端午の節句は誰から始まったのだろうか、

と晩唐の詩人、文秀は問いけかる。

節分 端午 誰(たれ)より言わん
万古 伝え聞く 屈原が為なりと
笑うに堪う 楚江 空しく渺渺(びょうびょう)たり
直臣の冤(えん)を洗得する能(あた)わず

端午の節句は、誰から始まったのだろうか、
大昔の言い伝えでは、楚の屈原を弔うためだと言う。
笑うに値するのは、楚を流れる川の水が果てしなく広がり、
忠義の臣下にかけられた無実の罪を雪ぐことができずにいることだ。

楚の国の王族屈原は優れた手腕で王を助けていたが、

讒言のため国を追われ る。

その後楚は秦に滅ぼされる。

屈原は沼沢地方をさまよい汨羅(べきら)の淵に身を投げる。

(汨羅は中国湖南省北東部を流れる川。)

 

 

高校の教科書に「漁父(ぎょほ)の辞」が載っていて、

屈原について知ったが、今でも教科書には載っているのだろうか?

屈原が汨羅に身を投げた。

人々はこれを傷み、舟を出して救出しようとした、

という伝承があり、

そこから競渡(ボートレース)が行われるようになった。

 

白居易には

「万州の楊子君に和す四絶句 其の一 競渡」という詩がある。

競渡(きょうと) 相伝う 汨羅の為にすと
止遏(しあつ)する能わず 意 他無し

「競渡」は汨羅の淵で死んだ屈原を弔うためのものを伝わる
これを禁止することができなかったのは、他意があったわけではない。

競渡に人気が出すぎて、

当時忠州の刺史(しし)という地方長官の職にあった

白居易は出費を抑える必要があったため、

「止遏(しあつ)する能わず」という言い方をしている。

使用された舟は流線形で底が浅く、

十人ほどが乗った。留が水上をはうように進むので、

「爬龍(はりゅう)」(福建省のペーロンが広く知られる)と呼ばれ、

わが国の沖縄・九州にも伝わって、

「ペーロン」「ハーリー」 と呼ばれている。

相生市のペーロン祭りは5月25日~26日だそうだ。

5月5日にペーロン大会を開いている自治体はあるのだろうか。

ちなみに、競渡(けいと)やペーロンは

俳句の季語としては仲夏(6月)に分類されている。

 蝶舞へりペーロン発ちし波の上 / 朝倉和江

*本稿はおもに赤井益久著

NHKカルチャーラジオ「漢詩をよむ 漢詩の歳時記 【春夏編】」

p.54~p.65に基づいています。

漢詩の初心者にも親切な注釈がたくさんついていますので、

書店のNHKテキストのコーナー等でご覧になって下さい。