確かに、唄、ダンス演出は素晴らしいです。流れるような画面、メリハリの利いた演出は一級品です。
しかし、この作品には基本的な嘘があります。歴史の「すり替え」です。「読み替え」なら事実はかえずに解釈だけが変る。
「すり替え」は、事実を変えてしまう。そこが最悪。無いことにしてしまうのだから。
世紀末から、何十年も、ヨーロッパやアメリカで、「フリークショー」は人気があった。パーナムは実在の興行師、サーカスも実際にあった。これは事実です。
けれど、「フリークショー」とは、つまり「見世物」、日本にも、「へび女」とか「ろくろっ首」とかお祭りの境内でやっていた。観客は何故この種の見世物を好むか。怖いもの見たさ、品の良くないい好奇心、この気持ちに乗じて客を集める。実際にパーナムはヒゲ女、色素欠乏症、巨大人間、小人症の人、髭もじゃの人とかを集めていた。
人びとはこういった人を見て、人間以下の生き物として笑ったり、あざけったりして、楽しんでいた。象とか、シマウマとかの珍しい動物と同じに見ていた。差別だし、人権じゅうりんだし、最悪の見世物でしょう。劇評家も登場させて批判していますが、手ぬるいです。
そこをこの映画はごまかして、ヒューマンドラマに仕立てあげている。集まった観客と、サーカスに抗議している人々を分けている。本来は一緒なのです。抗議している人々は醜い化け物が町にいるのが許せない。あんなものは隠しておくべきだ。劇場に見に来た人々も、差別意識は同じで、あざけりは同じです。
映画はパーナムのショーの場面をもの凄く華麗にダイナミックにミュージカル化しています。この演出がが嘘です。真っ赤なウソ。実際はグロテスクで下品な笑に満ちていて、ゴテゴテと醜かったと思います。観客は珍奇な動物を見るように、驚いたり、笑ったり、バカにしていたと想像されます。出演者の中にはお金持ちになった人もいたそうですが、屈辱観にふるえていたような気がします。
この作品は上手いことヒューマンドラマに仕立てあげています。身分違いの結婚、信頼で結ばれた夫婦愛、家族愛。そして、白人お金持ちの青年と、黒人空中ブランコ女性との純愛。
「THIS is me]のナンバーは素晴らしいです。この歌には本当の主張があります。人は違う、それは個性だオンリーワンの自分なのだと、差別や偏見のない世界を訴えます。だからこそ、歴史のすり替えが残念でならない。
数年前、貴城けいさんと、樹里咲穂さんの「サイドショー」というミュージカル」を見ました。これも、同じころの「フリークショー」を扱っています。実在した、体がくっついている双子の姉妹の物語でした。この作品では、障がい者の方々の舞台を見る観客に対して、挑戦状を突き付けていました。
終幕の一言「見においで」 ゲテモノ見に來るあんたたち、見に来るなら見においで、私たちは、まけないわよ。差別を跳ね返してやろうじゃないのと読めました。 この気概こそが真実を表現していたと未だに忘れられないです。
生暖かい感動にくるまれたこの作品物語には胡散臭さを感じてなりません。。