前回ではジャコメッティの作品とその背景やモデルに関する事柄、またその芸術における思想的なものと創作の具体的な方法などについて御紹介させて頂いた。
今回は参考資料とさせて頂いた本の中からそれらをより身近に分かりやすく感じて頂けるよう、写真を多く提示するつもりである。
その前に一つ、ここでジャコメッティに対する私的な思いについて語っておきたい。これは自分のためでもあるのだから。
少し前のブログ記事で、長い間、自分は彫刻というものは苦手だったと書いた。大分以前のことではあるが、その良さや面白さに理解が及ばなかったというわけで、しかしあるとき偶然ジャコメッティの彫刻を見てそれはすっかり覆された、と思っていた。…ところがまだまだそれが本物ではないことを後日自ら知る破目となったのだった。
――後悔先に立たず。現在になってせっかくの機会を物にすることができなかった自分を少し悔やんでいる。
2011年春の一人旅で、宿泊先にシャンブル・ドットというフランス版B&Bを利用した。パリ14区アレジア街にある熟年ご夫妻のお宅だった。
街の中心となるアレジア教会から程近い静かな裏通りにあるアパルトマンの確か3階だったように記憶しているが、実はこの部屋を選んだ理由の一つがジャコメッティのアトリエがベランダから眺められるということだった。
(だがしかし、その時点では自分にとってまだ真の興味の対象ではなく、ただそれを取巻く雰囲気そのものに憧れていたに過ぎないと告白しておこう)
いや少し弁解がましく付け加えるとすれば、初めてのシステムで宿泊するフランス人宅、それも大学教授のご主人は作家で何とジャンヌ・ダルクの子孫、マダムもお花の先生をされている(現地で知った)というカップルに対しての多大なる興味と、また会話(フランス語)に対する不安などで私の頭は目一杯だったのだ。
少し落ち着いてから、マダムにベランダに飾ってある自慢の花々を見せて貰っている時にジャコメッティの話を思い出し尋ねてみると、「ほら、あそこに見えるのがそうよ」とある一画を指差した>。
アレジアのマダムの家のベランダより撮影したジャコメッティのアトリエ(2011年)
よく見ると塀に看板のようなものが立てかけられているが…
だがその時は「ああ、きっとあれがそうなんだろうな」とちらっと眺めただけで満足してしまったのか、あえて訪れることもなく終わってしまった。目と鼻の先の場所だというのに。
もしあの頃、少なくともこれを書いている現在の自分であったなら、すぐにその場所に跳んで行って確かめたろうし、またそうせずにはいられなかったはずだ。今になって資料とする本の中に出てきた昔の写真と見比べて、やっぱりあの建物だったと確認でき、大分様変わりしてしまったのだと改めて知ったところで実感は乏しい…。
下が今回の資料で見つけた当時の写真である
↓
1956年当時のジャコメッティのアトリエ (イポリット・マンドロン通り46)
番地の46という数字が入っている
※写真提供 「ジャコメッティ」/矢内原伊作著(みすず書房)
彼は裕福になってからも、住居とアトリエを変えることはなかった
水彩画家であった父のように、自分が生まれたスイスの村では貧しいアトリエを使っていた
だが現在をストリートビューで調べてみると2011年のjベランダから
撮影したものとはさらに大きく様変わりしてしまっていた
画像のちょうど真中辺りの影になっている壁の部分、埋め込まれているプレートから
ジャコメッティの家(アトリエ)であることがわかるが…
↓
と、いうわけでこの口惜しさを(誰を責めるわけでもない)補おうとせんがために今回の「ジャコメッティ展」はこうして下調べに余念がないというわけである。
さて前置きが長くなったが、そろそろ本題に移ろう。
ここからは当時のアトリエの様子と制作するジャコメッティの姿などを写真を中心に見ていきたい。
アトリエの中庭 1956
ジャコメッティのこういった立像はたくさんあるので
この立像の作品名は断定できず…
アトリエの扉 1960
この画像だとはっきりしないが、矢内原の彫像だと思う
アトリエの一隅 1957
小さな小指程度のものから矢内原と思われる描き掛けの油彩など
制作途中と思われる作品が所狭しと置かれている
アトリエで 1956
この写真を見て個人的に興味深いのは、彼がきちんとした
ジャケット姿で制作を行っているということだ。彼はジャケットを
2枚しか持っておらず、1枚をこうした仕事着に着用していた
アトリエで 1959
彼は人間の頭部の彫刻制作に没頭し続けた時代(1936から1940)が
あるが、年代からみてもこの作品は違うようだ
アトリエで(手前は矢内原の胸像) 1960
アネットと 1961
歳の大分離れたジャコメッティ夫人の彼女とは1946年に結婚した
それを境に彫刻はだんだん大きくなっていったという
彼にとって女性は感覚的に大きな存在として捉えられ
作品に影響を与えるものとなったようだ
矢内原伊作(1918~1989)
矢内原のデッサン
上の写真、顔のアップ部分
矢内原の肖像の制作過程(油彩) 1961
(左上から時計回りの順番で)
※以上、モノクロ写真提供 「ジャコメッティ」/矢内原伊作著(みすず書房)
<今回の展覧会の見どころとポイント>
まず注目されるのは3つの大作《歩く男Ⅰ》《女性立像Ⅱ》《大きな頭部》である。これらが揃って日本で公開されることは珍しい。(3点とも1960年制作のもので、ニューヨーク広場にあるチェース・マンハッタン銀行の現代モニュメントとして制作されたものだが実現はしなかった)
《歩く男》だが、この彫刻は少なくとも等身大の大きさ程度のものが4点、またはそれ以上?の数が存在するということだ。(6点という人もあるようだが、自身が確認できたのはこの4点)制作年代順に、歩く男(1947)、歩く男Ⅰ(1960)、歩く男Ⅱ(1960)、歩く男(1961)で、高さなどに多少のバラつき、あるいはブロンズの塗装に少しの違いがみられる。またこの他に1960年制作のわずか7、5cmの高さのものもある。
尚、今回の展覧会パンフレットのものは1960年の「歩く男Ⅰ」である。
次に 《女性立像Ⅱ》であるが、中でもこちらは高さが2、76メートルもあり、圧倒的な存在感をみせている。いずれも晩年のジャコメッティの壮大なスケールを感じられる貴重な作品である。
その他に大事な事として、《ディエゴの彫像。1995年作、他》の見方について一言。すべてのジャコメッティの彫像と同様だが、こちらは真正面から見るべきものであるということ。正面からだと頭部は鼻と眼と顎をもって、空虚な空間に割り込んでこちらへ向かって突き進んでくる、と同時に退いてもゆき、一枚の刃物のように感じられるとはジャコメッティの言葉である。
一口メモ
ジャコメッティは現在も100スイス・フランの紙幣の顔として使われている。
それではジャコメッティ展をお楽しみに!!
(残念ながら今回は東京と名古屋地区2館のみでの開催なので、それ以外の地域の方、ごめんなさい…。またの機会に)
※参考文献:「見る人」ジャコメッティと矢内原/宇佐見英治著(みすず書房)
「ジャコメッティ」/矢内原伊作著(みすず書房)
「ジャコメッティ展」 国立新美術館にて 6/14(水)~9/4(日)
豊田市美術館にて 10/14(土)~12/2(日)