まずは今回のタイトルに注目して頂こうとー。
普通に『16区①アールヌーヴォー建築を巡る』でもいいのではないかと?
いやちょっとばかし理由がございまして、それは追い追い…。
初めにざっとでよいので下記16区の簡略地図を御覧頂ければと思います。
貴方は16区というとどんなイメージを持たれるでしょうか?
パッシー地区に代表される高級住宅街のイメージが浮かぶ方が多いのではないでしょうか。
ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画『ラスト・タンゴ・イン・パリ』で
この辺りの高級アパルトマンの一室が舞台になりましたし、
フーァーストシーンに登場する2階建で上をメトロ6号線が走る
ビル・アケム橋には私も何度か訪れたこともございます。
それ以外にと申しますと、大昔バルザックの家を訪ねたほかは
私には敷居が高い感じがしまして滅多に足を踏み入れることがない地区でもあります。
しかし、16区は広いのですね~。
ここでパリ全体の簡略地図を見て頂きましょうか。
パリ市の中でも一番面積が広く、坂を上れば山の手といった感じのパッシー地区、
下った所は長閑な雰囲気のオートイユ地区。
この両地区をラ・フォンテーヌ通りが繋いで<山と谷>の地形が特徴のカルティエ。
ああ、もう一つ、西側に広大な敷地面積を誇る
あのブローニュの森が占めていることを忘れてはなりません。
さてここまできまして、何かいつもと違う雰囲気?と気づかれた貴方は
私vingt-sannの熱心な読者でおられる方ではないでしょうか。
16区の気取った雰囲気は私には所詮無理があるようで…
(タイトルの理由はまた別ですが )
やはりここから先はいつもの<である調 >でいきたいと思います。
今回のアールヌーヴォーの建築巡りの主役は、<オートイユ地区>。
メトロのEGLISE D'AUTEUIL(エグリーズ・オートイユ)駅を起点に歩いた通りは赤で記した。
今回訪れたものは殆どがRue (jean de) la Fontaine通り(ラ・フォンテーヌ通り)に集中し、
天才建築家エクトール・ギマール設計によるものである。
これ以外にも探せばまだ周辺の通りにも散らばっているようなので、ご参考までに。
<アールヌーヴォー建築巡り>
午前中に郵便局へ寄ってから昼近くにエグリーズ・オートイユ駅に到着。
地図を片手に颯爽とラ・フォンテーヌ通りを目指そうとしたものの、
何分土地勘もなく取り立ててランドマークとなるようなものも見つからず、
それに生来の方向音痴と三拍子揃っている始末。
これは誰かに道を聞かないとグズグズしていては日が暮れる~。
今日午後に向かう予定の場所も控えていることだし…。
こういうときはうだうだと道を訪ねるよりもまず現在地をしっかり確認するのが正解だ。
前の横断歩道を渡ろうとしていた乳母車を押す黒人の年配女性に質問する。
「えっ、何故私に?」と心の声が聞こえた気がしたが、
子供がいるから急いで行きはしないだろうという算段である。
何とか現在地が掴めたところでラ・フォンテーヌ通りを目指す。
方向音痴でも地図さえあれば恐いものはない。
意外にもスイスイと通りは見つかり、ここからは私が廻った順にご紹介していこう。
その前に…
アールヌーヴォーとは19世紀末から20世紀初頭にかけて、
フランスを始め欧州各地で大々的に広まった建築、美術様式で、
花、草、樹木といった植物や、昆虫、動物などをモチーフとし、
曲線を生かしたデザインが特徴といえる。
今回はアールヌーヴォーにおけるギマールの建築についてのみ述べるが、
果たして当時「ギマール様式」と呼ばれるものが定着したものであったかは??
今回私が実際に観た中で《鋳鉄と曲線によるデザイン》が眼を引いた。
セーヌの流れとは反対方向からラ・フォンテーヌ通りに入ったため、
通りの左側から数字の大きい順に見て行くことにする。
A
こちら入口のアイアンのデザインが個人的に気になる
植物的なのだがなにやら蝙蝠のような雰囲気も…
さてどんなお宅かというと…
ラ・フォンテーヌ通り60番地 「Hotel Mezzara/メザラ館」 1910年
(1994年に歴史的建造物に登録)
実業家氏メザラ氏の特注によるものでギマールの一戸建ての傑作と言われる。
で
建物全体の様子
中へは入れないが、内装まですべて彼が手掛けたもの。
(現在は期間限定で見学可能)
(開館日:)12月9日までの 毎週 土曜日と日曜日
午前10時から午後6時まで
入場料: 5ユーロ
(出典)
http://www.lecercleguimard.fr/ja/
さて同じく左側をもう少しゆけば14番地にギマールの出世作ともいわれ
その名を一躍知らしめたあの「カステル・ベランジェ」があるはずだと期待が高まる♪
だがその番地の前にゆくと白い幕で覆われていて工事中であった。
パッサージュもそうだが、19世紀末に建てられ1世紀以上も経過している建造物は
そういった事態に出くわすことも多いので仕方ないと諦めるしかない。
6階建て36戸のアパルトマンのそれぞれが異なった造り、
外装の素材も鋳鉄、砂岩、煉瓦、タイルなどを別々に寄せ集めた感じの建物で、
よく言えば独創的といえなくもないが、
当時の人々には悪趣味と受け取られることが多かったようだ。
「今では贅沢な住居の極みともいえるこのカステル・ベランジェも、
19世紀末当時はパリの場末で小さな工場があるだけの寂しい一帯で
低家賃の賃貸アパルトマンとして建てられたのだという。
当時は無名のギマールの才能に目を付けた施行主が
建築資材のコストをギリギリまで押さえつつ装飾だけには金をかけ、
外壁だけに及ばず内装の全てに到るまでギマールがデザインを手掛けたもの」
(※上の「」内は早川雅水氏の著書の一部を私が要約させて頂いた。一番最後を参照のこと)
もし近くこちらのアールヌーヴォー巡りに行かれる予定の方は
御自分の目で若きギマールの斬新なこの建築を味わって頂きたいと思う。
そう言いながらも写真がないのは寂しいので、
ギマールらしい曲線のデザインが美しい正面玄関だけを御紹介しよう。
B
ラ・フォンテーヌ通り14番地 「カステル・ベランジェ」の正面玄関
/1894年着工1898年完成
(画像はWikipediaより)
(1994年に歴史的建造物に登録)
Castel Béranger と名前が入っている
今度は道路の反対側右方向に眼を向けると
工事中のカステル・ベランジェのすぐ前辺りに大きな建物が3つ連なっていた。
こちらはカステル・ベランジェ完成から15年後に建てられたもの。(1913年頃)
17番地、19番地、21番地と一挙に御紹介しよう。
C
ラ・フォンテーヌ通り21番地
21番地の窓のアップ
全体に控えめな感じではあるが上品。
よく見ればフェンスのデザインがそれぞれ異なっているのに眼を奪われる
こちら
ギマールの鋳鉄のバルコニー用見本/1907
※出典 http://www.insecula.com/oeuvre/photo_ME0000053981.html
鋳鉄と曲線による典型的なデザインだということがわかる。
D
ラ・フォンテーヌ通り19番地
E
ラ・フォンテーヌ通り17番地
こちらの1階(パリだと0階)にあるカフェもギマールのデザインで
もちろん内装もそうだと事前に知っていたら(そこまで頭が回ったら)
ランチがてらきっと中を覗いたことだろう。
ここでギマールの仕事に関する余話を。
先ほどカステル・ベランジェが悪趣味と受け取られ、
その後に作られたパリの地下鉄入口の屋根のデザイン。
現在ではギマールのアールヌーヴォー建築としても有名だが、
当時は批判の的となり、ギマールの人気はこれが原因で下火となっていった。
ギマールは我が道を行くタイプ(孤高の人)であったようだ。
しかし1909年に裕福な女性と結婚したことで活動の再開に漕ぎつけられた。
これら17、18、19の一連の建物はその影響が出始めたというべき時代のものに思われる。
17番地の建物を交差点の向こうから眺める(左側はグロ通り43番地の建物)
グロ通り43番地の建物についてはまた後で御紹介しよう。
上の交差点角の表示版のアップ
1つの建物でグロ通り(左)とフォンテーヌ通り(右)に住所が分かれる!
今度はもう一度建物の上階部分のアップを
グロ通りに入った奥のスペースには広々とした空き地があり、
朝市をやっているようだったのでちょっと覗いてみることにした。
<Sq.H.Colletの朝市の様子>
※最初の方のアールヌーヴォー建築巡りの大地図の黄色の楕円で囲った所
午後1時を回りそろそろお開きになるのかどうやら人の姿も疎らだった。
ここが16区とは思えないほどの庶民的で長閑な雰囲気が漂う空間。
街を歩いているとこんな市に偶然に出遭うことも稀ではない。
つい覗いてみたくなるのが人情というやつだろう。
ここの花屋の品揃えはとても庶民的なものに思えるが…
奥のほうへ歩いていくと店じまい間近のパン屋があった。
バケットの買い置きがなかったのを思い出して
ムッシューが差し出した売れ残りの数種類のなかから(失礼!)
中くらいの大きさのを丸々1本買った。
荷物になることはわかっていたが、それがいちばん手頃な大きさだったので…。
さあ、昼食をどこかで摂って、またギマールの建築の続きをやろう。
参考書籍 「石畳に靴音が響く」パリの裏道・小路散歩 /早川雅水
続 く
よろしくお願いします