三人の男が一軒の家に偶然閉じ込められる羽目になり、現在の状況を克服するべく、七転八倒しながら、ひたすらしゃべり倒す。

信じられないくらいの量の言葉が行きかう。会話の一つひとつに観客は必死についていくも、何を話しているのか定かではなくなる。演者も観客も大いなる徒労感にぐったりとなっているラスト近く、一人の掃除婦が神のごとくに、やってくる。もちろん掃除をするために。

 

 ここで、舞台が一転して、彼らの会話に変化があらわれる。観客も、救いのない迷宮の舞台から束の間救われる気がしてホッする。が、しかし、迷宮は続くのだ。

 

 叔母さんがあらわれる前に、会話が何となく、死の世界がテーマになっていたり、最後の審判とかが話題になっていたせいか、彼ら三人は、掃除婦のおばさんを神様キリストだと、思い込む。

 掃除婦さんは洗剤がないだの、煙草を吸ったりしているのに、言葉の一つ一つから、三人の男たちは彼女をキリストだと、確信していく。そこが一番笑えた。さらに、物語は進み、一度引っ込んだ掃除婦さんは、ラストものすごい美女となって現れるので、またしても迷宮に落とし込まれる。

 

 観客は仰山な会話を聞きながら、何を言わんとしているか必死で理解しようとし、必死で戯曲の意味を考える。芝居を見ながら芝居を考え、言葉と観念、実態とは、と思索を広げることを余儀なくさせられる。

 

 人によってそれぞれ、メタ芝居、とか、実存とか、神のそんざいとか、言葉に翻弄される現代人の空虚さとか、知識人のひ弱さとか、ゴドーを待ちながらとかを様々に連想の翼を広げていく。疲れる芝居ではあります。

 

 でも、公共劇場なので、こういった作品、「演劇とは」「認識とは」「世界とは」を考える作品をを上演する使命があるでしょう。

 

役者の皆さんは、大奮闘、膨大なセリフを汗かき、動きを付けて、繰り出していく。仲村トルさん田中哲司さん、渡辺いっけいさん、役者魂に溢れていました。

 

 私的には朝海ひかるさんの芝居は見ることにしているので見てみましたが、コムちゃんラストお綺麗でしたわ。