私のとっておき、街歩きのバイブル | PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術、最近は哲学についてのエッセイも。
たまにタイル絵付けの様子についても記していきます。

前回の記事で日常生活においてとにかく自分の足で歩くことが、パリで心ゆくまで歩く楽しみに浸るためのすべて準備運動に繋がっていると述べたが、その歩くことについての楽しみを発見する大きなヒントとなった本がある。


パリの横町・小路・裏通り 日本人が知らないパリの素顔 早川雅水(はやかわ まさみ)著である。

       この本はパリの左岸をテーマとしている。

         右岸について書かれた本は「石畳に靴音が響く-パリの裏道・小路散歩」

         この二冊で素顔のパリに会える。


素顔のパリを知りたいと思う気持ちが恋心のように日増しに強くなってゆく中、友人との旅を続ける一方、密かに一人旅の計画を練り始めていた最中に数多くの本や雑誌に目を通した。パリはランドマークとなる建物や話題の店など表面的には常に新陳代謝を繰り返し生まれ変わっているので、ガイドブックはいつも最新のものを用意した。だが、それでも実際に訪れてみると日本で手に入れた情報は、採れたての野菜のように新鮮とは言い難い部分があった。(※注 当時の私は、今では当たり前のネットで最新情報を仕入れる生活からはほど遠かった)そんな中でこの本に出会った経緯は忘れたが、まず惹かれたのはそのタイトルだった。

パリの横町、小路、裏通り(よこちょう、こみち、うらどおり)

なんとも語呂がいい。どっかで聞いたようなフレーズを思い出すじゃない?

♪よこはま、たそがれホテルの小部屋~

そうだ。五木ひろしの大ヒット曲じゃないか!!(知らないなんて言わせねぇーよ)べーっだ!


まあ、このくだりはこのくらいにしておいて…少し悪ふざけが過ぎましたか。

何よりも、著者の早川雅水氏に謝らねば。ごめんなさいあせる

このタイトルは私の心を鷲掴みにしました。そのことを言いたかったのです!!

だって大通りよりも横町とか裏通りの小路って目立たないけれど何かそそられるものがある気がする。小学生の頃、帰宅途中でいつもの通い慣れた本筋の道から何かのきっかけで迷い込んだ路地裏で、お化け屋敷みたいな家に出会って震えたり、他人の家の庭先を通り抜けようとして番犬に飛び掛られたり道草は思いもしないスリルに満ちていた。でも懲りずにまた繰り返してしまうところをみると、結局は好奇心のほうが勝ってしまうのだ。人が知らない気が付かない景色や空間に迷い込む。ちょうど蚤の市でガラクタの山から自分にとってのお気に入りの宝を見つけるようなレア感がたまらなく魅力的に思える。


パリの通りの代表的なものはシャンゼリゼ大通りなど並木のある大通りのアベニューから始まって、サン・ミッシェル大通りなど城壁跡に沿った大通りを示すブールヴァ―ル、そしてもっとも多い一般的な通りである小路のことをリュと呼ぶ。

この本はほとんどがリュと呼ばれる小路とその一帯の地区を中心に、著者が自分の足で歩き回り見た佇まいについての様子やそれにまつわる小話、また著者自身の素直な感想などが読者に自然に語りかけるような調子で綴られている。

観光名所や流行のスポットの紹介もほとんどここには出てはこないが、他のガイドブックではなかなか触れることのない素顔のパリがページの端々に、大好きなクロワッサンの香ばしい焼けた匂いと共に立ち昇ってくるようだ。読んでいるだけで自分も一緒にその通りを散策しているようなライブ感を味わうことができるのがなんといってもこの本の魅力なのだと思う。

せっかくなので、タイトルと共に私の心を鷲掴みにし、この本の紹介文として最もふさわしい早川氏本人の文章をここに記そう。


くだらないガイドブックなどは持たず、買い物なども考えず、ただブラブラと歩くこと。通りに面した扉が開いていれば入って見、枝道にぶつかったら曲がって寄り道をすること。そして1軒いっけんの建物の前に立ち止まり、その建物の長い歴史に思いをはせ、そこに住んでいた人びとの愛、憎しみ、哀しみ、歓び、死、そして生を想像してください。

そうすることでパリの心が感じられるに違いない……


この本を読んでしばらくしてから夏にパリを訪れ、帰国し、旅の写真の整理などする中で、私は生まれてほとんど初めてとも言えるファンレターを著者宛に書き送った。自分がこの本によって新しいパリの魅力を知るきっかけを与えられたことを、感謝とお礼の気持ちをどうしても伝えたかった…。

季節は秋へと移行し、旅の後にいつも待っている現実世界の厳しさに喘いでいた私の元へ、ある日はらりと落ち葉のように舞い込んできたのは、一通の手紙だった。

差出人の女性の名に一瞬見覚えがなかったが、その隣に(早川雅水)と記されていた。

それは著者の御姉様からのもので、それによれば、早川氏は私が手紙を出す5年前にすでに他界されていたという。ノートルダム寺院で別れの儀式を行い、遺骨の一部をセーヌ川に散骨したとも記されていた。


(そうだったのだ…。でも、著者の言葉は私の中で生きている。時間と空間を越えて)


生粋のパリジャンであった著者の言葉を、最後に記しておこう。

パリジャンたちにとって、自分がパリジャンであることを意識するのはセーヌの流れに安らぎを覚えるときであり、パリでもっとも大切な財産はルーブルでもなく、ノートルダムでもない、ましてエッフェル塔ではない、セーヌなのです。