観終わって、しばし、圧倒されて、虚脱感に陥る。

 例えば、マルセルカルネの「天井桟敷の人々」は、映画史上に残る傑作と言われる。この作品もそれと同格の風格を持つと思ってしまった。

 ゴダールの「勝手にしやがれ」のジャンポールベルモンドのチンピラが、映画史に残るチープヒーローだとしたら長門裕之扮する欣太も同格の存在感を持つと思う。


 それくらいこの映画の大きさ、骨太の骨格、繰り広げられる人間喜劇の可笑しさ、切なさ、バカらしさ、一生懸命に生きる人間の滑稽さを余すところなく描いて、改めて、映画って、芸術だなあと認識させられてしまった。


 1960年代の横須賀、米軍の空母が寄港する基地の町。水兵相手の歓楽街が広がり、活況を呈している。 基地に群がる怪しげな人々。ヤクザが闊歩し、軍人相手の娼婦が行きかい、闇商人が出没する。

 主人公の欣太は、弱小ヤクザの端っこの下働き。刹那に生きるその日暮らし。彼の親分は、米軍の残飯の横流しを、豚の餌にし、飼育して儲けることを始める。欣太は豚の世話係り。

 

 米軍の残飯で儲けるヤクザがいたというその設定自体も今の時代では考えられないような状況。

 描かれる人々の住居、生活、皆貧しい。欣太の家もあばら家みたいで、ごみごみしているし、居酒屋も横丁も薄汚い。高度経済成長前の日本の庶民社会がヴィヴィッドの見られて、興味深々だし、懐かしい風景でもある。

 登場してくる人々が、飛んでるというか、ものすごい。ヤクザは意地汚く、暴力的だし、内職を生活の糧てにする子だくさんの母親は娘に言う。女工になるより、米兵相手の現地妻になった方が親孝行だという。

 出てくる人々は、胡散臭く、エネルギッシュで、どこかタガが外れて見える。欣太の恋人春子は、お金目当てに軍人のお相手をしたり、欣太とケンカした腹いせに、基地で遊んで輪姦されても、ポケットから、ドルをかすめてくる強さを持つ。


 怪しげな人々から、立ち上る生きる力強さ、転んでもただでは起きないしたたかさ。閉塞感ある現代とは違いが歴然。日本社会の若さを知らされる。

 うまく説明できてないけれど、この映画は人間を描いて、みじめに自爆する青春を描いて、基地経済に依存する街を描いて、若い日本社会を描いて・・・傑作なんですよー。


 そうそう、出てくる役者さん、すごいっす。小澤昭一、西村晃、東野栄次郎、丹波哲郎、加藤武、大阪志郎、南田洋子、中原ひとみ、吉村実子、菅井きん、武智豊子等々、名優ぞろい、各人、絶妙の芝居を見せてくれて、楽しいったらないです。