シャルトル②後編 ピカシェットの家。ある一つの愛♥の物語 | PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術、最近は哲学についてのエッセイも。
たまにタイル絵付けの様子についても記していきます。

前回とは趣を異にするこちらは青がメインの静謐な空間。

小さな礼拝堂と呼ばれている。

 

アーチの奥に見えるのは十字架に聖母、羊や野の草花などのモチーフ。

天井と床が一体になったような空間、一人静かに膝まずきたい場所。

中央の青い服に帽子の人物はイシドール氏自身?

これは想像だが、彼は日々の終わりにここで一人瞑想に耽り、

装飾に行き詰ったときなどは頭を休めたのではないか。

 

続いてこちらも!

                           礼拝堂(祈りの部屋)  ※1958~1962に制作

洞窟のような空間にキリストの生誕図を青と黒のモザイクで表現。

青は大聖堂のステンドグラスのシャルトルブルー黒は大地を表す。

 

イシドール氏は敬虔なクリスチャンであり、

神への信仰と家族への愛とが彼の想像力の源泉であった。

 

 

 

路地や塀、中庭などの装飾は1945年頃から。

『夏の家』の外壁には各地方の様々な聖堂が描かれている。

 

 

その中でもこちらに注目あれ!!

天辺の小さな大聖堂はこの家から見える大聖堂と同じ角度である。

いかに大聖堂が彼にとって身近で心の拠り所であったかが…。

 

 

 

家は増築工事を重ね1929年に土地を購入してから、実に15年以上の歳月を費やした。

 

 

その中でも今回特に注目して頂きたいのは

 

アドリエンヌがいっぱい!!(太陽がいっぱい)

 

この壁のフレスコ画の女性は彼の妻アドリエンヌを描いたものだ。

彼は24歳の時に11歳年上で再婚の彼女と結婚した。

家族の為に土地を買い家を建て、以後死ぬまで装飾に没頭したのはひとえに妻を喜ばせるため。

どういう経緯で知り合いどこに惹かれ合ったのか?一つだけ確かだと思えることが私にはある。

それは彼にとって彼女は彼の芸術を司るミューズであり、ユング流に言うなら“アニマ”。

彼の無意識が作り出した一つの人格、それは一人の女性の姿であり、

全ての男性の心の中にはこのような女性像が存在するという。

アドリエンヌは彼にとってそういう存在であったのだろう。

彼にとって彼女は太陽のような存在であったに違いない。

 

そういえば以前取り上げたニコラ・フラメルの妻も彼より10歳年上で、

再々婚の後に彼と結婚しフラメルよりも大分早く亡くなった。

彼女は、“愛しい人、良き友、同胞にして夫である”という言葉を遺言捕捉書に残している。

亡くなる迄の21年間やもめ暮らしをした彼は彼女以外の女性は考えられなかったのだろう。

となれば妻のペルネルも彼にとって“アニマ的な存在”だったのだろうか。

 

 

モナリザも彼が好んだモチーフの一つだが、おそらく描きかけ??

この小さな空間は柱の装飾以外は手付かずのまま…。

 

 

今度は奥の庭へ出てみよう!

 

庭作りは1938年頃~。彼にとってはホッとできる作業だったのではないか?

 

 

エッフェル塔もお気に入りの題材の一つ

 

 

通路を出た庭先には…

 

こんなとこに2人の肖像が!!

 

軒下の壁に描かれていたフレスコ画。

最初は何故こんな陰になる場所にと思ったが、今これを書いていてふと思った。

雨風をよけ直射日光をなるべく受けないようにするための心遣い。

白いウェディングドレスのアドリエンヌとタキシード姿のイシドール夫妻。
ちょっと戸惑ったような表情を浮かべる妻の手をしっかりと握る夫。

再婚の妻と…2人が結婚式を挙げたのかはわからないが、

愛し合う2人のいつまでも変わらない姿を残しておきたかったのだろうか。

 

 

通路の壁にもアドリエンヌがいっぱい!!

 

アドリエンヌ、アドリエンヌ…どんだけ~彼女にぞっこんだったのか~ラブ

それだけ彼を虜にし続けた彼女はどんな女性だったのか?

 

 

キッチンで写真に撮られる2人。撮ったのは息子だろうか?

距離は離れていても2人の表情から仲睦まじさは伝わってくる。

 

 

 

それなのにあんなにも大好きだった妻よりも先に

1964年の64歳を迎える前日に彼は亡くなった。

 

晩年、1945年頃から彼は精神を病み病院に入院した。

長期に渡る殆ど籠りきりの制作はおそらく自分との闘いの日々であり、

彼の想像力の源泉であった神への信仰と家族への愛、

また彼にインスピレーションを与えたという夜に見る夢も

そのような日々の中では枯渇していく他はなかったのだろう。

それでも1949年に退院後は墓守として働きながら再び制作を続行した。

そして1964年の嵐の夜せん妄状態に陥った彼は、

家から逃げ出し捜し出された後にまもなく亡くなった。

 

「無名って悲しいね」

というのは何かの小説に出てきた台詞だったか?

 

それが結局は彼を死へと追いやったのだろうか。

 

彼の芸術はアール・ブリュットというものに属すると言われているが、

これに関してはまた改めて記すつもりだ。

 

 

    (Ovniより画像を拝借しました)     

 

シャルトルの街並みと大聖堂が見える場所に墓地はある。

あの小さな天辺の大聖堂とも同じ方向である。

 

わざわざモノクロとカラー写真の2つを並べた理由は、

前者には彼の名前だけが、こちらにはアドリエンヌの名前が追加されているから。

彼女が亡くなったのは1986年の97歳、イシドールの死から実に22年後である。

 

 

よろしくお願いします

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