「水平線」は重心の低いリアリズムを基調に

鋭い問題意識をはらんだ作品でした。
ピエール瀧さんが演じているのは

福島で散骨業を営んでいる井口です。

あるときジャーナリストを名乗る男から

大量殺人事件の犯人の骨が持ち込まれていたことが指摘されます。

震災で多くの人の骨が眠る海に

 

 

 

殺人犯の骨を散骨するつもりか、

と詰めよられます。

被害者の遺族からも散骨をやめるよう訴えられます。
 

「散骨」から「コットンテール」を連想してしまいました。

作家、大島(リリーフランキー)が

妻(木村多江)の遺骨をイギリスのウィンダミア湖に散骨しに行く、という物語です。

父と一人息子(錦戸亮)との確執、

愛する妻が認知症になって介護の日々があったことなどが背景にあって、

波乱にとんだ旅路になります。

大島は自分の考えに固着するあまり、

息子一家から離れて一人でウィンダミア湖へ向かいます。

列車を乗り違え、

衝動的に駅にあった自転車に飛び乗り、

結局道に迷ってしまいます。

コットンテールというのはピーターラビットの妹兎の名前です。

ウィンダミア湖がある湖水地方は

ピーターラビットの生みの親ビアトリクス・ポターと縁が深い土地です。

ポターはウィンダミア湖の西隣にあるエス・ウェイト湖畔のニア・ソーリー村に住み、

遺灰はヒルトップの丘に散骨されました。

ビアトリクス・ポターが亡くなったのは1943年。

ウィキペディアを調べているうち、

散骨という語に出会うとは。

風光明媚な湖水地方の魅力、

息子の嫁(高梨臨)と幼い女の子、

若い頃妻と湖を背景に写った思い出の写真、

道に迷った大島を泊めてくれた親切なイギリス人の父と娘など、

明るい要素はいくつかあります。

穏やかな姿を人に見せてくれる湖と比べると、

福島の海はあまりにも大きいく暗い。

 「水平線」の上映後、舞台挨拶があって、

小林且弥監督と脚本の齋藤孝さんが登壇されました。

私の眼からは今どきのシュッとした若者という印象でした。

特に小林監督は俳優出身ということで背が高くイケメン。

興味のある人はチェックしてみて下さい。

脚本のため、調べたところ、

散骨業者はかなりの広がりを見せていて、

価格競争も激しく、1万円とか2万円くらいで請け負う業者もあるようです。

映画の中では

漁船に乗ったピエール瀧が白い包みを海に投下するシーンが出てきます。

「コットンテール」では粉をまくという、一般のイメージ通りの散骨でした。

散骨については一律の法律はなくて

市町村のガイドラインにそって行われているそうです。

骨が出てくると殺人事件かと思われるので、

2ミリ以下に砕くこと、

骨の粉を水に溶ける紙に包むこと、

沿岸から一定以上離れたところで投下すること、

などだいたいどの市町村でも同じとのことです。
 

最後の方で正義感をたてにジャーナリストから

「震災を風化させたくないからやってるんだ」と言われて

井口が「風化させればいい」というシーンがありますが、

映画のために取材した散骨業者がおっしゃった言葉だったそうです。

「風化させない」というのは、

被災者にいつまでも苦しみを忘れるなと言うようなものかもしれません。
 

そのほか監督作もある斉藤さんから、

脚本には人物の気持ちを書いてはいけないんですね。

それは演出のすることですから、といわれたのが意外でした。

あとから斎藤監督の作品をググってみたら

「ビルと動物園」という作品が見つかりました。

小林且弥さんが出てます。

坂井真紀さんがアラサーのヒロインを演じているというので、

よく見れば公開2008年でした。

ちょっと見てみたい。

質疑応答のコーナーで題名について質問がありました。

最初は「骨を砕く」だったそうですが、

ホラーみたいだと却下されました。

長い題名がはやっているとの監督の一言に、

脚本家は「あれはダメです。迷っているだけです」と即座に応じました。

私は映画を見る前は「水平線」というタイトルでは

どういう内容か今ひとつピンと来ないと思いましたが、

見終わると、

人の視線を通して海の広大さを暗示する、

という点では納得できるタイトルだと感じます。

遺骨であるはずの白い粉の包みがアレみたいに見える

というきわどいトピックも出ました。

ピエール瀧さんがこんな大きな包みは見たことがないよ、とおっしゃったとか。

冗談にできるくらいアレと縁が切れたならけっこうなことです。

ピエールさんの演技は

判断の難しい問題に直面したときの戸惑い、逡巡を

重厚な外貌の下によく滲ませていました。

 

いつか「余人に代えがたい」とアホな政治家が言っていましたが、

こういう場合に使う言葉でしょ。