PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

PARISから遠く離れていても…/サント・ボームの洞窟より

わが心の故郷であるパリを廻って触発される数々の思い。
文学、美術、映画などの芸術、最近は哲学についてのエッセイも。
たまにタイル絵付けの様子についても記していきます。

ふらんすへ行きたしと思えどもふらんすはあまりに遠し


せめては新しき背広をきて気ままなる旅にいでてみん…


(萩原朔太郎純情小曲集より)


現代はその気になれば、誰でも気軽に自由に飛行機に乗って海外へ旅立つことができる時代だ。


フランスやパリについて書かれた本や雑誌はたくさんあるし、SNSなどで最新情報だって簡単に手に入れることもできる。


あなたが今話題のファッション、グルメ、スポット、etc…などをお望みなら、残念ながらココをご訪問いただいても無駄に終わるかもしれない。


でも、もしあなたがフランスパリの匂い、空気、風、そして肌触りなどを味わいたければ、それに出会うことはできるかもしれない。


パリの魅力は時代や時間の枠を越えて存在する不変的なものなのだ。




ようこそ、このブログへ!!




ひとときの時間をあなたと共有できることを願って…。

 世の中の動きはAIの迅速な普及に伴いながら今後もますますカオスになっていくだろう。

 

 それを横目に私自身は今年になって、いや最近と言ったらよいのか、自分を取り巻く空気や流れのようなものに大きな変化を感じずにはいられない。何か形而上的なものというべきかとても不思議な現象に捉えられはっとさせられることが多い。突如としてある言葉が浮かび上がり非常に引き付けられたり、それに付随してアイデアが次々に閃いたり、想いが同時に相手側に伝わったりと……。

 一つ例をあげるなら、この文章を書きながらふと頭に浮かんできたのはパスカル著『パンセ』の中の<バビロンの川>という言葉であった。

 

 

 バビロンの川は流れ、くだり、巻き込む。

(※詩篇137をパスカルが参照し自ら記した言葉)

 

 

 中公文庫のその行が書かれた場所を確かめつつ、同時にパスカルといえば私の敬愛する森有正氏が『バビロンの流れのほとりにて』というすばらしいエッセイを書いていることも思い出した。さっそく、ちくま学芸文庫『森有正エッセイ集成1のページをペラペラ捲ると、以前自分がしっかりと傍線を引いていたある箇所が目に飛び込んできた。そこに書かれていたのは次の文章である。

 

魂が外界から、より美しい自己の内面の調和へと向い、更にそれを外界の一つの領域の中に形成して、自らを証言しようとする、その心の道を言いたいのだ。これは古来、すべての思想と芸術との辿った内面の道だった。(中略)

 

 今、改めて読んでも心に響くというかなるほどと思わずにはいられない。

 しかし、その次に書かれていた文章は、さらに私をドキッとさせるものだった。

 

「君は、カミュの『反抗にかり立てられた人』を読んだだろうか。その最後にある芸術論にはこのことが大変判り易く、しかも深く書いてある」

 

 ああっ!

 私は森氏から直接「君」と名指しで語りかけられたように感じた。

 

「実はそれが……少し前に(反抗的人間:カミュ著作集4/昭和33年新潮社版)手に入れたのですが、一部分に目を通しただけで、言われる最後の芸術の章(反抗と芸術)はまだ読んでいません」

 

 

 日頃、対話相手に飢えている自分は、このように時に先人たちに相手になってもらいながら読書をするクセが身についてしまっている。またそう答えながら今の自分に大事なことは、この章を読むことに他ならないのだということを、森氏の言葉を通して伝えられたのだという気がした。

 

 この話の背後にはそれを裏付けるような部分がある。

 ちょうど昨晩、以前自身がブログに上げたカミュの記事【訂正&追記】7/14革命か反抗かを読み返していたことでもあり、それはなぜかといえば偶然にもその少し前に視聴した東浩紀氏のYouTube番組において、カミュの反抗的立場について言及がなされたために他ならないからなのだ。

 

 これらの事柄一つとっても、つまりパンセの「バビロンの川」から始まりカミュの「反抗的人間」に至る、目には見えない流れというものができているように思えるのである。

 

 

 さて森氏に勧められた「反抗と芸術」の章はいずれ読むとして、最初の閃きの元になったパンセの<バビロンの川>についても触れておこう。

 

 ーバビロンの川は流れ、くだり、巻き込む。

(バビロンとは「世俗」の表徴。つまり世の中の流れに巻き込まれ自分を見失ってしまうこと)

  

 では流されないものとは何なのか。

 ーああ、聖なるシオンの都よ、そこでは、すべてのものがとどまり、何ものもくずれることはない。(ここでいう聖なるシオンの都とは、つまり神の国=エルサレムのこと)

 

 

 そしてその少し先の文章はこう締めくくられている。

 

 

その快楽がとどまるか流れるかを見よ。

もし過ぎ去るならば、それはバビロンの川である。

 

 

 この言葉はとても深く私の胸に突き刺さる。

 もしも快楽が一過性のものに終わってしまうものならば、それは世俗的なもので、その反対のものこそ求めるに値するものといえるのかもしれない。

 その答えは、きっと反抗的人間の「反抗と芸術」の中に見出せるような気がしている。

 そうであればいずれなどと言わずには早急に読まなくてはならないのだが……。

 

 

 クローバー クローバー クローバー

 

 

その前にまずはこちらを何とか……

 

 

  このブログの読者の方はご存じだとは思うが、昨年6月後半あたりから読み続けている上記のシリーズがやっと12冊目に突入したところ。(全14冊中の12冊目)

 だから何としてもこの流れだけは止められないのだ。

 途中で投げ出さずに最後まで読み終える過程の中にこそ見えてくるものが必ずあると信じつつ、全部で約600ページあるものをほとんど毎日少しずつなめるようにページを捲っている。

 せっかくなのでこの12巻目の冒頭について一言触れておくと、今まで読んできた巻の中でもつかみは最高!と言えるものになっている。加えてフランス心理小説の系譜もしっかりと生きていることを改めて実感。

 

 

 

 

ところでこちらが私が購入したのと同じ全巻セットだが

(私のは美装ケース抜きなのでもう少し値段は安かった)

下矢印

 

 

 

 

 

それと最近こういうものもあると知った。

 

 

まあこれはコミックということなので……

 

 

 

 

しかしさすがにこれはどうなんだろう?

全一冊の画期的な縮尺版だそうだが

私が読んできた12冊中に言えることとして

前後の繋ぎがわかりにくい部分も多く

それをクリアできたものになっているのか

下矢印


 

みなさんはどう思われますか?

 

 

 

キラキラキラキラもっと日常に文学と愛飛び出すハートキラキラキラキラ

by MAGUDARA

 

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