立しえないから。

そして、りのは記憶を改変していた。

甲野が消える映像は、

映像のトリックで現実にはありえない唐突な消え方だったので、

最後の方でなされる説明はいくら何でも苦しいんじゃないかと思った。

理屈ではそう思うが、

繰り返し恋に突撃する見上愛に負けた、と思う。

濃すぎる眉、離れた眼と眼、厚い唇。

ネットの巷では小松菜奈そっくりとかいわれているらしい。

よく知らない女優さんだと思っていたら、

ドラマ「春になったら」で奈緒ちゃんの友達役をやっていた人だった。

これほど同一性認識力が貧弱だと、

別人を甲野じゅんと勘違いした長谷部りのをバカにできない。

甲野じゅん役、佐藤寛太の

古典的な甘いマスクの二枚目ぶりは笑いたくなるくらいだ。

田中役の青木柚、前田敦子もシブくてよかった。


監督は松井大悟。
音楽と主題歌はスカート。
スカートがテーマ曲を担当した映画が他にもあるなと思ったら、
「水深ゼロメートルから」だった。
adieuをフィーチャーした「波のない夏」である。

まだ読んでいない人はharicot rougeの

「砂のプールの少女たち」参照。

 

リアルな話だと思っていたら、

ファンタジーだったと分かってガッカリした映画は何本かある。

「陽だまりの彼女」とか。

ファンタジーなら最初からファンタジーらしく作れよな、と思う。

ファンタジーかと思ったら力技で現実に引き戻された本作は、

悪くないと思う。

 原作コミックの紹介記事によると、

甲野じゅんの人生に長谷部りのという女の子に何度も現れる、

出会う度に長谷部に全力で恋をするものの、

思いが届くと消えてしまう、というストーリー、だそうだ。

映画では視点人物を入れ替えたわけだ。

コミックどおりでも面白そうだ。

連ドラにしてみてはいかが。