GW少し前の4月25日、作氏五木寛之氏の講演「いまを生きる力」を聴きに行く機会に恵まれた。
この催しは、吉島伸一鍋島緞通株式会社創業105周年「鍋島緞通展」開催の記念特別企画として行われたものである。(※鍋島緞通とは九州佐賀県に工房を持つ日本伝統工芸の敷物(絨毯)のことで、ルーツは中近東に根ざす)
鍋島緞通展には私のやっているタイル絵付けに何か参考になればと思い観に出かけたのだが、ここではテーマとはずれるので触れないことにする。
さてさっそく、忘れないうちにその講演内容について御紹介したいと思う。
うまく伝えられるかどうかわからないが、簡単なメモ書きを頼りに思い出してみることにする。
登場した五木氏は、今日のテーマが「いまを生きる力」であると伝えてから、おもむろにボードに次のような漢字を記した。まずは下の写真をじっとご覧いただきたい。(光って見えづらいとは思いますが)
――みなさんはこの漢字を読めますか。この字を知っていますか?
会場はシーン…答えるものはいない。これは当然で、こういう場合五木氏も答を期待して聞いているわけではない。これは話のつかみというやつだ。
一呼吸おいてから五木氏は続ける。
――この字は「ゆう」と読みます。今の時代ではなかなかお目にかかれない、辞書にもほとんど載っていないかもしれません。
…ということでこれを書きながら試しにパソコンのIMEツールバーから調べてみたけれど、確かに載っていない。
困ったなあ。ここに改めて記そうと思ったのに肝心の文字がないことには…とりあえずここはこの説明で我慢しておいてください!
りっしんべんにともえ→忄+巴と言う字。 悒という字はあるのにね。
さて続きを。五木氏によれば、この「ゆう」は奈良時代の貴族であり歌人の大伴家持(おおとものやかもち)によりよく使われたという。
寂しさのような切なさのような意味を表すものらしい。
これをロシア語ならば「トスカ」という言葉が当てはまるようだ。(どこからやってくるのかわからないが、しんみりとした気持ちをさす)
小説「浮雲」などで有名な幕末の文士の二葉亭四迷は、このトスカを「塞ぎの虫」と例えてそれを題材とした小説も書いた。
ちなみに塞ぎの虫とは、気分が晴れないのを体内にいる虫のせいにしていう言葉であるが、四迷はこれを心の中に黒い液体が流れている状態と言い、現代で言えばこれは、鬱(ウツ)というものが当てはまるだろう。
五木氏はさらにトスカを別の言葉に置き換える。
――ポルトガル語、いわゆるブラジル語では聞いたことがある方もいらっしゃるとは思いますが、これをサウダージといいます。
五木氏はこれらの言葉を決して否定的なものとしてはとらえていないのだ。それは次の言葉からでもうかがえる。
音楽でもね。ただ上手いだけではなく、何か切なさを感じるものがいいんですね。
その後は音楽でいえば、変奏曲のように少し変化させながら主題(テーマ)に向かって進んでゆく。
――韓国の言葉に恨(はん)というのがあります。
(この漢字はIMEパッドで探すことが出来てよかった~)
これは日本語の意味だと、「うらみ」みたいなものだと想像してしまいがちなのですが、ちょっと違うんですよね。
大人になると、不思議な心持ちに襲われるわけです。これを恨というものが訪れてきた時というのです。
日本でも奈良時代から平安時代に使われるようになり、明治時代には一時期流行語となるほどよく使われるようになった言葉があります。
来ましたよぉ―本日の圧巻が!!
五木氏はそう言うと再びボードの方へ歩み寄った。
そしてボードに、最初に書いた漢字の隣に次のような言葉を記したのだった。
暗愁(あんしゅう)
そうです。この言葉にご注目ください!!
そしてその隣の文字、今度ははっきりと見えている筈です。
これが「ゆう」という漢字。正真正銘の五木氏の肉筆です。
この「暗愁」という言葉をよく使った作家には夏目漱石、森 鴎外、永井荷風、国木田独歩゜などがいて、漱石は主に漢文の中で良く使用した。
その意味は、先の恨で御紹介したように、どこからやってくるのかわからないが、ある日襲われる不思議な気持ちということであります。
おそらく荷風が「断朝亭日乗」という作品で使ったのがこの言葉の最後と思われますと五木氏は続ける。
――金子みすゞという詩人をご存知ですか。
彼女の詩に大漁という代表的な作品がありますが、これは大漁をうましうましと喜ぶ一方で、魚たちの立場に置き換えれば海の中では盛大なとむらい(葬式)が行われているということが描かれています。
五木氏は最後にこう語る。
(統合)失調症の方が思い出というをものを回想するとき、何度もそれを反芻することは大事なことなのですね。
たくさんの引き出し(思い出)を開けたり閉めたりすることが…。
今こうして記事を書きながら、五木氏の語ろうとした「いまを生きる力」について私も反芻しながら回想している。
五木氏は私たちに何を伝えたかったのか。
はっきりとしていることは、五木氏は暗さというものを決してマイナスイメージとして捉えていないということだ。
むしろ、すべての生きる原動力みたいなものは人との係わりよりもまず先に、私たち自身が自分の心と丁寧に向き合い対話する(あるときは少し引いてみたりも)ことの中から始まると言っているように私には受け取れる。
国や時代は変われども人間の感情や思いというものは変わらない普遍的なものである。そして五木氏が今回示してくれた、名付けようのないそれらに対して付けられた幾つかの言葉をときどき思い出し、味わうようにして生きていくことこそ現代の私たちにいちばん必要なものかもしれない――。
(※ 五木氏の講演中のこの写真は、本来は撮影禁止のところ、勝手ながら撮らせていただいたものです。関係者の方々申し訳ありませんでした。)
今回の記事はいかがでしたでしょうか!!
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尚、鍋島緞通展について知りたい方は私のもう一つのブログ「AZULのタイルに魅かれて」で別記事を書いていますので、そちらをご覧頂ければと思います。
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