リストはミラノでコンサートを開いたとき、観客からお題を募って、拍手が多かったテーマで即興演奏をした。以下『音楽バシュリエの書簡集』の第8書簡より引用してみよう(1)。
最後の音楽会(2)では、ホールの入り口にテーマの投票用紙を入れる素敵な銀の聖杯(カリス)が置かれていた。
凝った細工のその杯はチェッリーニの最良の弟子の誰かの作とされているという。
開票してみると、予想していたようにベッリーニやドニゼッティのモチーフはかなりの数にのぼった。
そして観客が大いにわいたのは、丁寧に折りたたまれた紙を開いて僕がIl Duomo di Milano[ミラノの大聖堂]と読み上げたときのことだった。
これを書いた無名氏は自分の選んだ案がずば抜けたものであるということを一瞬たりとも疑わなかった。
ああ、そうか、と僕は言った。
これは読書を活用した人だ。スタール夫人の定義を思い出したんだ。
曰く、音楽は音の建築である(3)。
その言の正しさを確かめ、二つの建築を比較するのは興味深いことだ。
大聖堂の正面(ファサード)の変質したゴシック様式と僕の音楽建築の風変わりな東ゴシック様式と。
快く動力学的な満足を与え、高名な作家の主張を確認するなり、反駁するなりできるようにしたいところだったが、観客は三十二分音符の小尖塔、音階の階上廊、十度音程の鐘楼の尖塔がそびえ立つのを見たいという熱意を見せなかったので、僕は先へ進むことにした。
スカラ座の聴衆がもっと拍手をしてくれたらよかったのに。
リスト作曲の『ミラノの大聖堂』という曲があったら聞いてみたかった。
ピアノ大喜利の話はまだ続くのだが、ゆくりなくも思い出したのは昨年びわ湖ホールへ聴きに行ったアリス紗良オットのコンサートEchoes of Lifeである。
建築と音楽の融合というテーマで大ホールの背景に建築のビデオが映し出される中、武満やペルトの曲を挟みながらショパンの『24の前奏曲』全曲を演奏するというものだ。
アニメがあまり絵としてたいしたものではなく、特にストーリーがあるわけでもないので、この演奏+映像方式にはおおいに疑問を感じて英文エッセイAlice's architectural dreamを書いた。
https://alls-well.cms.webnode.jp/ess/
物理的に考えれば、コンサートは演奏家、楽器、ホールの三者が相まって成立しているもので、普通に演奏会を開けば音楽と建築は融合する、というべきか、共働しているわけだ。
一方音楽と建築をアナロジーで捉える考え方はそれほど突飛なものではなく、フェノロサが薬師寺東塔を見て「凍れる音楽」だと名言を吐いた、ということを思い出される方もあろう。
インターネットで調べると、この名言のおおもとはシェリングらしい。
音楽は音の建築である、という言葉も発想は同じだろう。
リスト(もしくはマリー・ダグー)はこの言葉がかなり気に入っていたのか第16書簡の最後の方でも引用している。
「音楽は音の建築物である*」からなのか、「建築は凝固した音楽である**」なのか僕には分からない。この二つの藝術の間に特別な関連があるのかどうか知らないが、古い大聖堂を思い浮かべるといつも妙に感動してしまう(4)。
建築にひかれる音楽家も調べればほかにも出てくるだろう。
それはいいとしても、アナロジーはあくまでアナロジーなので、両者を融合させようとするのは平行線をむりやり一本にしようとするようなものではないか。
これがアリス紗良オットさんに言いたいことだ。
また建築から離れて、映像を加えることを演奏会の演出の試みとして捉えることもできる。
それでもビデオ・インスタレーションと称するあのアニメはやはりいただけなかったと思う。
アニメを新海誠監督にでも頼むか、リストが好きだった大聖堂の写真でも写しだした方がよかったろう。
演出という点からは、兵庫県立芸術文化センターで行われた、アリスさんのコンサートが印象に残っている。
前半はおもにグリークの叙情小曲集、後半はリストの『ソナタ』だった。天使と悪魔というテーマで衣装は前半は白、後半は黒ずくめで、とくに後半照明をピンスポット一本に限ったため、ピアノの周りには闇が立ちこめ、たしかに「悪魔」のイメージを彷彿とさせていたように思う。
その何年か後、フェスティバルホールでのコンサートでは特別な演出はなく、どんな曲が演奏されたのか、もうよく覚えていない。コンサート終了後サイン会があったので、拙訳『巡礼の年』を進呈した。リストの恋人だったマリー・ダグーがともに旅をした頃の日記である。リストには『巡礼の年』というピアノ曲集があるが、名曲を生んだ旅の記録なのでピアニストには興味があるかと思ったのだが、読んでもらえたかな。フランス語の原著より注釈が詳しくなっているが、今はkindle版しかない。
千篇一律なクラシックの演奏会を少しでも面白くしようと努力するのは結構なことだ。
リスト自身ピアノ大喜利?を試みたくらいなのだから。
(1) 『音楽バシュリエの書簡集』はリストがマリー・ダグーとスイス、フランス、イタリアの各地を旅していた頃に書かれた旅行記、もしくはエッセイ集である。
(その頃マリーが書いた日記が拙訳『巡礼の年』である。この日記とほぼ同じ文がときおり『音楽バシュリエの書簡集』にも見出される。)
おもに『ガゼット・ミュジカル』という新聞に不定期に連載された。
リストのフランス語著作集に収録されているが、実際はある程度マリー・ダグーが執筆していた、ということは確かなのだが、どの程度、どこからどこまで、とははっきりえいないのがもどかしい。
私はこの作品を翻訳し、リストとマリー・ダグーの共著として出版したい、と考えている。
以下に続く引用箇所はFrantz Liszt、Artiste et société, Frammariion, 1995所収のLettres d'un bachelier ès musique, p. 126
(2)1838年3月15日。
(3) スタール夫人のどの著作にこの言葉が書かれているのか不明。
(4)前掲書p.207参照。
「建築は凝固した音楽である**」の方は自注**でヴィクトル・ユゴーの言葉だとしているが、kindle 版のユゴー全集では見つからなかった。