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前回2018年にシリアでの人質から解放されたフリージャーナリストの安田純平氏の、その“経験”などを踏まえた戦場報道についての捉え方、また現在の状況などについても私的意見を交えながら述べさせてもらった。今回はそれを「危険地報道」という言葉に変えて、その仕事に携わる安田氏以外の人々の意見にも耳を傾けてみたいと思いながらこちらの本を読んでみた。
集英社新書 760円+税
この本は、第一章から第五章に分かれ、「危険地報道を考えるジャーナリストの会」の10名の人々がそれぞれの立場から考えや意見を述べたものだ。以下順番にその概要を伝えていく。
<第一章 後藤健二氏の人質・殺害事件がもたらした影響>
まずは会の中心で執筆を呼びかけた一人である石丸次郎氏<アジアプレス・インターナショナル大阪オフィス代表>が、この事件がジャーナリズムに与えた影響について、事件は日本社会のジャーナリズムに対する理解の弱さと民主主義に対する未熟さを露呈した。「迷惑をかけるな」という人々の声の大きさと共に。安田氏の例に漏れず、外務省によるジャーナリストの報道活動への干渉、その最たるものとしての旅券返納命令。シリア全域と隣国トルコの国境地区に出ていた退避勧告は最もレベルが高いとはいえ法的強制力があるものではない。何人ものジャーナリストが入国妨害を受けトルコでの入国拒否に遭っている。憲法21条の表現の自由、22条2項の移住の自由に反する行為である。そればかりか主要マスメディアに対し「いかなる理由であってもそれらの地への渡航を見合わせるように」と異例の要請を行った。しかし取材をするか否かは報道機関が独自の判断で行うべきもので、その「ものさし」は政府に委ねるものではないはずだ。
<第二章 ジャーナリストは「戦場」でどう行動したのか>
ここに登場する以下6名<敬称略>の名前と所属、活動歴などを先に記した上で、各報道者の立場から見る特徴的な意見を提示する。
●川上泰徳<中東ジャーナリスト。元朝日新聞記者の特派員として中東地域に20年間駐在>
中東特派員としての経験から、危険地取材は組織のジャーナリズムの意思と力量が問われ、記者の安全が確保できない場合は現地取材を断念せざるを得ないという結論もあり得るという。但し、いかなる理由があろうと渡航を見合わせるよう政府が法人保護を理由に圧力をかけた場合に、真剣な分析も検討もせず取材を放棄してはジャーナリズムの使命を担うことはできないと。過去に陸上自衛隊がイラクのサマワで行った復興支援事業、その撤退後の現場検証について氏が行った検証取材によりそのずさんな実態が明らかにされた。
●横田 徹<報道カメラマン。フリーランス。2014年に世界で初めてのISISの拠点ラッカを取材>
横田氏も2015年始めの後藤さん事件の後5月にやはりトルコから成田へと強制送還されている。その理由は前年にトルコ国境からイスラム国の占領地へ入り、本拠地ラッカを取材してトルコに再入国したためと言われている。彼の場合、ISISを取材出来て無事だったのも全てが偶然の成り行きだったろう。だが戦地取材へと彼を駆り立てる思いは、子供の頃に祖父たち帰還兵から聞いた戦争体験がその本質を知りたいと彼にこの職業を選ばせたという。戦争やテロを根絶することは不可能でもそれを回避することは可能、それには今までの戦争を検証していくことが必要で、自分たちフリーランスは独自の視点と長期的な取材でそれを正確に記録し世の中に発表していくことが役目だと語る。
●玉本英子<アジアプレス大阪オフィス所属。戦争、紛争地など戦火のなかでの市民の視点を中心に取材>
タリバン政権崩壊後のアフガニスタンで地元の女性たちに交じって頭にスカーフを被りながらの取材経験を持つ玉本氏。なぜ全身を覆うブルカを被り続けるのか?という欧米の物差しで眺めても、普通の人々の考え方や社会の違いを知らなければ実情を伝えることにはならない。彼女が撮った番組はドキュメンタリーとしてイギリスで放映された。危険地へ入る場合たとえ何か起きても自己責任を問われようと覚悟はしているが、危険を伴う前線へは通訳を連れて行かない。イラク人が拉致されてもイラク政府は動かないからだ。イラク軍に同行する場合は軍所属の通訳と行動する。また準備が整わなければ行かないという。
●及川 仁<共同通信社編集局ニュースセンター副センタ―長。旧ユーゴスラビア紛争終結後の和平プロセス、チェチェン紛争などを取材>
「政府に迷惑をかけるな。わざわざ危険な場所まで行って日本人が取材する必要があるのか」という人たちの中には、世界的なメディアのロイターやAPなどの通信社、CNNやBBC、ニューヨーク・タイムズなどからの情報を伝えればそれでよいと考えている人が多いはずだ。だがそれだけではニュースの切り口や分析、取り上げ方が欧米からの視点のみに限られてしまう。例えば2004年バグダッドでの米軍記者会見での「反逆者××人を殺害」という発表も、後に殺害されていたのは反逆者だけでなく女性や子供も含む多数の住民であることが判明。ジャーナリズムの役割はこの例からもわかるように、そこで起きていることや発表されていることが真実なのか、当事者以外の立場から検証し提示することにあるのだという。
●内藤正彦<テレビ朝日報道局ニュースセンター編集長。報道ステーションのニュースデスク、総合デスクを担当>
内藤氏もまた最初のうちはAP、ロイターなどの巨大メディアの存在に脅威を覚え、自身のモチベーションや現場に自分が行く理由について自問し続けていた。そんな中ガザ地区のある民家で行われた少年の葬儀に出席した際、突然の弔問にも関わらず周囲に快く受け入れられこう言われた。「わざわざ日本からこんな危険なところへ…あなたが日本語で日本の人たちにこのひどい状況を伝えてくれることは自分たちにはとても重要だ」その時に自分は日本人ジャーナリストしてこの悲惨な状況から逃げずに取材し、現地にとどまるしかない人々の苦痛、恐怖、心労、失望をできる限りわかりやすく日本の視聴者に伝えることこそ必要だという意識に変わった。これから<視聴者提供>の衝撃の瞬間の画像に取って代わられようとも、現場で何が起こっているのか責任もって伝えるのがジャーナリストの責務だと内藤氏は語る。
●高世 仁<82年に日本電波ニュース入社。現在報道・ドキュメンタリー番組の制作会社ジン・ネット代表>
この章の最後に登場する高世氏は、ジャーナリストという職業を火事場の現場に飛び込んでいく消防士にたとえ、ベトナム戦争当時はマスメディアも共有できていたこの仕事観が、近年自社スタッフの派遣自粛に伴い、フリーランスや独立系メディアがそれを補うという構図ができあがったという。それは何も戦地だけとは限らない。例えば東日本大震災での原発事故。マスメディアは政府が避難指示区域に指定したよりも広範囲から自社スタッフを引き上げさせた。結果として事故現場最前線である立入禁止区域での取材はフリーランスと海外メディアという事態になった。
<第三章 戦争報道を続けるために―過去の事例から学ぶべきこと>
映像ジャーナリストであり数々のドキュメンタリー映画を手掛ける綿井健陽氏は、同業者の報道関係者の<死>について様々な思いに駆られながら、同時にその死の背後にある多くの戦争犠牲者たちの思いも胸に刻み想像することの大切さを語る。人の生死をその場で記録する以上は自らの死のリスクも含め、戦争報道とは<それぐらいのことを>呼び起こすような映像や写真や活字を現場で記録することだと言う。また例の高遠菜穂子氏ら3人の日本人人質事件後の自己責任論についての人々の反応や扱いというものにも疑問を投げかける。何かのきっかけで持ち上げるか叩くかの一方方向に流れやすいというこの国の傾向というもの。一旦悪者とか胡散臭い目で見られようものなら集中攻撃を浴び<いじめ>や<集団リンチ>のような様相を見せる。「いま起きている戦争も、誰かが記録しなければ、後の人たちは知ることはできない。戦争の実態を知ることができなくなったとき、戦争が近づいてくる」という彼の言葉に、私も今まさにそういう時代が近づきつつあるような気がしてならない。
<第四章 米国メディアの危険地報道―日本との相違>
フリーランスのフォトグラファーとして主に米国メディアで20年に渡り仕事をしてきた高橋邦典氏は「個人主義」の米国と日本の「和を以って貴しとなす」との精神の違いを挙げる。米国では記事や写真は職人の作品であるという通念と共に署名が表記され、作品についての責任は自身が負うのは当然、良くも悪くも<自己責任>という考えが基本にある。日本については御承知の通りの実態で、その職務に対する本来の<自己責任>の意味を取り違えたバッシングが大手を振ってまかり通っている。日本政府のジャーナリストへの危険地取材に対する妨害はすでに述べたが、高橋氏も2006年の陸上自衛隊サマワ撤退の取材を試みようと管轄区域である英国政府に出したビザ申請が外務省を通じ却下された。これに対し抗議もせず政府の顔色を窺うように「虎穴に入らずんば虎子を得ず」のジャーナリズム精神を捨てた「事なかれ主義」のマスメディアたちの存在についても問いかける。
<第五章 危険地報道とジャーナリスト>
パレスチナ・イスラエルの取材を30年に渡り断続的に取材。ドキュメンタリー映画も数々手掛けるフリージャーナリストの土井敏邦氏は、世界各地での戦争や大惨事も日本人がらみでないと国民も関心を示さない。<自分たちと同じ人間がこういう状況に置かれている>と感じ取る感性や想像力を呼び起こすために素材を差し出すのもジャーナリストの役割の一つ。それを日本人にわかるように伝えるためには、現地に日本人ジャーナリストが行って伝える必要がある。今の時代、組織ジャーナリズムが一つのテーマをじっくりと追い取材する意義や余裕を失ったとすれば、その役割を幾らか補完できるのがフリージャーナリスト。民衆の中に入り等身大の生活や心情などを伝え続けることで、<戦闘>そのものでなくその根底にある<本質>と<構造>をえぐり出すことができると考えている。土井氏は冷静に自身の仕事を客観視しながら、ジャーナリストという仕事は他の職業と同じで生活の糧を得る<生業>の一つである。野次馬根性、好奇心、功名心、自己顕示欲、金銭欲もあるはずでそれでもいい、仕事の結果としてそれが人や社会を少しでも良い方向へと動かすことに貢献できればよいという。
感想として
フリージャーナリスト安田純平氏の人質事件真相をきっかけに、危険地取材の報道というものの実態が見えてきた。その背後にはいろいろな問題が隠されているようだが、他のジャーナリストたちは自身の問題としてどう向き合っているのか知りたいと思った。それと同時に危険地とは何も「戦場」だけを指すものではないのだという思いを強く意識し始めた。最後に登場して頂いた土井敏邦氏がこの会の名称に<戦場>ではなく<危険地>という言葉を使ったように、危険な場所は他にもいろいろ存在する。石丸次郎氏が長年追い続ける「北朝鮮」の取材では常に監視の目が光り拷問や死と隣り合わせであるし、例にも出した東日本大震災での原発事故の<放射能危険区域>での取材。彼らが命がけで取材したからこそ、放射能汚染の実態が暴かれ住民の避難へと至った。高世仁氏はその他にも自然災害の被災地や伝染病多発地なども危険地に含まれ、その線引きは一定したものでないという。そしていちばんの問題は、その判断に政府の意向が強く影響を与えるようになってきたと指摘する。これを聞くと、今まさに私たちが現在置かれている状況と酷似している。日々正体の知れぬ見えない敵であるコロナウィルスの脅威に晒され疑心暗鬼の状態にある私たちの生活。だがその裏では様々なジャーナリストたちが不確かな<最前線>で思惑を持ちつつも鎬を削って取材をしているに違いない。高橋邦典氏の言葉を借りるなら、つまり多くの人々は「ジャーナリストが現場に入り危険な思いをしながら取材した情報を享受している」ことになる。それならばせめてこの機会に「真実の報道」や「危険地取材」についてじっくりとそれぞれの頭で考えてみてもよいのではないかと思った。
よろしくお願いします