「光る君へ」ご覧になってますか?
源氏物語や紫式部関連の書籍もあちらこちらから出版されているようです。
今日はブームに乗っかろうと「紫史を読む」を紹介したいと思います。

紫史とは「源氏物語」のことなので、

源氏の感想文もしくは源氏論といったところ。

七言24句からなるちょっと長い詩です。

江馬細香(1787~1861)という江戸後期を代表する女流詩人の作です。
以下、揖斐高編訳「江戸漢詩選 (下)」244頁~252頁よりの抜粋です。

誰(たれ)か彤管(とうかん)を執(と)りて情事を写せし
千載 読者 心酔えるが如し
妙所を分析するは 果たして女児
自ずから丈夫と風懐異なる

赤い筆をとって人の世の心事を写し取ったのは誰であろうか。

千年ものあいだ、この作品の読者は、まるで酒に酔ったかのように魅惑されてきた。

人の心の言いがたい所をかき分けたのはやはり女だからであり、

その風情はおのずから男とは異なるものがある。

昨今「女性ならではの感性を活かして頑張ってください」

なんていうとバッシングを喰らいますが、

やはり「妙所」は女にしか書けない、と細香は考えました。

「風懐異なる」とは男には女の気持ちは分からないということでしょう。

春雨(しゅんう) 燈(ともしび)を剪(き)りて 百花を品し
香(こう)を惜しみ玉(ぎょく)を憐れむは此自(これよ)り始まる

春雨の降る宵に灯火を掻き立てて女たちの品定めをして以後、
源氏の君は美しい女君たちとすすんで交情を持つようになった。

    (中略)

瓠花(こか) 門巷(もんこう) 月一痕(いっこん)
蝉蛻(せんぜい) 衣裳 燈半穂(とうはんすい)

夕顔の花の咲く巷を夜空に昇った月が照らし、
半ば消えかかった灯火の下には女君の衣裳が蝉の抜け殻のように脱ぎ捨てられていた。

このあたり漢字だらけで難しそうです。
「瓠花」が夕顔の花だと聞けば、

この句は光源氏が中秋の名月の夜に夕顔の女の家に泊まった

ということを言ってると分かるでしょう。
 「蝉蛻」は蝉の抜け殻のようにすっぽり抜けることです。

蝉の一文字で勘のいい人なら、あーあれじゃないかと見当がついたかもしれません。

ご明察。

「空蝉」で空蝉が小袿を脱ぎ捨てて、忍んできた光源氏から逃れたエピソードを

漢詩変換したわけですね。

ピンチになっても機転を利かせられる空蝉は、

時代が時代ならくノ一か女スパイになっていたかもしれません。

柏木が猫によって引き上げられた御簾の奥に女三の宮をかいま見るシーンは

貍奴(りど)無頼にして緗簾(しょうれん)揚(あ)がり

となります。

どうして猫が貍奴になるんでしょうか。

貍は狸じゃないかと思って、電子版「新漢語林」を引くと

字義 やまねこ。また野猫(ヤビョウ)。
国  たぬき

となっています。

もともと猫だったのが日本では狸になったようです。

また略して結論になりますと

五十四篇 千万言
畢竟(ひっきょう)出(い)でず 情の一字

五十四帖からなるこの物語は多くの言葉で綴られているが、
結局は「情」の一字に尽きている。

情に歓楽有り 悲傷有り
就中(なかんずく) 鐘情(しょうじょう)なるは是れ相思
罪すること勿(な)かれ 通篇 事の淫に渉(わた)るを
極めて情を尽くすの地を説き出さんと欲す
   
人の情というものには歓楽もあれば悲傷もあるが、
とりわけ情が集まるのは恋愛においてである。
この物語は全編が色事に及んでいるなどと咎めてはいけない。
人情の行きつくところを極力描き出そうとしたものなのだから。

 「事の淫に渉るを」という句にはドキッとしましたが、

語釈には

「淫らな事柄に及ぶ。近世初期以来、

『源氏物語』は儒者たちから多く誨淫の書として否定的に評価されてきた。」とあります。

「誨淫」という言葉は「新漢語林」には載っていませんでしたが、

「誨」は「教える」という意味だとことなので、

アレについて教える、いやー、アレって優勝じゃないですよ。

分かってるか。

解説をはしょりながら紹介しますと

「源氏物語」の評価は江戸時代を通じて変わってきた。

「源氏物語」は「誨淫(淫乱を教える)」のためではなく、

人間関係や社会の基礎となる人情というものを思い知らせるために好色を描いたのであり、

その目ざすところは道徳教化や諷喩にあるという評価が、

江戸時代前期の国学者安藤為章や儒学者熊沢蕃山によってなされた。
 

江戸中期になると、文学の目的は道徳教化とは別のところにある

と主張する荻生徂徠の影響を受けた儒者堀景山が、

秘めたる人情の実(まこと)を表現することこそが詩の役割であるとした。

こうした文学観を受けて「物のあはれ」で有名な

(とはいってもたいてい誰も読んだことのない、とは私の注)

本居宣長の源氏論が成立した。
1834年頃に書かれた細香の「紫史を読む」の背景にはそういった文学思潮があった。

勉強になりましたね。

細香は

小窓(しょうそう) 燈(ともしび)を挑(かか)ぐ 夜寂寥(せきりょう)
吾儂(われ)も亦(また)深意を解せんと擬(ぎ)す

寂しい夜、小さな窓辺で灯火を明るくし
私もまたこの物語の深い意味を理解したいと思う。

の二句で詩を閉じています。
自らの決意を述べるとともに
書を読む女性の姿を彷彿とさせて
余韻の残る良いエンディングだと思います。


「源氏物語」を読むということは、

 

 

千年続いた読者の輪に加わるということありますね。
久々に源氏を紐解いてみたくなりました。