「エウリディケ」に続いて

ギリシア神話をベースにした「メディア/イアソン」を見た。

シェイクスピアは大好きだが、

悲劇に関してはぼくはギリシア悲劇の方が好きだ。

オセローもリア王もなんでそんなにバカかなあと思う。

性格悲劇より運命悲劇にひかれる。

マクベスは偽装された運命に欺かれた。

ハムレットは死という運命を予感しながら前へ進む。

イアソンが金の羊毛を求めてコルキスへ船出する物語は、

小学校か中学の学習雑誌の別冊付録で読んだのが最初だった。

コルキスの王女メディアの知恵を借りて

みごと金の羊毛を手に入れるまでの冒険譚。

未読だが、

アポロニウスの「アルゴナウティカ」という作品に語られた物語だそうだ。
 

後半は三人の子供をもうけコリントで暮らすメディアとイアソンの物語である。

コリント王から王女の婿にと望まれたイアソンは、

メディアを裏切り申し出を受け入れる。

メディアは猛毒を仕込んだ冠と衣裳を王女に送り、

王女と王を死に至らしめ、

息子二人を殺害する。

原作はエウリピデスの悲劇。
 

子殺しというテーマで

は歌舞伎の「菅原」の四段目「寺子屋之場」で

わが子を主君の子息の身代わりとして

死なせる父親の話が出てくる。

これは究極の犠牲的行為として

美談ということになっている。

しかし、現代人から見ればしょせん芝居の嘘にすぎない。

歌舞伎らしく何重にも嘘を嘘でくるんで、

嘘のリアリティをもやの中に埋めてしまって、

嘘を楽しみやすくしている。

一方、メディアの激情が引き起こす悲劇は

感情の薄くなった現代人をも震撼せしめることだろう。
 

ぼくはロームシアターになるはるか以前の京都会館で

ギリシア国立劇場の「メディア」を見た。

メディア役はギリシアの国民的女優と言われている人だったが、

名前は忘れた。

適度に現代的な感覚ももりこんだ良い舞台だった。
 

去年、パゾリーニの「王女メディア」(1969年)を見た。

マリア・カラスがメディアだったが、

歌ってはいなかった。

「メディア/イアソン」では

南沢奈央のメディアが

羊毛を守る大蛇を眠らせる子守歌を歌っていた。

しかしこれはイアソンの物語でのこと。

 

後半、南沢奈央はおそろしい迫力で怒りに狂った女を見せてくれた。

さすがにわが子を殺めることをためらいながらも果断に実行し、

アテナイ王に以降の保護を誓わせることができるほど、

明晰な知性を保っている女。

 

舞台で南沢奈央を見るのは

「赤い城 黒い砂」(2009年)と「更地」(2021年)についでやっと3本目だ。

このメディア役で可愛い清純派の女優という

パブリックイメージを根底からひっくり返された。

同様にイアソン役の井上芳雄は

好感度抜群の好青年というイメージから脱皮して、

妻を棄てるずるい男役を演じている。

とはいうものの、

南沢奈央の変貌ぶりのあまりの激しさにその変貌ぶりもがかすんだ。

コルキスへ向かうアルゴー船が影絵になっていた。

それが古代ギリシャの物語にメルヘン風の味わいをくわえていた。

舞台装置などはシンプルだが示唆に富んだものになっていた。

始めて見るキャスト陣もレヴェルは高かった。

演出は森新太郎。

 

 

 

 

 

脚本はフジノサツコ。

全体的には、前半の冒険譚と後半の復讐劇という

別ジャンルの作品が同居している、

という感を禁じられなかった。

あくまでも怜悧なメディアの怒りはあまりにも深く、

イアソンは女の力にすがって

うまく人生をわたって行こうとしてしくじった人のように思える。 

 「メディア/イアソン」を見た翌日、

「骨と軽蔑」を見た。

宮沢りえをはじめ女優7人の舞台である。

エンターテインメントとしてはそこそこ面白かったのだが、

結局作り物の世界の出来事であるとしか思えなかった。