Xmasに映画「アレクサンドリア」を観る | PARISから遠く離れていても…

PARISから遠く離れていても…

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術や、最近では哲学についてのエッセイなども。
時々はタイル絵付けの仕事の様子についても記していきます。

クリスマスツリーjoyeuses fêtes 
(楽しい休暇をお過ごしください)
下矢印

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、その他の宗教と

多文化の人々が暮らす国だから

さすがフランス!!  

 

 

そんな素敵なお祝いの言葉を教えてくれたのは

パリ政府公認ガイドの中村さんのYouTube

昨晩のイブキラキラにピッタリの動画だった。

コンビニで買ったモンブランを食べながら鑑賞。

 

「クレッシュ」とはキリストが生まれた場面を

人形によって表わすもの。

 

私はこの時期にパリへ行ったことがないので

中でもフランシスコ・ザビエル教会

幅8メートルもに渡る見事な様子と細工に

ぜひ本物を観てみたくなった。

 

 

あと、もう一つは前から気になっていた映画で

この時期にまさに観るのにふさわしいかなと。

 

Prime VideoチャンネルのプラスGAGA作品が

14日間無料だったのでそちらを利用。

 

2009年 スペイン映画/ アレハンドロ・アナメール監督作品

(スペインのアカデミー賞といわれるゴヤ賞で7部門を独占)

 

 

 

4世紀の終わりにエジプトの「アレクサンドリア」で

哲学(天文学)者として生きた実在の女性ヒュパティアの悲劇。

 

ローマ帝国が崩壊寸前と言われる時代。

古代の神々が崇められる一方

キリスト教とユダヤ教と三者が一触即発状態に。

宗教同士の対立や戦闘シーンも

現代と違って武器は刀剣がメインでも

この時代からの憎悪は今へと尾を引きずっている。

「我らユダヤ教徒なくしてはキリストは生まれなかった。

イエスはユダヤ人だ」

そう訴えるユダヤ人の言い分と

「神の子が立っていても人にしか見えなかった」

そう言い返すキリスト教徒の言い分。

 

 

そんな世界とヒュパティアは一線を引いている。

ヒュパティアが愛したのは宗教ではなく

夜空の星星を眺めること。 

 

 

彼女を取り巻く何人かの男たち。

その中の二人は彼女の弟子だったが

時代の変遷と共に大出世を遂げた。

ローマの長官と地方の司教という位へと。

 

だが彼らは彼女のことをいつも

先生と呼び敬愛し続けた。

それ以上の気持ちを抱いたとしても

彼女が受け付けなかったのだ。

 

「私の夢は宇宙の秘密を少しでも明らかにすること。

答えに少しでも近づければ幸福に死ねる」

彼女はそういう女性だったから。

 

まだ天動説が信じられている時代に

彼女は疑問を解明したい思いで一杯だった。

その思い、少しだけ私にもわかるような気がする。

 

 

「私は哲学を信じています」

その毅然とした態度を貫こうとしたことの

いったいどこが悪かったというのか。

 

 

ところで史実としてはその通りだとしても

映画の面白い所はやはりフィクション部分。

彼女の弟子ではないが

ある取り巻きの男の一人を

物語の狂言回しとして設定したことだろうか。

この存在があればこそ物語は

奥行きを増し情感を揺さぶられるからだ。

 

ところで最後のシーン

一度見ただけではわからず

何度も今日になって見返したのだが

どうなのか……私の考えすぎなのか?

誰かわかったら教えてほしい。

 

 

それにしても舞台のアレクサンドリア図書館

消失してしまったのは惜しい。

どれほどの英知が灰と化してしまったかと思うにつれ。

 

 

赤薔薇

 

 

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by vingt-sann

 

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