必読★カシス川/荻野アンナ著―そんじょそこらの闘病記とはちゃいまっせ~ | PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術、最近は哲学についてのエッセイも。
たまにタイル絵付けの様子についても記していきます。

今書いているシャルトル関連の参考図書を探し図書館の棚を眺めていて、タイトルに吸い寄せられるように手に取った本がこちらである

    文藝春秋刊   定価(¥1500+税)  

奥付をみると2017105日の発行となっている。

初出は文學界の20143月号~20177月号となっていて、7つの短編小説の連作を一冊にしたもので、最近は文芸誌をチェックすることもなくなったけど、その後作品をずっと書き続けられていたことを知り安堵とともに、感慨を覚えずにはいられなかった。

というのはもう大分前に荻野氏は大腸がんの手術をされ、それ以後は表舞台からは遠ざかっていたと勝手に思い込んでいたからだ。

さて『カシス川』とはどんな内容の小説なのか?

引用する代わりにプロローグの冒頭部分のページを紹介するので目を通して頂きたい。

まずここに書かれている“私”の身辺に関して語られている部分は、フィクションではなく全て現実である。

『カシス川』には著者自身のがん”の宣告から手術、闘病にいたる迄の経過がこと細かに書かれていて、ある意味での闘病記といえなくもない。最初に断っておくと、実は個人的にこの“闘病記”というのを読むのが苦手なほうで、それでも荻野氏の本だからということで読み進めていくうちに、どっぷりとその世界に嵌まり込みページを捲る手ももどかしく一息に最後まで読み終えてしまった。

改めてこの作家の魅力を思い知らされているというわけである。

カシス川の魅力の一つはその構成にある。

各短編には主人公の私と係わる相手が様々な立場で登場する。奇妙な額縁男、「にゃあ」としか答えぬ猫男、タウン誌の女記者。それぞれが主人公の思いや行動をあくまでも傍観者としての視線で作家は描く。時には自分自身のことさえこう表現する。

(引用) 

私の「今」は2012年の6月。

「私」は山田花子でも鈴木愛子でも構わないが、少なくとも樹理亜や星影夢ではない。昭和な感じ、ということだ。下腹に縦の傷跡が生々しいのは、5月に受けた手術のためだ。(中略)膵炎や膵がんとも、できるなら関わりたくはない、と思いながら酒をやめられない人物が「私」である。職業は大学の教員、売れない作家、娘。

彼女には母親がいる。いや、母親しかいない、と言うべきで、Kや父親をあの世に送り届けている間に、遠い親戚はますます遠くなった。

書かれている内容はとても現実的な描写でありながら、このように自らを努めて客観的な視点で捉えることにより、深刻さを回避し読み手側が物語の流れを冷静に見つめることも可能にする気がする。

またもう一つの魅力として忘れるわけにいかないのが、いつもの荻野氏の文体の魅力として挙げられる全編に散りばめられたダジャレや自虐的とも思えるユーモアの数々。

断編を並べてみる。

「できたのが結腸で良かった。ケッチョー毛だらけ」

 「そんなこと言ってたらお医者さんにケッチョーンケチョンにされちゃいますよ」

 「子宮がんはシキューに手術しないと」

 「悪いところがないのにケッカンとはこれいかに」

 みっしぇる、まべる、そんでもキヴォンとれびやんアンサンブル、とれびやんアンサンブル

数え挙げればキリがないが、これをなくして荻野アンナ氏の小説はあり得ないのだ。

余談ではあるが、1991年の芥川賞受賞の報せの電話に「あ、しょう」と応えた話は有名であるし、落語家の11代目金原亭馬生の弟子の2つ目として金原亭駒ん奈を名のってもいる。

荻野氏のダジャレやユーモアについては当然のごとく、フランスルネッサンス期の代表的なパロディー作家として名高い“ラブレー”研究者としての下地があってのことなのは言うまでもないが。

最初に『カシス川』はある意味での闘病記といえなくもないと書いたが、実はもう一つの視点から見れば、これは荻野氏が自らを一卵性母子と呼ぶ母親と娘との飽くなき闘いの物語とも読みとれる。

娘の病気にショックを受けながらも画家としてのエゴを通そうとする母親と、病気の身でありながらも世話を焼かずにはいられぬ娘との。

以上内容について語ってきたが、カシス川とはいったい何なのか?

それは読者が読み終えた後にそれぞれがその意味を考えるべきものであろう。

最後に改めてこの小説を読み終えて感心したのは、作者自身が肉体の病気ならず精神の病である“鬱”を同時に抱えながらもこの小説を書いていたということである。

画家(芸術家)としてのエゴを持ち続けることで自分自身を守らざるを得なかった一卵性母子の母親と同じく、作家も書くという行為のうちに己を解放しようとしているのかもしれない。

 

先の冒頭部分を読まれもし何か閃きを感じたなら、ぜひ手に取り続きを読んでほしい。全ての人に何らかの意味でエネルギーを与えずにはいられぬ、最近読んだ私一押しの小説だと断言してもいい。

 

(著者について)

☆横浜市出身/フランス文学者、小説家、慶應義塾大学文学部教授

☆慶應義塾大学仏文科卒業後、フランス政府給費留学生としてパリ第4大学(ソルボンヌ)に留学。ラブレーを研究

※主な作品と受賞歴

1991年「背負い水」で第105回芥川賞受賞

2002年「ホラ吹きアンリの冒険」読売文学賞受賞

2008年「蟹と彼と私」伊藤整文学賞受賞

 

 

よろしくお願いします

下矢印

      

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ

にほんブログ村