今回取り上げるのは予告どおり、私のパサージュ巡りの最終回に相応しいといえるパサージュ、ギャルリ・ヴェロ=ドダである。
そして最初に断っておくが、これは2011年の5月に訪れたときのものである。
もう20数年前になるが、NHK衛星第2放送のテレビ番組で「世界・わが心の旅」というのがあった。
俳優、画家、作家、音楽家、料理人etc…様々なジャンルで活躍する人々が、人生の一時を過ごした海外の街を再訪しその思い出を振り返る…という内容で私の大好きな番組であった。(後に再放送もされたが再々放送されることを願っている)
芥川賞作家である荻野アンナ氏の<パリ・華のパサージュ物語>の回を観て、私は初めてパサージュという存在を知り魅了され強く興味を抱いた。
たくさんのパサージュが紹介され、中でもいちばん心惹かれ印象に残っているのが、このヴェロ=ドダだった。
私の大好きなアンティ-クドールの店が紹介され、彼女と店主との興味深いやりとりを見守りつつ、この店こそヴェロ=ドダの雰囲気にピッタリのまさしく人形たちの隠れ家といえる空間だとも思ったのだった。
ぜひ自分の目でそれを確かめてみたいという思いが生まれ、それがパサージュ巡りのきっかけとなったように思う。
だからヴェロ=ドダはすべての始まりであり、パサージュ巡りの終わりを飾るのに相応しいパサージュといえるのだ。
2011年のギャルリ・ヴェロ=ドダ、ブロワ通り付近。入り口隣のカフェ、<レポック>が目印
(ここは詩人のネルヴァルが生涯最後の一杯を飲んだと言われるカフェが前身であった)
2008年にここを訪れた時は、テラス屋根の柄は無地であった。
よくみると描かれている書体も違うことに今回改めて気付く。
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こんな思わぬ小さな発見?も写真を比べてみる機会あってこそのPARISの楽しみ方かもしれない。間違い探しを楽しむように新鮮な目でPARISを味わってみるのも。
その楽しみを気付かせてくれたのは、実は同じパリのブログを書かれているMushaさんから以前に頂いたコメントがきっかけであった。
――Vingt-sannさんのパサージュ・ジュフロワのホテル・ショパンの写真をみてあれっ?と思いました。自分の撮った写真と比べてみたら看板の書体が違っているんですよね。
改めて、言われた写真のその部分に注目してみると、ホテルの頭文字のHとCが筆記体で全体はこのような書体で綴られている。
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それではMushaさんの写真ではどうなっているのだろう?
ちょうど現在パサージュ・ジュフロワの記事を更新されたばかりのようなので、興味を持たれた方はぜひそちらをご覧下さい。!!
最初に場所の確認を。
後の文章に出てくるが、真中あたりにあるHの★印が私の滞在したホテル
さて、最初の遠景写真にも写っているが、まずはファサードに注目!
前回のブール・ラベで御紹介した女神柱がこのヴェロ=ドダにも使われている。
向かって左が商業の神ヘルメスで、右が光明神の別名を持つアポロン。
ちなみにギャルリ・ヴェロ=ドダ。このギャルリとはパサージュの中でも内装の統一感と高級感を兼ね備えた一流のものに与えられる呼び名である。
ヴェロ=ドダの設立は1826年。それまでの経過や歴史については私の独断と偏見に基づいてごく簡単な説明に留めたい。
新興成金であった肉屋のヴェロ氏とドダ氏が、当時大流行のパサージュに便乗して一儲けしようと貴族の館を買い取ったのがそもそもの始まりである。両方の出入り口には郵便馬車や大型乗り合い馬車の発着場があったことも幸いし、パサージュは一時二人の思惑どおり大繁盛した。
だが1840年代には早くも翳りをみせるようになってゆく。
この時期に次々とグラン・ブールヴァールに設立されたガラス屋根と鉄の骨組みの新型のパサージュ(今までに紹介してきたヴェルドーやジュフロワなど)に比べて、薄暗い、換気も悪いなどと客側から見劣りされるようになっていったのだ。(後には鉄に換ったが最初は天井の骨組みに木を使っていた)
それに止めを刺すように、鉄道の発達で駅馬車の存在自体が脅かされるものとなってゆき、ついに1880年に廃業に追い込まれ、人の流れは途絶えることとなっていった…。
以上、出来る限り説明を最小限に留めたつもりであるが、それはこのパサージュの空間や存在そのものの放つ魅力のほうに焦点を当てたかったからなのだ。
設立時から190年を経てもなお、殆どその当時のままのカタチを残し現在も存在し続ける奇跡、そんなヴェロ=ドダに惹かれた理由を改めて探ってみたい思いに駆られもしている。
さあ、さっそく中へ入ってみることにしよう!
ブロワ通り2番地ファサードの全体写真
反対側の出口、ジャン=ジャック・ルソー通り19番地へと続いている。
長さは80メートルである。
入り口に入ってすぐ、真っ直ぐな歩道が続き向こうの出口も見える。
床に整然と敷き詰められた市松模様の白黒タイル(元々は大理石であったという)が統一感があり見事。午後5時、まだ外は明るいが、灯され整列したガス灯の明かりが揺らめく。(日没は午後9時半頃)
これといって見るべき店舗も少ないようで人の姿はほとんど見えない。
前の写真で上部に見えていた天井画
このパサージュの華ともいえるだろう。
木製の金の縁取りの中に描かれた女神の絵。
ショーウィンドーとドアは透明ガラスで覆われ、金色の縁取りで覆われている。
その間の壁には鏡が使われ、床やマホガニー調の内装に反射して優雅で格調高い雰囲気を醸し出している。それらは何かを連想させずにはいられない。そうだ。ヴェルサイユ宮殿の鏡の間!そうするとやはり…ここは室内?
出口のあたりに、人の姿は見えないがオシャレな色柄のテーブルと椅子が置かれていた。まるで見知らぬ人の家へとお茶に招待された気分になる。
――どうぞ、ここに腰掛けられて。少し休んでいかれたらいかがでしょうか。
どこからかそんな声が聞こえてきそうな…。
ふと辺りを見回すとすぐ脇のドアの看板が目に入る。書かれている文字を眺めてああそうかと納得。
このテーブルらはこちらのレストランのもので、通路へ張り出した敷地部分であったのだ。
レストランの名はパサージュと同じくヴェロ=ドダである。
もちろんここもパサージュの他の内装部分と同じく、このような古い写真みたいなセピア色で統一されている。今度PARISに行くことがあったらぜひ一度お邪魔して、中の内装もじっくりと味わってみたい。
2階部分は住居になっていて、開かれた窓辺に飾られた赤い花がピンポイントで色を添えている。
パサージュの中に住む。とはいったいどんな気分だろうか。
おそらく慣れてしまった住人たちは特別な思いに浸る様子もなく、「別にどうってことはないさ」と返答する気がする。フランス人なら言いそうなことだけど。
ところで残念ながら最初に書いたアンティックドールの店<ロベール・キャビア>は現在もう存在しない。よく参考文献にさせて頂いている鹿島茂氏の「パリのパサージュ」2008年2/20出版の中で語られている内容では、<ロベール・キャビア>は廃業したと書かれているし、実際それを読み同じ年の8月に出かけてこの目で確認もした。
そうと知りつつ、それでは2011年5月再来訪で私はいったい何をこの目で確かめたかったのか?
その答えはおそらく次に紹介する文章と、その後のヴェロ=ドダの写真の中に存在するのかもしれない。
ヴェロ=ドダがいちばん美しく輝くのは夕暮れ時だ。
私は2011年にパリに滞在した際は、実は文字通りこのパサージュから目と鼻の距離にあるホテルに泊まった。先程の地図にも示してあるがおそらく十数メートルほどの場所だ。旅行社を通じで頼んだホテルがたまたまそういう場所にあったということなのだが、やはり少しは意識していたのかもしれない。
最後に御紹介する連続写真は入り口のカフェ・レポックのテラス席のパサージュ入り口に最も近い席に陣取ったからこそ撮影可能になった。
ご存じない方もいると思うが、パサージュは確かに歩行者用の通り抜けの道でもあるのだが、24時間いつも可能というものではない。店舗を構えている店のドアのシャッターは閉められ、もちろんファサードのあるアーチ型の入り口にも鍵がかかるように作られていて、一定の時刻になると閉まってしまう。
<そしてこれが私が撮った写真である>
刻々と夕暮れの闇の色を増してゆくパサージュ。
私は鉄柵の門の隙間からデジカメを差込みシャッターを切った。
藍い空がゆっくりと降りてきてみるみる間に内部の輪郭はぼやけ始め
昼の時間とはまったく異なった世界へとすり替わってゆく。
どこか懐かしげで危うい夢の世界へ招待された気分といえばよいのか。
藍い闇の中に漂うように浮かび上がるモノのかたち。
床の市松模様のタイルもセピア色の壁も鏡もそしてあの天井画も、
際立つ黄金の灯りを浴びてみな公平に均一に染まってゆく。
やがて紺青の闇の中に吸い込まれるように溶けていく光。
でも決して漆黒の闇とはならない。
ぼうっと微かに灯る蝋燭に似た光はどこからやってくるのだろうか。
もしかすると私の内部から生まれ出たものだろうか…。
今回の記事を書くにあたり冒頭で記したように、荻野アンナ氏が出演されたテレビ番組「世界・わが心の旅」をきっかけに自身で書き下ろされた「パリ・華のパサージュ物語」NHK出版を大いに参考にさせて頂いた。
これはパサージュ入門者を始めパサージュを愛する全ての人達にぜひお勧めの一冊である。今から20年前の出版作品だが、その底に流れる視線はやはり作家ならではのものであるし読み物としても大変面白い。決して古くはならない。
中身が(店舗)多少替わりつつあるとしてもそこに込められた精神は時代を超えて生き続けるのがパサージュの魅力であると信じているからだ。
最後に今までパサージュの旅にお付き合いくださった
読者の皆様に深い感謝を込めて…。