「和漢朗詠集」の巻上は
「春」の「立春、早春、春興」から「冬」の「霰、仏名」まで
季節の進行にあわせて漢詩の佳句と和歌が並べられている。
「端午」の頁を開くとまず
時有つて戸に当つて身を危(あや)ぶめて立てり
意(こころ)無し故園に脚に任せて行(あり)く
という句が出てくる。
菅原道真の「端午の日艾人(がいじん)を賦す」という詩である。
艾人とはどんな人かと思ったが、
「艾」はよもぎであり、艾人とはヨモギを束ねて人の形にした物。
「荊楚歳時記」には
五月五日に戸に掛けておくと、邪気を払い家を守るという。
川口久雄全訳注「和漢朗詠集」(講談社学術文庫 1992)の訳は
五月五日の端午の節季を迎える時になって、
よもぎは人形(ひとかた)に作られ、門戸の上にかけられて、
その体も危なっかしそうに立っています。
そのよもぎがもと生い育った園に逃れていって
脚にまかせて歩こうなどという気持ちはありません。
よもぎの人形がふらふら歩き出したらファンタジー、などと思ったのだが。
「故園」の注は「よもぎの生い茂った、もとの園。
道真が任国讃州にあって京都に帰りたい気持ちを諷じこんだことば。」となっている。
それでもやはり、面白い句であると思う。
本家中国の詩人殷堯藩(いんぎょうはん)の「端午の日」には
効(なら)わず 艾符(がいふ) 習俗に趨(おもむ)くを
但(た)だ祈る 蒲酒(ほしゅ) 昇平を話(かた)るを
世の中の風習通りに蓬(よもぎ)の厄除けを身につけることもせず、
ただ菖蒲酒を飲みながら世の平和を語りたいと祈るだけだ
艾符の注には「ヨモギで人や虎の形を作り、厄除けにした」とある。
蒲酒は「ショウブを浮かべ、または粉状にして混ぜた酒。」
旧暦五月は、湿気が多く、疫病も流行しやすく、
「悪月」「毒月」とも言われ忌み嫌われた。
端午の節句は、その邪悪を払い、息災を祈念する「厄除け」が行われた。
「艾符」「蒲酒」はその代表的な節物である。
ヨモギと菖蒲はその香りで邪を祓った。
(赤井益久著NHKカルチャーラジオ「漢詩をよむ 漢詩の歳時記 【春夏編】」p.52~p.53解説は一部改)
ヨモギの厄除けより、菖蒲酒。
飲んべえの共感を得られそうな句である。
「和漢朗詠集」に戻ると、
大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)の歌が
菖蒲すなわちあやめ草を詠んでいる。
きのふまでよそに思いしあやめ草けふわがやどのつまとみるかな
昨日までは、自分にかかわりのないよそのものと思っていたあやめ草ですが、
五日の競わが家の軒端にふかれてみると、
わが妻のようにいつくしみ思われることです。
「やどのつま」の語釈は「わが家の軒端(端=つま)に宿の妻をかける」
平安時代には五月五日に家の軒端にあやめ草を葺く風習があった
(三木雅博訳注「和漢朗詠集」角川ソフィア文庫 令和6年、p.87)とのことだ。
「和漢朗詠集」にはなかったが、
本邦でも蒲酒を詠んだ詩人はどこかにいただろう、と思ってネットで調べると
「日本の漢詩文」というサイトで見つかった。https://nipponkanshi.hankeidou.jp/2017/05/mitsukuni-tango-3c98031c967.html
徳川光圀の「端午」
江城の重五 幾年か遭ふ
坐上の菖蒲 濁醪(どくろう)に泛ぶ
千古の楚風 徒(いたづ)らに渡を競ふも
如かず 端坐して離騒を読むに
江戸で五月五日を迎えるのは、これで何年目だろうか
祝いの席で濁り酒に菖蒲を浮かべて飲む
千年の昔からの楚の風習では無駄にボートレースをしているが
きちんとすわって「離騒」を読むほうがよいのだ
江城:川の畔の街、が本来の意味だが、ここでは江戸を指している。
重五:五月五日。端午の節句。
濁醪:濁り酒。
離騒:屈原の詩人としての代表作。
黄門様も菖蒲酒を飲んでいた。
ネットで調べても菖蒲酒を売っているサイトはなさそうだった。
菖蒲酒の作り方を紹介しているサイトがいくつかあったが、
毒性があるらしいという「菖蒲酒にはご用心!?」という記事もある。
菖蒲の香りが邪を祓うんじゃなかったのか。
最後は正岡子規の一句。
屈原は下戸なりけらし菖蒲酒