クイズです。
江戸時代に女性詩人はいたでしょうか?
「詩人」には俳人、歌人は含めないことにします。
川柳や狂歌の類いもなし。
厳密な意味で「詩」を書く女性はいたのでしょうか。

いました。
岩波文庫の『江戸漢詩選』上下2巻には150人の詩人の詩320首が収められていますが、上巻には3人、下巻には9人の女性詩人が登場します。排列は詩人の生年順なので時代が下るにつれて詩を詠む女性が増えたようです。

 今では詩といえば口語自由詩があたりまえ。
そんなものがなかった江戸時代に、和歌や俳諧以外に、詩というものがあったのか、という話です。
確かに、漢詩というものがありました。
でも漢詩は中国語の詩。
日本人が漢詩を詠むことにどういう意味があるのでしょうか?
漢詩を詠めば、
漢詩という器にその人の感情や思想、関心事が盛られることになります。
和歌や俳諧といった器の方が、漢詩よりはまだ作れそうな感じです。
しかし、和歌や俳諧で表現できない主題や内容というものも少なからずあり、
江戸時代においては、そうしたものを同時代の韻文形式である漢詩が表現してきた、
のだと『江戸漢詩選』の編訳者である揖斐高先生は書いておられます(下巻、485頁)。

漢詩は学校でちょっと習ったなという人が大半でしょう。
漢詩のイメージは、漢字ばかりで頭痛がしそう、文語の読み下し文がものものしい、悲憤慷慨調で大げさで感傷的、といったところでしょうか。

今日は最後にそういったイメージを覆す楽しい詩を紹介したいと思います。

早春村を発つ
                  原菜蘋(はらさいひん)
人間(じんかん)の事を抛却(ほうきゃく)し                 
心頭 営むところ無し             
浪遊 余適を占め                  
独往 程を期さず                  
咄(とつ)咄(とつ)としてとして空に書する雁      
嚶嚶(おうおう)として谷を出づる鶯
留連 応(まさ)に限り有るべし
吾も亦(ま)た春を蹈(ふ)みて行かん

俗事を放棄したので、
心の中に思いめぐらすようなことはない。
気ままな独り旅の心地よさを我がものにして、
道のりなどきにしない。
アーアーと鳴き交わしながら雁は空に字を書いて飛んで行き、
オーオーと鳴き声をあげて鶯は谷を出る。
旅先での逗留にはきっと限度というものがあろう。
私もまた春景色の中に歩きだそう。
(読み下し文と訳は揖斐高、岩波文庫『江戸漢詩選 下』310~312頁より。)

特に後半、読んでいるととても楽しい気分になってきます。
オーオーと鶯が鳴くというのはちょっと妙ですが*、

 

 

 

 

谷を出て行こうという気分には合っているような気がします。
最強寒波襲来中ですが、春になったら旅に出たいなと思いました。

 

*その後、岩波文庫の「王朝漢詩選」(小島憲之編)を読んでいると、
幽谷の來鶯(らいおう) 客啼(かくてい)を助く
という句の語注に
「来鶯」と供に、『毛詩』(小雅「伐木」)「伐木丁丁(とうとう)、鳥啼く嚶嚶。幽谷自り出でて、喬木に遷る…」を踏まえる。(p.188)
とありました。

(『毛詩』は『詩経』のことです。)
あらためて、「新漢語林」で「嚶」を引くと
「字義」鳥が仲よく鳴きかわす声。転じて、友人がたがいに励まし合う声。「嚶嚶」
と書いてあります。
まず、辞書をひいてみるべきでした。
典拠を踏まえて作詩するのが原則ですね。
ついそれを忘れていました。

<タイトルについて>
フランス語で「女性詩人」はpoétesseといいますが、『新スタンダード仏和辞典』によると、「この語は卑しめた意味を持つ傾向にあり、女性についても poèteを用いる方が普通」とあります。それで「ポエテスと呼ばないで」を女性詩人について気ままに綴っていくシリーズのタイトルとしました。