革命が勃発したフランスから、

後のボワーニュ伯爵夫人、アデルは両親とともにローマに逃れて来ました。

ローマには、

ルイ15世の娘であるアデライード様たちがいたからです。

1792年の初頭、サー・ジョン・ルガードとその妻、

そしてミス・アストンがローマにやって来ますが、

このミス・アストンはアデルの母の実のいとこでした。

アデルの一家とと仲良くなって、

ルガードはアデルの両親に一緒にナポリへ来て、

そこから自分の領地であるイギリスのヨークシャーに来ないかと誘います。

アデルの一家は経済的に不安があり、

とりあえずナポリに行き、10ヶ月ほど滞在します。

そこでアデルはレディ・ハミルトンと出会います。

ゲーテの「イタリア紀行」にも登場する有名な美女です。

「イタリア紀行」の1787年3月22日と5月27日です。

レディ・ハミルトンと呼ばれる女性の出自については

「ボワーニュ伯爵夫人の回想録 1」

Mémoires de la comtesse de Boigne, Ⅰ, le Temps retrouvé, 2008),

の注釈(p.120)にまとめられているので、

それをもとに簡単に紹介したいと思います。

レディ・ハミルトン(1761~1815)は

もとはエンマ・リヨンといって、

貧しく美しい娘でしたが、

国会議員チャールズ・グレヴィルの愛人になります。

グレヴィルのおじサー・ハミルトンがエンマを見そめて、

エンマはイギリス大使ハミルトンの愛人になり、

ナポリに渡ります。

ナポリの社交界の「女王」となったエンマは

ハミルトンと1791年9月に結婚します。

1798年9月、エンマはネルソン提督と知り合い、

愛するようになりますが、

1803年夫の死まではプラトニックな関係でした。

ネルソンの死後経済的に困窮したエンマは

1813年に借金のため投獄され、

1年後に釈放され、最後はカレーで亡くなりました。

私はハミルトン夫人とネルソンの

不倫の恋を描いた映画That Hamilton Woman (「美女ありき」)を

テレビで見たことがあります。

ウィキペディアで調べると 

実際に不倫の末に再婚したヴィヴィアン・リーと

ローレンス・オリヴィエが主演、ですと。

知らなかった。

タイトルがなぜLady Hamiltonじゃないのかが気になっていたんですが、

ウィキペディアでは別題 Lady Hamiltonとなっていますね。

内容はほとんど忘れましたが、一度見ておいて損はないと思います。

ネルソンは1805年、トラファルガーの海戦で

フランス・スペインの連合艦隊相手に

歴史的な大勝利を収めますが、戦死してしまいます。

高校生の頃Progress In Englishという教科書で

ネルソンの最期を描いたストーリーを読みました。

ネルソンはわざと目立つように帆柱に体を結びつけさせた、というものです。

イギリスの勝利のため死を覚悟して戦ったという話ですね。

映画ではネルソンとは結婚していなかったエンマが、遺

族から冷たくあしらわれる、

といった悲しくつらい物語になっていた記憶があります。
英雄と美女。
映画にしたくなるのももっともです。

 

 

さて、もしハミルトン夫人のような

とびきりの美人に生まれたら、何をしますか?

現代なら、モデルか女優になる、

という答えがまず浮かびそうですが、

レディ・ハミルトンはそれに近いことをしていました。

活人画です。

すっかりすたれてしまった活人画ですが、

アン・シャーリーが

小学校のクリスマスコンサートで活人画を演じた、

ということを覚えている人がいるかもしれません。

アニメの「赤毛のアン」では第28話だそうです。

「デジタル大辞泉」をひくと

「扮装した人物が背景の前にじっと立ち、

画中の人物のように見せるもの。

歴史上の人物に題材をとることが多く、

明治・大正のころ、集会などの余興として行われた。」
日本でもやってたんですね。

ゲーテが推察した活人画の起源をまとめると、

どの教会でもクリスマスにはクリッペ(秣桶)という、

キリスト誕生の場を人形で表した模型を目にする。

ナポリでは屋根に小屋のような仮舞台が組み立てられ、

それを木々や聖母と幼子イエスなどの人形で豪華に飾り付ける。

その人形のあいだに、生きた人間が混じるようになり、

歴史や文学に取材するような人物像も、

貴族やお金持ちが夕べの宴で楽しむ娯楽となっていったのであろう。

ハミルトンは彫刻、絵画、壺や飾り燭台と

さまざまな物を収集していましたが、

ゲーテはその中に面白い物を見つけました。

人間が立ったまま入れるほど大きな箱で、

前面が開き、内部は黒塗りで、華麗な金の額縁がはまっています。

これは活人画用の箱だとゲーテは見抜きます。

(…)ハミルトンは美女を動く立像として眺めるのに飽き足らず、

多種多彩な比類なき絵画として賞翫しようとした。

そこで美女は時おりこの金の額縁の中に入り、

黒を背景に多種多様な衣をまとい、

ポンペイの古代絵画や、

さらには近代絵画の傑作さえ模倣してみせたというわけである。

(鈴木芳子訳 ゲーテ「イタリア紀行 上」光文社古典新訳文庫 648頁)

ゲーテが訪問した当時はもうその箱は使われておらず、

箱の中の美女を見物することはできませんでした。

一方、アデルは活人画を詳しく活人画を描写しています。

夫の趣味を満足させるため、

ハミルトン夫人は普段から白い貫頭衣を着て

腰のあたりにベルトを締めていました。

髪は揺れ動いているか、櫛でまとめあげられていましたが、

何らかの髪形になっているわけではありませんでした。

上演に同意すると、

カシミアのショール二三枚、瓶、香炉、リラ、バスクの太鼓を用意します。

そういったちょっとした荷物を持って、

古代ローマ風の衣裳を身につけ、

サロンの中心に陣取ります。

頭からかぶったショールはすっぽり身体を覆って

裾は地面を引きずります。このように身を隠して、

他のショールをゆったりまといます。

それから、急にショールと持ち上げると、

ショールはすっかり取り払われたり、

半ば外されて、ドレープとして演じようとしている人物の一部になります。

どちらにせよいつも、

ハミルトン夫人は

実にみごとに構成された彫像を差し出してみせました。
 私は、彫刻家たちが、

あの彫像の模像を作ることができたとしても、

芸術が修正するべきところはどこにもなかったろう、

と言うのを聞いたことがあります。

しばしば彼女は姿勢と顔の表情を変えました。

ショールを落とす前に「重々しさから優しさへ、愉快から厳格へ」

と変化しました。

ショールの落下は一種の幕間を示していました。
私は群像をなすために、ときどき添え物役を務めました。

ハミルトン夫人は私を適当なポジションに置き、

ショールをかぶせました。ショールは私たちを包み込んで、

幕になりました。

彼女は自分の髪の活かし方をよく知っていましたが、

私の金髪は彼女のすばらしい黒髪と対照的でした。

ある日、私は瓶の前に跪き、

手を組んで、祈りの姿勢をとるように言われました。

ハミルトン夫人は、私の上に身をかがめ、

苦悩に沈潜している様子です。

二人とも髪はぼさぼさでした。

突然彼女は身を起こし、少し離れると、

私の髪を乱暴につかむので、

私は驚き、少し怖くなって、

自分の役柄の気持ちになりました。

というのは彼女は短刀を振り回していたからです。

芸術家肌の観客から熱狂的な拍手と

「ブラヴォー、メデイア」

という叫びが聞こえました。

それからハミルトン夫人が私を引き寄せて、

天の怒りから私を守ろうとするかのように、

自分の胸に押しつけると、

同じ客たちから

「万歳、ニオベ」という叫びを引き出しました。

どちらもギリシア神話に出てきますが、

メディアは夫の裏切りに怒ってわが子を殺し、

ニオベは子だくさんで有名です。

 このようにハミルトン夫人は

古代の彫刻からインスピレーションを受け、

ただ単純に真似るのではなく、

一種の即興的身振りによって、

イタリア人の詩的な記憶から彫刻を想起させたのです。

レディ・ハミルトンの才能を真似ようとした者もいましたが、

成功しなかったと思います。

これは、崇高から滑稽までほんの一歩しかない、

といった類いのものです。

そもそも匹敵する成功を収めるためには、

まず、頭のてっぺんからつま先まで完璧に美しくなければなりません。

そういう人は稀にしかみつからないでしょう。(前掲書、122~124頁)

ここまではいいのですが…

 この芸術への天分を別にすると、

レディ・ハミルトンほど品が悪く凡庸な人はありませんでした。

古代の貫頭衣を脱いで普通の服を着ると、

すっかり気品が消えました。

夫人のおしゃべりは面白くなく、知性さえ欠いていました。

しかし、比類ない美しさの魅力にくわえて

一種の狡知を持っていたはずです。

というのは、彼女はいいなりにできれば得になるとみれば、

その人を完全に支配したからです。

まず年老いた夫をすっかり笑いものにし、

ナポリの王妃をカモにし、名誉を汚しました。

化け物のように太って美貌をなくしてしまったというのに、

この女に支配されて、ネルソン卿は栄光に泥を塗りました。
  (中略)
 結局、悪い女であり、

下劣な魂がすばらしい肉体に宿っていたのです。
(前掲書 p.124)。

アデルほど辛辣ではありませんが、

ゲーテもハミルトン夫人をあまりよく書いてはいません。

(…)、私たちを歓待したあの美女は、

そもそも精神の宿っていない存在のように思われる

と告白せねばならない。

たしかに姿形は美しいが、

声や言葉に心がこもっていないせいで、

ぱっとしない。

彼女の歌声そのものに、人を惹きつける何かが欠けている。

(前掲書 648頁)

私はある展覧会場でジョージ・ ロムニーの

「キルケに扮したレディ・ハミルトン」という絵を見たとき、

ゲーテの言葉が納得できました。

キルケはギリシア神話に登場する魔女で、

オデュッセウスの部下を豚に変えたあとで、

魔法が効かなかったオデュッセウスの愛人になりました。

オデュッセウスのようなゲーテには効き目がなかったにせよ、

レディ・ハミルトンには、キルケの魔力のようなものがあったようです。

ウィキペディアを見ると、

エンマ・ハミルトンに魅せられたロムニーは

エンマの肖像を60枚も描いたとか。

ふぁむ・ふぁたるだぁー。