はじめに
普通に旅行記として読んで頂いてももちろんOKですが
このシリーズはテーマに掲げているように
今年5月に<港の人>より出版された
『聖人伝 プロティノスの彼方へ』立木鷹志著
こちらの小説の舞台でもある場所の紹介になります。
途中で幾つか“注目ポイント”というものが登場するので
それを参考に想像の夢を膨らませて頂けたらと願っています。
(前回の記事)
そ
れ
で
は
さあ、一緒に On y va( Let's Go!)
まるで要塞のような<サン・キリアス参事会管理聖堂>
長すぎて舌を噛みそうな正式名称だから
今度出てきたら他に呼び方を考えようかな。
その次に向かったのは
町いちばんの高台にあるシンボル、<セザール塔>。
前回の地図をもう一度拡げてみよう。
Ⓕのサン・キリアス✞からⒺのセザール塔を目指そう。
迷う心配はない。
塔は逃げも隠れもせずにそこに見えているので
バベルの塔を登る要領で緩い坂をぐるぐると登って行けばいい。
だんだんと塔はその全貌を現し始めた。あともう一息。
ごっつい石塀に囲まれて威圧感が半端ない。
12世紀に建てられたロマネスク建築
シャンパーニュ伯爵家の権力のシンボルだ。
注目ポイント一つ目
ゴーンゴーンだったか、それともカラ~ンカラ~ンだったか忘れたが
空の上から鐘楼が鳴り響いてきた。
セザール塔に到着。
ここまでやって来てただ黙って指を加えていても仕方ない。
う~んとぉ・・・
もちろん造りからいってもエレベーターなどはあるはずもない。
(寧ろあったら興覚めだけどね)
知っている人もいると思うけど、実は高所恐怖症の私。
でもここまで来たらやるしかないっ!!
というわけで狭い螺旋階段をぐるぐるとー。
まだまだこの程度ならぜんぜん平気。
まだまだ余裕あり。屋根より高い🎏鯉のぼ~りぐらいかな。
だいぶ登った気が・・・でも手摺があるし、下を覗き込まなければね。
やったー頂上へ到着。(25メートルとちょっとの高さがある)
見てよ。この眺め
プロヴァンのパノラマが見放題
で、あの時は気が付かなかったけど目の前に
さっきのキリアス✞が見えているじゃないの。
シャンパーニュ伯も塔の上から満足気に浸っていたんだろうな・・・
なにせフランス王も羨む富と権力の封建領主ぶり
などとお気楽に思うのはちょっと甘すぎる考えかも。
このセザール塔の役割は監視塔や牢獄であるのだから。
敵の侵入を防ごうと城壁を巡らしていた中世のこの時代
いつ攻めてこられるのか内心は気が気でなかっただろうと。
そんなことを考えてへっぴり腰で風景を眺めているうちに
今回もあったちょっと嬉しい発見のこと思い出した。
今は城壁の一部しか残っていないプロヴァン城だけど
以前記事で書いた「エロイーズとアベラール」の往復書簡集。
実在の人物なんだけど覚えてるかな。
「あのアベラールが一時期敵対者たちから追われるように
プロヴァン城内のトロアの修道士たちの籠る一小堂に滞在した」
という記述を見つけた。
伯爵自身とも親しかったようで
彼に同情しその場所を提供してくれたんだった。
些細なことに思えるかもしれないけど
こうしたことで歴史というものが
少しずつ身近になってゆくように思うんだ。
:下界に降りて・・・
旧市街の街の中心シャテル広場Ⓒまでやって来ると
向うから現れた観光列車(プティ・トラン)の姿に
一挙に遊園地気分が盛り上がってきた。
一日中乗り放題(歴史解説テープ付)で歩くのが苦手な人によさそう!
通りの店のディスプレイもどこかメルヘンティック。
しばし通りを散策。
今回の旅の目玉の一つである建物の前に辿り着いた。
その名はグランジュ・オ・ディーム(十分の一税納屋) ※地図Ⓑ
十分の一税とは中世のヨーロッパで教会が
その教区の農民から収穫物の10分の1を徴収した税のこと。
建物としては典型的な12,13世紀の家屋。
現在は博物館として当時の商人や職人たちの様子を展示。
さっそく中へ入ってみよう。
地下に降りると
注目ポイント2つ目
まず驚かされるのは外からは窺いしれない空間が
アーチ型の柱の下に拡がっていること。
上下2つの画像は観光局の小冊子より転載
商人や職人たちによるシャンパーニュの定期市の雰囲気が伝わって。
十分の一税で徴収した収穫物の倉庫や定期市の貯蔵庫としても使われたんだ。
尚、テンプル騎士団だけはこの税を免れたらしい。
『騎士伝説』華々しくテンプル騎士団や他の多くの騎士団等も活躍し
シャンパーニュ伯アンリ1世自らも1147年の第2回十字軍遠征や
1179年にもフランス人騎士たちの1人としてエルサレムへ赴いた時代。
テンプル騎士団が教会は元より、王や領主や貴族また全ての人々にとって
いかに助けとなり心の拠り所となっていたかがわかるというものだ。
Tithe Barn=La Grange aux dimes(グランジュ・オ・ディーム)
英語による無料版の小冊子にはかれらの職種がいろいろと記されている。
建物内での写真がないのはおそらく だったのだろう。
その中でもこちらの方の職種は
答えは→→採石師 (画像拝借)
プロヴァンは中世当時は羊毛業が盛んで
加工のために必要な鉱物を採取するための職業である。
注目ポイント3つ目
写真中央の入り口からさらに階下の石切り場へと通じている。
残念ながらご覧の通り、鉄柵があって見学はできない。
が・・・
ガイド付きのツアーに申し込めば見学可能。
残念ながらこの時点ではそれに気付かず。
回想
プロヴァンの旅はパリ近郊の町ということもあり
当時は夏のバカンス時期であったので
何も考えずに観光気分に浸りたいという思いが強かった。
だから当然私自身は下調べなどは皆無で現地入りした。
だが今思えば、『聖人伝』の小説にとっては重要な場所になるので
もっとしっかり見ておけばよかったと思う。
もちろん場所そのものというよりもあくまでもイメージとして。
そのような意味を込めて足りない部分を補いつつこれを書いている。
(地下通路、または地下道見学について)
これは地下通路のガイドツアー用の地図
赤印の場所からツアーが出発する(Saint-Thibault street)。
見学時間は約45分。
具体的にはこの場所のようだ。
l’Hôtel-Dieu(ホテル・デュー)と言う名の
貧しい人々や病人のための施寮院。
元は伯爵夫人邸だった。
この地下が地下通路になっている。
(※この他にも例のサン・キリアス✞の
地下礼拝堂からもツアーが出ているようだ)
プロヴァンの町の地下にはこのような地下通路が
迷路のように張り巡らされている。
全長は10数キロにも及ぶようだが、見学が可能なのは250メートル程。
それでもガイドなしでは方向感覚が狂い迷ってしまうそうだ。
ところでなぜ、この地下通路が造られたの
先程少し触れたように羊毛業の染め抜きに必要な鉱物を
採取するための石切り場として適していたのは事実。
後に個人のワインの貯蔵庫として使われたりしたのを表す
文字や印があちこちの壁に刻まれている。
資料や文献は残っていないため確かなことはわからないが
フリー・メイソンを連想させる文字や記号なども多数あり、
第二次世界大戦中のレジスタンスの隠れ処としても使われていた?!
というような説があっても不思議ではない雰囲気がある。
こういう場所はやはり想像力の源泉になる場所だと思う。
これはシャテル広場Ⓒにある昔の井戸
もちろん現在は使われてはいないけど
この井戸の中を下りていったらどうなるのだろう。
地下通路へと繋がっているのだろうか
『聖人伝 プロティノスの彼方へ/立木鷹志著』 出版元/港の人
週刊読書人2021.8/6号に書評が掲載されました!!
コチラをクリックして頂くと全文が普通の大きさで読めます。
輻輳する意味を読み・書く技術の復権を示唆する本
須川 静雄(すがわ・しずお=編集者 )
私の書いた以前の記事とAmazonレビューをまだ読まれていない方はコチラもぜひ
最後にPROVINSの思い出の写真を一枚
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