京都市交響楽団の第638回定期演奏会(土曜)に行ってきました。メインは尾高尚忠の交響曲1番です。

当日配られたパンフレットによると、第1楽章が1948年に管弦楽懸賞で1位を受賞し、同年初演されましたが、尾高は1951年に過労のため39歳の若さで他界してしまいました。2005年になってほぼ完成した第2楽章が発見され、2006年に初演されたとのことです。

演奏前に指揮者の太田弦氏によるプレトークがあったのですが、ブルックナー風という言葉が2回出ました。私はブルックナーが大好きなのですが、全体のスケールの大きさ、大迫力の爆音と静かな優しい部分の対比など確かにちょっとブルックナーというか、堂々としたロマン派の交響曲ですね。第1楽章の第2主題は郷愁を感じさせるような優しい旋律で、西洋の作曲家には書けないんじゃないかと思います。
 第1楽章(マエストーソ)はジャジャーンと景気よく終わるエンディングなんですが、終わったとたん1階の前の方から中年男の大きな声で「ブラヴォー」が聞こえてきました。

第2楽章が残っているのに!

舞台の上の音楽家たちの間には、「どーする?」とでもいうような妙な雰囲気が漂いました。

すると明らかにブラヴォー氏の「最後までがんばっていこうよ」(もう記憶が曖昧になってちょっと違う言葉だったと思いますが)という声が聞こえてきました。

多分京都コンサートホールの千人以上の人が心の中で「おまえのせーだろ」とツッコミを入れていたと思いますが、その後再開された演奏は無事最後までたどり着きました。
 あの場合「間違えました。すみません。演奏を続けて下さい。」と言うのが礼儀正しい態度だったでしょうが、かえって余計しらけるような気もしますね。

間違えたくせに偉そうな一言で結果はよかったのか?

いっそのこと「第2楽章はブラヴィッシモ(ブラヴォーの最上級)だ。それ行け」とか。第2楽章はとても静かなのでそれ行けっていう感じじゃないですね。

名案があればおしえてもらいたいですが……

 

 

 第2楽章は緩徐楽章なのでとても静かな終わり方です。こういう場合ブラヴォーは出にくいようです。
若い頃、シューベルトの「鱒」を聴きに行ったときのこと、途中で拍手をした人がいました。やはりジャジャーン型のいかにも拍手したくなる箇所だったんですね。そのときはピアニストのヤン・パネンカが右手を使って実に冷静に客を制して演奏を続けていたのが印象的でした。きっと前にも同じことがあったんだ、とその時思いました。

 大半の客が尾高向忠の交響曲を聴くのは初めてだったでしょう。でも今はYouTubeという便利なものがあって、向忠のご子息忠明氏指揮のN響の演奏が見られます。私は五、六回見て予習してから京都コンサートホールへ行きました。コンピューターにつないでいるスピーカーは安物なので、CDで聞けるようになるといいなと思います。
それからブルックナー風ということでいうと、諸井三郎の「交響曲3番」などいっそうそれらしいと思います。こちらはCDも出ていますが、京響でもとりあげてもらいたいものです。