Uplink京都で「霧の淵」を見てきました(2024.4.28.)。
舞台挨拶ありということで満席でした
(私の前の席は空いていましたが)。
ちなみに「光る鯨」のときは観客は十数名程度でした。
奈良県川上村で撮影された映画ということで、
地元に近いという強みから満席になったのでしょうか。
舞台挨拶の質疑応答コーナーでは、
川上村出身の方が感想を述べてられました。
また、サイン会では監督のお知り合いらしい若者たちが何人かいたようでした。
まず、どんな映画化といいますと
奈良県の山深い集落に代々続いた旅館の娘、
12歳のイヒカ(三宅朱莉)。
母の咲(水川あさみ)と義理の父・シゲ(堀田眞三)が旅館を切り盛りし、
父良治(三浦誠己)は家を出ている。
そんなある日シゲが姿を消してしまう。
最初の方で良治が咲に、
離婚してもよい、旅館を続けなくてもよい、
といった話をしますが、
咲は旅館は受けるとはっきり言います。
これが例外的に内容のある台詞のやりとりでした。
主役のイヒカはじめ 全体に台詞は少なめな映画です。
ぼーっと山の静かな生活を見ていると、
ドキュメンタリー映画をみている気分になり、
うつらうつらしてきました。
そんな中で最後の方で描かれる
祭りの情景が幻想的なタッチで印象的でした。
音楽(梅村和史)が使われた場面はごくわずかでした。
最初の方で、走る自動車から撮った村の情景と
最後の方で縁側で眠るイヒカ。
静かな山の生活とも深い霧とも無関係な、
明るい楽しい気分の曲でした。
現実とは別の次元が混入してきたところに面白味を感じました。
上映後監督と主演の三宅朱莉さんが登壇されました。
観客との質疑応答に大半の時間が割かれました。
前日にも何カ所か舞台挨拶をされたようで、
だいぶ同じことを語ってこられたのでしょう。
村瀬監督は真面目が服を着て歩いているような、
そして単に真面目という以上に、
しっかりした考えと、
これは譲ることはできないぞというような
覚悟を感じさせる佇まいでした。
三宅朱莉さんは映画の中より少しお姉さんになった感じですが、
とても愛らしく素直で、
どうかこのまま
変な色にそまらず成長してくれと
思わず祈らずにはいられませんでした(ちょっとおおげさか)。
それでいて撮影では
監督の求める表情がすぐ出せるというのはやはり天分でしょうか。
覚えている限りでその要旨を紹介したいと思います。
当時中学2年生だった三宅朱莉さんは、
一週間前から川上村で暮らしていました。
映画に出て来る朝日館でお手伝いをしたり。
ちなみに朱莉さんは
朝日館の女将お手製の柚子羊羹が大好きだそうです。
質疑応答
問:編集はたいへんだったのではありませんか?
答え:編集作業は本当に一生続けられるくらい
キリのないもので、
公開日とか映画祭とかのせいで締め切りがあるのが
ありがたいくらいです。
順番が変わることもあり、
(前述の)良治と咲の話し合いは最初は最後の方でした。
問:あの夫婦はどうなるのでしょうか?
答え: 良治はすでに別の人と暮らしている
という設定は撮影前に話しました。
あの夫婦は元にもどることはなくだんだん離れてゆくでしょう。
舞台挨拶のあとサイン会があったので
そこで交わした言葉を記しておきます。
h r (haricot rouge):今は高校生ですか?
朱莉さん:そうです。
h j: 勉強と両立たいへんでしょう。
朱莉さん:そうなんです。
h r::以前高校の教師をしていた頃
NMBに入っていた人がいたんですが、
途中で(学校を)やめてしまいまいました。
朱莉さん:あぁー。
一番大切なのは本人の意志。
頑張って下さい。
h r: 「奈良、山の中、映画」で検索すると
河瀬直美作品が出てきそうですが、
河瀬作品を意識されることはありますか。
村瀬監督:(きっぱりと)それはありません。
○○も同じで、
河瀬さんはプロデューサーとして名前は入っていますが、
口出しする人ではないんで。
○○にあたる言葉をよく覚えていませんが、
パンフレットのProduction Noteを見ると
スタッフを意味する言葉だったようです。
村瀬監督がたまたまカフェで見た写真を見て
その視点に共鳴するものを感じた
百々武氏が撮影監督になったわけですが、
実は河瀬作品のスチルカメラを務めた人物だっとこと、など。
これは監督にとって一番嫌な質問だったかもしれません。
しかし、聞きたいことは聞くのがブロガーの使命、
というわけでもないですが、
やはりこれは外せないポイントだと思います。
「霧の淵」を見て
「萠の朱雀」や「殯の森」を
思い出すなというのは無理でしょう。
どのように先行作品と違った個性なり、存在感を
主張してゆくかという問題は避けられないと思います。
一つには似た作品がない方向を探るという戦略もあるでしょう。
しかし、観客の思惑はどうであれ、意識はしない、という監督の姿勢が、
結局正解かもしれません。
本物の個性は独自の創作活動からでなくては生まれないでしょうから。
と、もっともらしい結論を出してしまってから気がついた。
「マリの話」第一話で
あえてホン・サンスに似せていった高野徹監督。
うーん、作戦もいろいろだ。
ps パンフレットは縦18.2cm×横25.6cm。
36頁のうち15頁がカラーという豪華さでした。
字がちょっと細かいのが老人にはちょっと辛いですが。
やっぱり「記憶の居所」のパンフは小さすぎた。
山下リオさんの写真ももっと大きい方がよかったな。
常間地裕監督の次回作では普通サイズのパンフ作ってあげて。