田原桂一 光画展(何必館・京都現代美術館①) | PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術、最近は哲学についてのエッセイも。
たまにタイル絵付けの様子についても記していきます。

 一期一会日々の暮らしの中で私がとても大切にしたいと思っているものだ。

 (アメブロ/プロフィールの、好きな言葉の欄にもそう書いている)

 京都祇園四条通り。八坂神社手前の祇園商店街へ一歩足を踏み入れると、観光客の姿で賑わっていた。外人観光客の団体さんの姿も目立つ。

 何必館・京都現代美術館地図で見るとこの通り沿いにそれはあるはずなのだが、それらしきものは見当たらない。しばらく迷いつつも思いがけないカタチで現れたその建物は、こじんまりした五階建てのビルだった。一階がギャラリーになっているようだ。

――写真には、確か坪庭とそれに続く和室があったはずなのに…。

 想像とは全く違った様子に戸惑いを覚えつつ、友人から見せて貰った雑誌に紹介されていた、京都のアートスポットの写真を思い浮かべた…。

 

一階ギャラリーの入り口には、確かに現在開催中の展覧会のポスターが貼ってあった。

          光の表象 田原桂一 光画展> 

 

        一先ずチケットをを買って中へ入ることにした。

                     こちらが展覧会のチケット

 

 

 

 

            雑誌に掲載されていたこの女性の写真に惹かれて。

            この表情。何かに陶酔しきったような恍惚とした表情。

 

今回の1泊2日の旅では、大山崎山荘美術館のクートラス展以外は特に行き先を決めてはいなかった。ただ例の雑誌で見たこの美術館の佇まいと開催中の展覧会のタイトルと写真に惹かれるものを感じ、2日目の朝に行ってみようと思い立ったのだ。

 

 一階のギャラリーには田原桂一という写真家のモノクロームの世界が展開されていた。光画展というタイトルに相応しい光と影のコントラストが織り成す都市、PARISの風景。展示作品をざっと見渡しながら私はこの写真家にすぐに深い興味を惹きつけられていくのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 奥にエレベーターがあり、展示は上の階へと続いているようだった。

いちばん上の階から先に観て順に降りてこよう。

エレベーターは最上階の5階まで行きドアが開いた。

なんとその先には思いがけない世界が待っていた。

 

                  エレベーターのドアが開くと… 

 

   私を出迎えたのは、今にも飛び出してきそうな動物の写真だった。

ルーブルの犬とキャプションが付いている。

ガラス張りになったその向こうの展示室は外からでもよく見通しがきいた。

そこには捜し求めていた坪庭と和室の姿があった。

まさかこんなビルの中に隠れていようとは!

だが果たして今回の展示作品に合うのだろうか。

そんなことを思いながら中へと入っていく。

先ほどの1階ギャラリーではパリという都市を扱った作品が主であったが、

作品は幾つかのシリーズにまとまって展示されているようだ。

まもなく私はある何点かのシリーズ作品に釘付けになった。

まさに一期一会により導かれた心を打つ作品との出逢い。

いくつかご紹介させていただく。

     

               Fenêtres (窓)シリーズより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         そしてなんといっても圧巻はこれ!! 

 

                         Fenêtres         1977

 

                 

 

                   言葉はいらないのかもしれない。

             いや言葉は適わないだろう。

             むしろ邪魔になるだけだ。

                                                  (Vingt-sann)

     

 

 

         この窓シリーズは、京都に生まれパリに魅せられた写真家の原点といえる。

 

 

 

 

                    産経新聞2015年11/4の夕刊記事

 

  以下、記事をまとめさせていただいた。

  (田原桂一氏の略歴)

1972年小劇団の照明係りとして渡仏。公演後もそのまま残る。

●独学で写真技術を身につけ、わずか5年後の26歳の時に、窓シリーズが

 <アルル国際写真フェスティバル大賞>を受賞。世界的脚光を浴びる。

 

 最初の頃はお金もなく市場で野菜くずをもらって飢えをしのいだりした。

 一人、屋根裏部屋にこもって窓から外を眺めたりしていた。その時に光の実在に目覚め、光を発見したという。

 

 

田原氏にとって光とは何か――。

 

実は私が彼の写真に激しく心を打たれた理由はそこにあると思っている。

 

彼の言う光とは、自然に存在する光ではなく、自己の内面へと消化された光なのだ。彼にとって窓シリーズを撮ることは、自己の存在が何かを知る作業でもあった。

 

さて程なく先ほどの坪庭と和室がこの展示作品と合うのだろうか、という私の問いは見事に打ち破られた。

先程のルーブルの犬が写っている入り口の写真にヒントがあるので、もう一度ご覧頂きたい。

 

                ↓

 

                      和室をアップするとその奥には…

                            ↓

                      障子の前に立てかけられた「窓」

              

        

     それはまるで水墨画で描かれた襖絵のようにも見えた。

    ただ襖と決定的に違うところは、それは開けば内部ではなく

        外部の世界へと通じていることだった。

     光と闇。和と洋との一期一会の出会いが生んだもの。

     京都とパリ、そしてパリと京都が一つに溶け合った空間。

            (Vingt-sann)

 

 

パリと京都、実はよく似ているといわれる事実について

まず共に時間をかけて造りあげられた街であるというところ。

そのため一筋縄でいかない難しさと面白さが共存してもいる。

 

この記事を書いた何必館・京都現代美術館館長の梶川芳友氏は、

さすがすばらしい言葉でそれを表現されている。

       こちら

この2つの観光都市は、世界の中でも歴史と文化の厚みにおいては圧倒的。

「観光」という言葉は「光を観る」ことである。

 

     

             最後にもう一度目に焼き付けておこう。     

 

      言い忘れたが、田原桂一氏は現在もパリに住み

    彼のアトリエは10区、サンマルタン運河のほとりにある。

 

 

ところで写真の技術的なものについてはまったくわからないが、この展覧会で取り上げられた写真は、どれもプラチナプリントという古い手法で焼付けられたものであるという。

誰かお分かりの方がいれば、素人にもわかるようやさしく教えて頂きたいのですが…。よろしく!

             

                (※今回の作品はすべて展覧会の図録からお借りしたものです)