昨日8月15日は戦後74回目の終戦記念日だった。
全国戦没者追悼式典の映像を見ながら、私達は誰もが何よりも平和が大事、戦争などという過ちを二度と犯してはならないと願う。広島、長崎の原爆投下の悲惨さも私達は何となく知ったつもりになっていないだろうか。
だが具体的な見方をするなら、この日は8/14に日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏による敗戦を認めた日であることを忘れてはならない。
陸海軍の大元帥であった天皇は、ラジオによる「玉音放送」で国民に戦争の終結を告げた(航空特攻を推進した海軍中将は翌16日に割腹自殺を遂げている)。
去る8月4日(日)に国立市公民館で<平和ついて考える連続講座>③として開催された『特攻の真実 なぜ誰もとめられなかったのか』に参加した。
講師は大島隆之氏。著書『特攻 なぜ拡大したのか』幻冬舎2016/7/30を中心に解説がなされた。これは同タイトルで同年にもNHKスペシャルとしてとして放映されたので御覧になった方もいるだろう。
全体の流れとしては約2時間のうちの1時間半で、
1.特攻とは何か
2.なぜ始まり、なぜ拡大したのか
3.なぜ、誰もとめられなかったのか
4.「特攻」から学ぶべき「教訓」とは?
以上の順に沿って解説が進められていき、最後の30分で質疑応答が行われた。
特攻とは?
まずこの言葉に馴染みのない世代のためにも、それが何であったのかを簡単に説明しておくと、
●「特攻」=特別攻撃のこと。第二次世界大戦末期に日本陸海軍が“体当たり攻撃”と称し取った作戦で、爆弾を抱えて敵の艦船に突っ込むというもの。
それは100%の死を意味した。
ここでは細部については詳しくは触れないつもりでいる。
私がまずこの講座で知りたいと思ったのはその大まかな全容であり、こまごまとした枝葉に気を取られようものなら際限なくなり、かえって物事の本質を失いかねない気がするからだ。
そのためここでは思い切って自分の率直な疑問というか特に印象に残った点についてだけ挙げることとする。
★以下は先方で用意した簡単なレジュメに沿って私がメモをとったのをまとめたもの。
1特攻とは何か
特攻は一度出陣すれば生還の可能性は0であったが、わずか約1%位だが生還の可能性もなくはなかった。これは護衛隊という特攻に付き添いそれを見届け確認する任務の存在があったためで、戦果の数を知れるのもこの人たちのおかげだろう。
1944年10/25に初出撃し敗戦までのおよそ10ヶ月の間に約5000人以上が亡くなった。(※このうち海軍による航空特攻のみを「神風特別攻撃隊」と呼ぶ)。
2.なぜ始まり、なぜ拡大したのか
1944年フィリピン戦において海軍の「敷島隊」によって行われた戦果が一時的なものにせよ著しいものであったのと、またこの頃にはこれ以外に日本が勝つ道はないという状況に追い詰められつつあった。さらに陸軍も本格的な始動となり拡大していくこととなる。
ここで素朴な疑問として起きるのは、一般国民はこの時期に特攻隊についてどう思っていたかということである。
新聞各紙には特攻隊の戦果が華々しく一面に報じられ、任務につく日が決定した者はその10日前に遺言を残し、それをNHKのラジオが全国に流したという。
「自分たちも彼らに見習って命を投げ出す覚悟をもたねばならない…」
そういう気運が国民の間に高まっていったのは事実である。
特攻が命令として行われた国は他にもソビエトやナチスドイツなどあったが、こういった「国のために死ぬ」という全体主義国家というものがいちばん長く続いたのが日本であったというのはとても考えさせられる点である。
3.なぜ、誰もとめられなかったのか
フィリピン撤退後に戦力の底がみえていたにもかかわらず特攻が続けられたのはなぜなのか。海軍軍司令部の作戦会議では負けることがわかっていながらそれを和平交渉の手段と考えていたからだという。
つまり特攻が米海軍にダメージを与えれば、侵攻作戦をやめさせることができるかもしれないと踏んだのだ。
その後は米軍の特攻に対する対応が進むにつれ、次に主戦場となった沖縄戦線以降さらに低下する特攻の命中率を試算したりする方向へと、特攻は数式化されたものとなっていく。
最後には特攻する航空機が不足し陸海軍は練習機であった複葉機まで使用に踏み切ったが、これはわずか時速150キロ程度の速度しか出ないものが普通であった。
そのような状況にもかかわらずなぜ誰もやめようとしなかったのか?
一つには誰も何も言い出さなかったからズルズルと続いてしまったということだろう。
“これは陸海軍参謀本部が決めたことだから従うしかない”―と。
もう一つの重要なポイントになるのは、終わり方を知らなかった=最初から考えていなかったということである。(ということは絶対に勝つという確信があったということなのか? )
4.「特攻」から学ぶべき「教訓」とは?
まずこの合理的な思考のなさはなぜなのかということについて考えてみたい。
日露戦争での勝利により、合理的に考えていては勝ち目などないと判断し…それは「とんでもないことをやる、つまり特攻をやることにより、アメリカが手を引くだろう」という考えに繋がったとも考えられる。
(事実、米軍にとって初めは自殺攻撃である日本の特攻作戦が恒常的に行われることは想定外だったようだ)。
ここで日本にとって合理的な思考が可能なのか?という疑問に繋がっていくわけだが…。
護衛隊の生き残りの人物が、沖縄戦で戦死した仲間から言われた言葉をこう証言していた。
「たとえ社会や国家が口を出そうとも1人の人間として譲ってはいけないことがある…」
戦争の真只中で、その人が言おうとしていたのはたぶんこういうことなのかもしれない。
<個人と会社、ひいては個人と国家などの関係で、結局自分を大事にすることがいちばんの幸せなのではないのか>と。
(講師略歴)
大島隆之
1979年生まれ。
2002年NHKエンタープライズ入社。
ドキュメンタリー番組中心に制作する。
講座を聞いて
タイトルの「.なぜ、誰も止められなかったのか」これの本当の背景となるものをよく考える必要を感じた。それは日本人の教育のあり方、延いては思想へと繋がっていくものだから。だがその基となるのは大昔から続いてきている日本の<宗教>が大きく係わっているように思う。
“現人神(あらひとがみ)たる天皇の御存在が世界統一の霊力”
(陸軍中将石原莞爾の著書/戦争史大観1941より)
肉体は滅んでも精神は滅びず永遠である。
特攻による成果がでずとも、この戦争で若者達が国のためにこれだけのことをやったという記憶を子孫に残す限り大和民族は滅びない、というような少なくとも思想に導かれた軍の中枢部らが数多くの若き青年らを特攻に追いやった。
日本が戦ったそういう戦争の仕方、そういうある意味で狂信的としかいい難い部分も忘れてはならないと感じた。
それが今日民族的記憶としてもし刷り込まれてしまっているとしたら…。
最後に―。
☆最後の質疑応答では、予想通り3.なぜ、誰も止められなかったのかに対する質問が圧倒的多数を占めていた。皆、思いは同じなのだと。
☆定員50名のところほぼ満席状態だったが、殆どが中・高年者だったのがやはり残念だった。
これからの日本の未来を案ずるなら1人1人が漠然と平和を願うということより先に、事実を“知ること”が何よりも大切な気がしている。
よろしくお願いします