『レイディマクベス』というタイトルから、

シェイクスピアの「マクベス」をマクベス夫人中心に読み替えてみようという試みだろう、

と見当をつけて見に行った。

その予想は半分あたり、半分外れていた。


マクベス夫人は軍人だったが、

妊娠出産育児のため家庭を守るようになって、娘は16歳になった。

夫と供に国を治める夢を持っている。

病に倒れた王を自ら殺害する寸前までゆくが、結局王は病死し、

夫であるマクベスが王位に就く。

このマクベス役がポスターなどで天海さんと一緒に写っているアダム・クーパーという人で、

たまに口を開いても、(よく台詞は覚えていないが)はい、とか、ああ、とか一言だけ。

王になったはいいけれど、なぜか機能不全に陥って、軍に出陣の命令を下せない。

マクベス夫人が命じても、軍は王の命令でないと動かない。

 

『レイディマクベス』の世界には外交というものはない。

和平交渉という選択肢はない。

殲滅するかされるかの二択しかない世界に単純化されている。

マクベス夫人はピストルで夫を撃ち殺し、王位に就く。

しかし王位に就くとやはり、悲惨な戦争に兵士を送れない。

結局娘に撃ち殺される。

王位に就くことになった、マクベス夫人の娘が発する

「どうする?」の一言を聞いたとき、

それが最後の台詞だと確信できなかった。

 

そのときは、あまりきまらない台詞だなと思ったのだ。

しかし、ロシア軍のウクライナ、イスラエル軍のガザ侵攻に続いて、

中国の台湾侵攻が憂慮される今日この頃、

これはまさにわれわれに突きつけられた問ではなかろうか。
 

タイトルからして、テーマは「女性と権力」だと思いこんでいたが、

むしろ、戦争の悲惨さと、その避けがたさがテーマなのだろうか?

 

ときどきうつらうつらしながら見ていたので、

台詞の織りなす独自の作品世界を捉え損なっている面もあるだろう。

そこで原作の戯曲を読んでみようかと思った。

原作者はイギリスの女性作家ジュード・クリスチャンということだ。

amazonで検索してみたが、戯曲本はでていないようだ。

残念。


シェイクスピアの面白さは、

たくさんの登場人物が入り交じってレトリックの限りを尽くした台詞をぶつかり合わせたり、

悲劇の中に道化が出てきたりして、

世界が絢爛かつ混沌としているところだと思うのだが、

本作は『マクベス』のどうしても外せない核ともいうべき、

王を殺してかわりに王位に就く、という

王権の簒奪と王権の行使=戦争の遂行という点を中心に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロットをそぎ落として、ある種きわめて純化された世界となっている。

舞台装置も人が数人入れる黄金のリングだけだった。

王冠のイメージだろうか。


天海祐希は場を支配する力も美しさもあり、文句なく名演だった。

意外とスリムなのに迫力があった。

ともかく天海祐希を見られてよかった。

その他テレビでお馴染みの俳優陣としては、鈴木保奈美、要潤、吉川愛も出演している。

 

 

宮下今日子と栗原英雄を加えて全7名のキャストで

皆さん気合いの入ったいい演技だったと思うが、

アダム・クーパーは本当に名優だったのかどうか、結局判断出来なかった。
 

京都劇場での公演は11月27日(月)まで。