今回御紹介するのは1847年というパサージュの最も後期に造られた(パサージュ・ジュフロワである。(以下、ジュフロワと記す)
下の地図で⑤に当たる部分だ。確認すると前回御紹介のパノラマが④の部分で、双方は地図をみれば一目瞭然、モンマルトル大通りに面して出入り口が向かい合っている。
これはどういうことなのか簡単に言うと、パノラマの延長として計画されたのが、ジュフロワなのだ。だがその後の計画の変更により、1800年という最も初期に造られたパノラマとは時間の隔たりが出来てしまった。それがかえって効を奏したといえなくもない。
ジュフロワの魅力は奥深い…。
およそパサージュと呼ばれるものが持つ様々な要素を独り占めしているように見える。中でも様々な夢の空間に出会えるという点ではどこよりも勝っているのではないだろうか。
それでは具体的に見所を紹介しながら、その魅力の背景などにも折々触れていくことにしよう。
さてモンマルトル側の入り口だが、この写真を撮った時期は工事中で網が張ってあり、撮影はパスした。
写真下は1867年創業の老舗のサロン・ド・テ<ル・ヴァランタン>。
パサージュの中ほどの右側にある。30-32番地。
このパサージュを訪れた時は必ず立ち寄る私のお気に入りの店。
まずは現実の甘~い夢の世界へご案内しよう。
この前を通る度にこのショーウィンドウにいつも吸い寄せられてしまう。
決して素通りはできない。フランス東部のアルザス地方のお菓子たち。
私は今回この記事を書くに当たり初めて知ったが、ここのモンブランは有名ですぐに売り切れてしまうそうだ。一度食べてみたい!!
ル・ヴァランタンの店内からジュフロワの通りを眺める。
前にある店は、この写真だと一見パン屋?に見えなくもないが、玩具を取り扱う店、<パン・デピス>。29番地。
(ちなみにパン・デピスとはフランス語でスパイスのパンという意味で、砂糖の変わりに蜂蜜だけで甘さを出した昔からあるフランスの地方菓子のことをいうのだそうだ。※ショーウィンドウの飾りつけは時々変わるようなので…)
ランチの注文を取りにきたお姉さん。
マドモアゼルかマダムか迷うときはマダムと呼びかけるのが礼儀というもの。
先ほどのお菓子の写真で私が甘党だと分かると思うが、実際にはなんとランチ目当てである。
サロン・ド・テと言えば、まずは甘いもの、今風にスィ-ツとお茶を楽しむのが一般的なのだろうが、ここのランチが私のお気に入り!
写真はプラ・デ・ジュール。(plat du jour=本日の定食)
ここはいつの時間でも落ち着いて女1人でも気兼ねなしに食事が出来る、私には穴場的存在なのだ。
食べきれないほどの量にみえるが、美味しいのでもちろん全部残さずに食べる。(女性としては大食いのほうかも?)
パリの物価の高さは世界一だと以前に(現在はわからない)聞いたことがあるが、外食の高さはとにかく半端ではないように私には思える。
たとえば一般的なカフェランチの場合、大体¥2000前後が相場ではないか。
ここは相場より値段もある程度リーズナブルなのも気に入っている。
ル・ヴァランタンを出てメイン通りを真っ直ぐ行くと、すぐに突き当たりのガラス天井近くに見えてくる掛け時計。その下の建物の看板にはHotel Chopinの文字が綴られている。これが名前だけは耳にした人も多いだろうと思うが、あのホテルショパンである。このホテルに関する実際的な話はいったん置いておいて、まず注目してほしい幾つかのポイントがある。これは最初に話したジュフロワが他の古い時期のパサージュに比べてその魅力が勝っていると思える証明にもなるだろう。
( ポイント1)
もう一度下の写真をよく眺めてほしい。
ガラス屋根の部分の魚の背のようなアーチ型に注目!
これはホテルショパンがというよりは、ジュフロワが最も遅い時期に造られたパサージュ故に可能になった画期的なことと言えるのだ。
初期の頃のパサージュは建築資材の骨組みがまだ木造であったのに対し、ジュフロワの時代には建築資材が進化を遂げ、ガラス天井を支える骨組みに鉄骨が使用されることになったからこそ実現可能になったアーチなのである。
その結果、やはり外側からの光がふんだんに取り入れられるということになる。
(ポイント2)
これまでの写真でなんとなく伝わっただろうか?
たとえば初期のパノラマと比べてみて道幅が広く感じないだろうか。
パノラマは客用のテーブルを通路に張り出すと、後ろを人が通行するのがはばかられるような狭さであるし、行き交う人が擦れ違うのがやっとという感じであった。それと比べればゆったりとしていて解放感がある。
ところでこのパサージュの造りには一つの面白い仕掛けがある。
(ポイント3)
先ほど突き当たりがホテルショパンの建物だと紹介したが、実はその先にもまだ続きがある。実はホテルの正面入り口に向かって一軒おいてその左側が曲がり角になっていてそれも下り階段になっているのだ。(下の写真)
これはこのパサージュの計画が当初の計画から変更された過程の結果として段差が生じ、止むを得ず取られた策であった。それが禍を転じて福となすといっては大袈裟過ぎるが、かえって逆に好結果を生むこととなったようだ。
散策者にとって、見通しのきかない先の世界への好奇心や期待感を抱かせることに繋がったと推測される。
ちょうど通りの曲がり角までやってきたところで、続きはまた次回に。
階段の正面に見えている建物<グレヴァン蝋人形館>について御紹介する予定である。お楽しみに!!
パサージュ博物館③パサージュ・ジュフロワ2018前編へタイムスリップ
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