岡本綺堂「番町皿屋敷」、これって、「一枚、二枚・・」のおばけになる話しではなく、新歌舞伎。お話しに違和感があったし、いろいろ考えることありました。
旗本のお殿様が腰元のお菊さんと相思相愛になっていて、結婚をしなくてはならない年なのに独身でした。それを見咎めて親戚が、縁談をもってきた。それをうわさで聞いたお菊さん。殿様の真意を確かめたくて、わざと、お皿を割る。
それを聞いた、殿様、お菊がうっかり割ったのだと、思って、本来ならばお手打ちの所を、許す。愛しているからね。
しかし、ワザと割ったと露見する。お菊に問いただすと、「お皿を割って、殿様の気持ちを確かめたかった」という。そこで、激怒、「自分の思いを疑った、こんな愛しく思っているのに」といって、お手打ちにしてしまう。
なんか、すごーい自分勝手。いじらしいお菊さんの気持ちもわからずに、かってに、自分の愛をためした、とか言って怒る。お嫁さんが来て、捨てられてしまうんではないかと言う女心に目がいかない。
まったく、自己中心に解釈する。お手打ちにした後、哀しいからと言って、ヤクザ者相手に刀持ってケンカしに行くのです。
そりゃあ最愛の人を殺してしまって、哀しいでしょう。もっと、絶望してほしい、オセロのように。
とオセロを思い浮かべたのです。
岡本綺堂さんは、この翻案をするにあたって、「オセロ」をヒントにしたのではと、思いました。しかし、愛するあまりに衝動に駆られて、殺してしまうという点は同じでも、殺すまでにもっと、オセロみたいに煩悶してほしいし、殺した後に、もっと、絶望してほしい。その部分の考察が演出や作品にないので、違和感あるし、フェミニストとしては、不快な結末。お菊さんが可哀そう過ぎる。
「女暫」は、女形とはいえ、巴御前が強くって、権力的であることが凄い。お人形さんみたいに居並ぶ何十人もの人々を舞台に控えさせて、花道にどんと座って、「どかないわよ」って偉そうに見えを切る。かっこよかった。こんな、偉そうな「女暫」恐れ多くって、歌舞伎のタイクーン、玉三郎さんしか、できないだろうな。
「黒塚」は音楽が素晴らしいです。それよ鬼女の顔、ネコに見えてしまうのよねえ、鬼女なのに。