マリー・ダグーの自伝『雪下のマグマ』が書店に並んでから1年になろうとしています。 去年出版社からの売り上げ報告が届きましたが、なんと3月から8月まででたったの1冊しか売れていないとのこと。
幸いまだ京都の丸善ではフランス史のコーナーに置いてもらっていますが、このままではいずれ裁断の憂き目にあいそうです。
定価を高く設定しすぎたかと後悔していますが、高すぎると思われるようでしたら学校の図書館や公立図書館などで購入希望を出してみて下さい。
原著フランス語版の注釈を全訳したほかにも訳注をかなり加えています。
原著の注釈は人物についてはほぼ完璧に調べ尽くしていますが、文学作品や音楽関係はけっこうなおざりなところがあります。
一例を挙げるとヘルダーリンのドイツ語の詩が引用されている箇所があるのですが(拙訳96頁)、フランス語訳も詩の題名も記されておらず、そのドイツ語はどう頭をひねっても理解できないものでした。
調べてみるとGott(神)を誤ってGolt(金)としていたせいでした。
そういった点も訂正してあるので、フランス語で原著を読んでみようという方にもお役に立てるのではないかと思います。
マリー・ダグー関連の著作を振り返ってみると、まずD・デザンティ著『新しい女』(藤原書店 1991年)をあげることができます。
おそらくまるまる一冊マリー・ダグーを主題とした、日本語の本としては初めてものです。
『新しい女』は索引、マリー・ダグーを中心とした系図、参考文献、さらには主な登場人物の頁まであってなかなか充実した、そして気が利いた著作となっています。
ところがその389頁には「息子ダニエルの誕生(1939年1月)」と明らかに誤った記述がなされています(新装版は未確認)。
丁度100年、年代を誤るというのは、なぜかよく見られる過ちで、私もやってしまったことがあります。
ちょっと注意すればほかの本でもきっと見つかりますよ。
2023年には新装版が発売されてしばらく書店では『女が見た1848年革命』とともに表紙の見える展示がなされていて、
背表紙しか見えない『雪下のマグマ』より目立っているのがうらやましかった覚えがあります。
その後2005年には、坂本千代著『マリー・ダグー 19世紀フランス 伯爵夫人の孤独と熱情』(春風社)が出版されました。
デザンティの本が索引まで含めると407頁もあるのに対して202頁とコンパクトにまとまっているのが長所です。古本のみ入手可ですね。
日本語で読めるマリー・ダグー自身の著作は拙訳『巡礼の年 リストと旅した伯爵夫人の日記』(青山ライフ出版 2018年)までありませんでした。
これはリストとの蜜月時代のマリーの日記です。ほんの数頁ですが、リストの日記も収められています。
マリーは夫と娘をおいて駆け落ち同然にリストとの旅に出てしまったので、当時は大スキャンダルになってしまいました。
しかし、やがてリストが本格的にコンサート活動を始めるとだんだん齟齬が生じてきます。
マリーは作曲に専念してもらいたかったようですが、お金になるのはライブ活動の方だし、やはりお金が必要という事情もありました。
何よりリスト自身ヴィルトゥオーゾとしてコンサートに生きがいを感じていたのは間違いないところでしょう。
コンサートのためヨーロッパ中を飛び回っていたリストは浮気し放題だったかもしれません。
最後まで独身だったリストに生涯何人恋人がいたか分かりませんが、マリーがリストに言った言葉として「私はあなたの愛人でいいけれど、愛人の一人というのは嫌よ」というのがあります。
マリーが特別だったのはリストの子供を産んだからというだけでなく、リストと別れた後、作家になって遠い日本の辞書にまで名前を残したということです。
(詳しくはharicot rougeのブログ「2024年版 マリー・ダグーを知っていますか?」参照。)
リストが後半生をともにしたヴィットゲンシュタイン侯爵夫人もまた本を書きました。この「恐るべき著作家」についての話はまたの日に。
マリーは小説も書きましたが、代表作は『女が見た1848年革命』という同時代史です。(ただし、原著の題名を忠実に訳すと「1848年の革命史」で「女が見た」は日本語版独自のおまけです。)世界史で習った二月革命を思い出して下さい。
『1848年の革命史』は1850年から1853年にかけて3巻本として刊行されたものです。
たしかに名著といっていいものではありますが、あくまでもテーマは歴史上の一事件です。
一方、『雪下のマグマ』は自伝なので、おもに19世紀前半に貴族の女性がどう生きたかが語られています。
王政復古期のフランスの貴族社会を描いた小説としてはスタンダールの『アルマンス』などがありますが、
―マリーはアルマンスと1歳違いです―
当の貴族自身が名レポーターとなって内側から語ってくれているところが値打ちです。
印象的だった一場面は王様に拝謁するときのことです。
王様に向かって、宮廷礼服の長い裾を引きずって歩いているうちにこんがらがった襞のよりを戻すために裾を蹴らねばならなかった、
とマリーは『雪下のマグマ』214頁に書いています。
こんなことは男にはけっして書けないでしょう。
『雪下のマグマ』は「女が見た 19世紀」とも言えますね。
また、「第三部 情熱」ではリストとの出会いからジュネーヴでの同棲生活までが小説風に語られています。
同棲時代全般の日記『巡礼の年』と併せて読まれることをお勧めします。
日本語で読めるマリーの作品は、私の訳した『巡礼の年 リストと旅した伯爵夫人の日記』(青山ライフ出版)、『雪下のマグマ 伯爵夫人の自叙伝』(2023年1月 青山ライフ出版)、『女が見た1848年革命』と三作になりました。
『巡礼の年』も『雪下のマグマ』もともに自費出版で300部刷って、220部が流通しています。
『巡礼の年』は2022年2月頃に完売しました。
宝塚のミュージカル『巡礼の年』の製作発表があった頃なのでそのおかげかと思います。今でAmazonの電子書籍kindle版で購入できます。
(『雪下のマグマ』は紙とkindle両方)
ただ注意していただきたいのはどちらもkindle版は検索機能が使えない、ということです。出版社によれば注釈が多すぎて検索するとぐちゃぐちゃになる、とういうのですが、残念です。
さて今翻訳進行中なのは『音楽バシュリエの書簡集』です。
リストのフランス語の著作集に収められている旅行記、もしくはエッセイ集です(内容はharicot rougeのブログ『リストのピアノ大喜利?~建築と音楽』参照) 1835年⒓月から1841年9月までおもに『ガゼット・ミュジカル』という新聞に不定期に連載されました。時期的には『巡礼の年』と重なります。表向きはリストの著作なのですが、実はある程度はマリーが執筆したということは確かです。ただ、原稿が見つかって
ないらしく、どこからどこまで、ということははっきり分かりません。訳していると『巡礼の年』で読んだ文章がほとんどそのまま、あるいは少し形を変えて出てきます。だから私はこれをマリー・ダグーとフランツ・リストの共著として出版したいと考えています。英訳版もリストの著作という扱いなので実現すれば世界初とういうことになります。出版社が決まっていないので、出版社関係で興味のある方はご連絡ください。