私にとってのノートルダム | PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術、最近は哲学についてのエッセイも。
たまにタイル絵付けの様子についても記していきます。

こちらは今年の年賀状用に使用したもの

記事にもUPさせて頂いた元画像である。

(記事のほうは印刷したものを写真に撮って載せたため青みが強くぼやけてしまったが)

 

2018.6/20撮影

 

ノートルダムの写真、いやノートルダムについて触れるのは

このPARISのブログを立ち上げてから先の年賀状を別にして今回が初めてだ。

そのように3年半近くもの間あえて記事として取り上げることはなかったが

ノートルダムはいつも私から近くて遠い場所にあったといってよい。

 

初めてPARISを訪れてからすでに30年以上もの月日が流れ

その間何度も訪れては写真もたくさん撮ったと思う。

ノートルダムは私にとっては有名な世界遺産としてというよりも

PARISを訪れればいつもそこにあるのが当然な存在として

わざわざ訪ねる必要も感じないほどに…

 

今回の滞在では宿泊したホテルがカルチェ・ラタン地区で

ノートルダムまでは歩いて10分ほどの距離。

セーヌ方面への街歩きの際には幾度となくその姿を目にしたものだった。

遠くから眺めるだけではなく実際にその前を通る機会が3度ほどあった。

1度目は密かに計画していたある目的のためにその周辺を訪ねて。

(そのことについてはまた改めて触れるつもりである)

2度目は夕方パンを買いに出たついでにシテ島まで気まぐれに散歩に出かけた際に。

3度目は帰国の前日に、街歩きの最後に左岸の方からアルコル橋を渡りシテ島へ。

傍らのノートルダムを見るといつもの行列が割と少なくすぐに入れそうだったので

ふっと、この際に中へ入ってみようかという気になったのだ。

(外からは眺めていても中を見学するのはこれが2度目だった)

 

 

 

壇上では小学生~青年による合唱隊がちょうど聖歌の練習中だった。

観光客らも周りを取り囲んでその歌声に聴き入っていた。

みんなが一つに溶け合うような独特の空間が其処にはあった。

 

私にとっては滞在最後の日の記念に思いがけぬプレゼントを

ノートルダムから貰ったという気がしている。
(一応録音したのだが取り急ぎ画像だけを)

 

 

 

残念ながら今回ノートルダムが受けた痛手は大きいものだったが、

それでも全てが消えてなくなったわけではない。

奇跡的に難を免れた十字架や

あの薔薇窓も

パイプオルガンも水を被ったけれど大丈夫だったようだ。

 

そして何よりもそこを訪れたそれぞれの人々の記憶、

それは消え去りはしない。

奪い去ることは誰もできはしない。

 

存在というものの重要性は形ではないのだと

ノートルダムよ、また一つ貴方が示してくれることを祈って…

 

 

 

 

     クローバー    クローバー    クローバー

 

ベルいつも楽しみに読んで頂いている読者の方へのメッセージ。

できる限り週末更新の予定でおりますが、今回は特別投稿ということでそこのところを一つよろしくお願いします。

 

 

 

よろしくお願いします

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