モフモフ療法の世界的権威である道良 寧子氏が先日、新聞上でインタビューに応えて日本のモフモフ療法の歴史について語っているhttp://d.hatena.ne.jp/doramao/20100817/1282048475 。しかしモフモフ療法は世界各地にその起源を主張するものがあり、現在では起源について一つの確固とした何かがあるわけではなく、各地で類似したものが自然発生的に起こったとする説が有力である。もっとも、「モフモフ」という名称はほぼ全世界で共通であり、この点は社会言語学者たちから熱い注目を集めている。
 ここでは主に米国と中国におけるモフモフ療法について紹介しよう。


 アメリカにおいて最も有名な、モフモフ療法の推進者として知られるのは作家のアイザック・モフモフである。彼の「ニャウンデーション」シリーズは、モフモフを忘れ滅亡の危機に陥った未来の人類がいかにして再びモフモフを取り戻したかを壮大なスケールで描く叙事詩的な作品である。
 彼はモフモフ療法とネコ揉み療法の関係についてこう語っている。


 「モフモフ療法とネコ揉み療法がいついかにして成立し、分かれたか正確な事はわかっていないが、おそらくまず原始的な形でのモフモフ療法があり、そこからネコ揉み療法に変化したと言う考え方が自然であろう。


 ネコ揉み療法とならなかった、旧モフモフ療法の施術者たちはその時点ではほとんど滅んだと思われる。モフモフ療法において最大のシェアを持っていたネコ、それに特化したネコ揉み療法の成立に対して、モフモフ療法は先発にもかかわらず模倣の烙印を押されたのだから!モフモフ療法はその後、イヌなどによる施術を取り入れたが、当時のイヌはまず狩りの友であり、羊を追う牧童であり、戦場においては兵器であった。当時のイヌにモフモフ療法は無理だったのだよ。


 しかし人々はついにモフモフ療法を取り戻した。それはネコ揉み療法の傲慢によったものだ。何しろ彼らはいつの間にか、ネコに対する敬意という最も重要なものを忘れ去っていたのだから。彼らにとってネコは施術のための道具に成り下がっていたが、私たちは動物を愛でる心、そしてモフモフの中にこそ真のヒーリングパワーが眠ることを再発見したのだ。


 ここにおいてモフモフはネコだけでなく、全毛皮的に拡大解釈されることになった。それは全く大きなパラダイムシフトであった。ネコ以外にもシベリアンハスキーや、テディベアや、イエティ相手にさえモフモフを試みることが出来るようになったのだ!この興奮こそが、私に「ニャウンデーション」シリーズを書かせる事になったと言ってもいいだろうね。」


 アイザック・モフモフ氏のニャウンデーションシリーズのラストは、反乱した超合金製のロボットたちに対してふかふかの毛皮をまとわせることで、電子頭脳に「モフモフ」のキーワードが入力され平和の心を取り戻すと言うシーンであったが、ここはまさしくモフモフ療法の歴史をなぞっていると言えるだろう。



 中国におけるモフモフは一風変わっている。民明書房が出版した書籍「中国拳法~陰と陽の奥義」がその歴史を伝えている。


 「母富母富(もふもふ)とは中国拳法史上屈指の活人拳として名高い斗羅猫流の奥義。怒りではなく慈愛に満ちた柔和な打拳を行うことにより敵の闘争心を奪う技。また真の達人が打てば相手を心地よい眠りに誘うことも出来る。ここから、暖かく眠り心地のよい寝具を「毛布」と呼ぶようになったのは有名である。


 しかし皮肉にも、この究極奥義・母富母富の成立こそが斗羅猫流の終焉を決定づけたとされている。斗羅猫流の高弟たちは時の権力者に召抱えられ、激務にさらされた政治家たちの心を癒す役目を与えられたが、一部の心無い奸臣どもは母富母富を暗殺拳として利用したのだ。つまり敵を眠らせてしまえば、静粛かつ安全に相手を殺害することが出来る。また奸臣たちに丸め込まれた時の皇帝は、その高弟たちの行動を肯定してしまったのだ。


 当時、医療者にはまだ現代ほどの地位は与えられず、むしろ「外方の方技」として見下されるものであった。にもかかわらず地位としては医務官であった斗羅猫流暗殺拳の使い手たちは例外的な厚遇を与えられたために、正統的な母富母富の伝承者たちは彼らを「皇帝のイヌめ!」と呼ぶようになった。わが国でのイヌ派とネコ派の対立はまさにここから始まるのであり、多くの優秀な使い手たちはこの抗争に巻き込まれて亡くなったとされる。


 さて皇帝の庇護を得てますます強大化すると思われた斗羅猫流暗殺拳だが、しかし意外な対策のおかげでその効力をほとんど無効化してしまい、歴史の闇に消えることになる。相手を眠らせる母富母富に対して、対抗する術が必要になった文官たちは、政府の執務を朝、顔を洗って眠気を飛ばした後行うこととしたのだ。ヒトが起きたばかりでは母富母富のかかりも甘いことがわかり、一気にその有効性が失われたとされる。一般に「朝廷」とは政務を朝行うことからつけられた名称だが、そもそもなぜ朝行うかと言えばその裏には暗殺拳との裏の攻防があったのである。


 これらのことから、母富母富拳は表舞台から消えたが、モフモフという名前自体は庶民の間にも生きることになった。そして愛玩動物との出会いにより、モフモフは新たな歴史を獲得していくことになるのだった。」
(民明書房刊「中国拳法~陰と陽の奥義 p122~235より引用)


 モフモフ療法の発達はほかにもインド、カメルーン、メキシコなど各地にあり、それぞれに歴史があるが、我々はこれらを今後平和のためのみに守り育てていくことが重要となるであろう。それは歴史が語っているのである。

 当ブログのエントリ「農薬取締法について」 へ、井下田さんからコメントをいただきました。


牛乳を散布しても法律違反にはなりませんよ。間違った情報を鵜呑みにされるかたもいらっしゃいますから気を付けた方がいいと思います。
「使用者の責任と判断で使用することは何ら問題のない資材」として特定防除資材(特定農薬)としての指定が保留されている資材の区分C-①に指定されていますよ。
どこでお調べになったのか、牛乳も木酢液も使用して法律違反になるようなことは一切ありませんよ。
よく調べて書きましょう。


 そんな馬鹿なと思って調べてみると、特定防除資材の保留資材の今後の取扱いについて(案) というpdfファイルに本当に


保留資材については、農業生産現場で使用されているとの情報が提供されたため、仮に防除目的に保留資材を使用したとしても、農薬効果を謳って販売しない限り、暫定的に使用者が自分の責任と判断で使うことを可能とした


 という文言があり、保留資材(特定農薬としてリストアップされたが登録されなかった資材)のリストに載っている限り自己責任で使うことはできるようです。つまり牛乳やストチュウなどを使っても農取法違反とはならないようです。
 農水省のサイトにも同様の表記があります。
http://www.maff.go.jp/j/nouyaku/n_tokutei/about_tokutei.html


 これは全く私の間違いで、間違った情報を信じた方たちには申し訳ないとしか言いようがありません。んが、ここから後は全くみっともない言い訳をしますが、このpdfはトンデモです(もちろんトンデモであっても「そう決まっている」のでしょうがないのですが)。


 特定農薬は農薬取締法改正に伴って新設されたカテゴリなのですが、つまりこの時の農取法改正で登録農薬以外の資材は一切使えなくなるはずだったのですが、それまで一般に使われていた登録農薬ではない資材までいっぺんに禁止してしまうといきなりすぎて規制が過剰すぎると言う理由で、その「一般に使われていた資材」を調査し、「原材料からみて明らかに安全上問題のないもの」を選びさらにその中から精査して特定農薬としたという経緯で、結局のところ特定農薬として登録されたものは重曹、食酢、天敵類だけです。このことは以前からブログで何度も書いています。
 が私が思い違いしていたのが特定農薬にならなかった資材群で、農薬取締法には明らかに「第11条 何人も、次の各号に掲げる農薬以外の農薬を使用してはならない。(略)1・登録農薬 2・特定農薬」とあるため、特定農薬にならなかった資材など当然ダメだろうと思っていたのですが、どうも暫定措置として使ってもよいらしい


 んでここからがトンデモなのですが、つまり保留資材は「明らかに安全上問題のない」から使ってもよいとされているわけですが、リストを見るにどうしてもそうは思えないものが山ほどあります。というか本物の登録農薬の安全性はこんなちゃちなものではありません。

 リストは3つの区分に分けられていて、


区分A:既に農林水産省・環境省にデータが提出されているか、現場で使用されている資材
区分B:現時点で使用に関する情報が得られていない資材
区分C:保留資材から削除する資材


 となっているのですが、最も特定農薬に近いと思われる区分Aの資材でも焼酎、ワサビ、ヒノキチオール、木酢液など散布して目・鼻・口に入ると大変危険そうな代物が多数並んでいます。
 区分Cなど論外で、かつCはさらに中身が5つに分かれているのですが、


① これまでの合同会合で個別資材毎に薬効等を検討した結果、特定防除資材に該当しないと判断された資材
② 文献等により、ヒト等に対して一定以上の毒性を有している資材
③ 農薬取締法及び他の法令で既に規制されている資材
・人畜に対する安全性に係る法令等(食品衛生法、消防法等)により規制等が行われている資材
・環境安全性に係る法令等(家畜排泄物法、化管法等)により規制等が行われている資材
④ 過去の合同会合において整理してきた特定防除資材の要件から、特定防除資材に該当しないと判断できる資材
定義が不明確で評価・指定の対象とならない資材(魚、カニ類、いね科作物、灰、洗濯廃液等)


 こんなものは分類などせずにとっとと削除してしまえばよいのに、削除せず10年近く放置して、リストにしてしまっているので解釈上は「自己責任で使用しても良い」となっています。意味不明です。
 挙がっている資材も噴飯物で、スルメイカ、ダイコン、キャベツなど普通の食べ物(どうやって「農薬」として使うんだ?)や、ホウ酸、塩酸、オゾンなど明らかに危険なもの、南天星、天照石、カツオの魚体など意味不明なものまであって、こんなもんが「明らかに安全だから」農薬として使ってもかまわないなら登録農薬のあの厳しさはなんなんだと思わざるをえません。


 真面目に扱うのも馬鹿馬鹿しい内容ですが、あえて真面目なツッコミをもう一つ続けると、これら保留資材には使用基準がありません。普通の農薬ならば希釈倍率や、面積あたりの使用可能量、使用時期の規定などがあるのですが、特定農薬や保留資材にはそんなものは一切無いので、バカみたいな大量・高濃度でも使えます。どう考えても「明らかに安全」どころか「あからさまに超危険」ですが、そうなっているものは仕方ないですなあ。


 農薬取締法に関する私の理解は間違いでしたが、しかし最後の言い訳をすると、農薬取締法は私の理解どおりに運用されるべきだと思います

 先日テレビを見ていたら、なんだか白ごま油がすごく健康に良いとか、お肌に良い等と言っていて、それについて「白ごま油に詳しい専門家」と呼ばれる医学博士の何とか言う人が出てきてなんだかんだと説明していました。
 もちろん内容は胡散臭くて、お肌に塗るとすぐ浸透して毛細血管に入って血液とともに直接肝臓に届くなどと、うわあ体に悪そうと思わずつぶやいてしまうようなお話だったのですが、それ以前にふと思ったのが「白ごま油に詳しい専門家」です。


 仮に「白ごま油は本当に体に良いのだろうか?」と言う疑問が上がった場合(本来の番組の構成はそうなっていた)、それを誰か専門家に尋ねるとしたらおそらく「白ごま油に詳しくない、普通の栄養学の先生あるいは皮膚科の医師」が最も相応しいと思うのですが、白ごま油に詳しい人と言うコードで探せばまあだいたいはその効果に肯定的な人が出てきますよね。つまりその時点で非常に大きなバイアスです。


 ほかの物事で考えた場合、例えば「農薬問題に詳しい専門家」を探した場合、松永和紀さんや高橋久仁子先生や中西準子先生といった名前は決して挙がってこないでしょう。「農薬問題に詳しい専門家」を探したときにまず名前が挙がるのはおそらく小若順一であったり、植村振作であったり、安田節子であったりでしょう。
 つまり農薬問題に興味を持ったとして、それについて調べようとして「農薬問題に詳しい専門家」を当たったとき、それは意図せずとも「農薬問題が存在していることを自明として研究している専門家」にアクセスしていることになるのです。


 ○○問題の専門家にとっては○○問題などあって当然なので、その問題の前提をいくつか無視していることが多く、そこを疑うことはなかなか出来ないというか、飛ばされた前提が存在することそのものを隠されています。ところが、本当はそここそ見て欲しいと言う問題は少なくありません。
 農薬問題で言えば、残留農薬の恐ろしさを訴える人は多いのですが、実際のところ残留農薬による被害がそれほど大きいのか?と言うと全くそんなことはありません。具体的に言えば農薬を原因とする死者は自殺者を除くと年間数人くらいで、もし自殺者を勘定に入れたとしてもその数は階段から滑って転んで打ち所悪く亡くなった方々の半分にも遠く及びません。
 本筋と違うので慢性毒性のほうの話はしませんが、私に言わせれば「残留農薬があって、具体的に何が困るんだ?」と言うくらいなのですが、「農薬問題の専門家」からそういう話が出ることは滅多にありません。


 かといって、じゃあ「○○に詳しい専門家」が怪しいならいったいどうやって調べればいいんだ、となりますけどそれはちょっと難しいですね。普通に専門家に当たればそれでいいことも当然あるわけで(火山について知りたいなら火山の専門家に・・・それはどうかな)、それこそがリテラシーだ、と言ってもいいですけど説明になってないし。むしろ、トンデモ専門家に人が流れるのはある程度仕方がない、と割り切って、その後のフォローを手厚くしていかねばならない、と構えておくのがいいですかね。


 というわけで、○○について調べる場合、まず○○の専門家に当たるのが正しいかどうか?はちょっと気をつけておくと良いかもしれません。しかしまあ冒頭のテレビの話に戻ると、そういう部分のリテラシーこそがマスコミに一番欠けている所なんじゃないか、と思えますね。

 稲作には大きく分けて2種類あり、水稲と陸稲があります。水稲はごく普通に水田で作る稲の事で、陸稲は乾いた畑で稲を作るやり方です。陸稲をやっている地域は多くありませんし、ふつう取れる米も安いです。
 で、水稲を技術的に分けるとまた二つに分かれ、移植農法直播農法になります。移植はまず苗を作り、それを代掻きまでした水田に植えていく、まあ普通のやり方で、直播は水田に種籾そのものをどうにかして蒔いてしまおうというやり方です。


 直播農法は苗を作らずに済むため、省力化できるとしてしばらく前から普及してきた方法です。条件さえ合えば良い方法でしょうが、個人的に言わせてもらうと日本ではその条件に合う場所がかなり限定されると思います。一旦ははじめたが、やっぱりやめた、という人も案外いて、もちろんメリットを感じて続けている人もいますが、少なくとも評論家どもが軽く「省力化!」と宣伝できるようなものではありません。
 とかえらそうに言っている私自身、直播はやっていないので印象のみですが、まあ移植農法との比較みたいな形で知っている限りを紹介しようと思います。実際やってる方の突っ込み歓迎。


○移植農法
・良い点
 昔から行われてきているため技術的な蓄積があり成熟しており、間違いが少ない。熟練者も大勢いる。
 枯れた技術だけに工夫されている部分も多く、苗の段階で肥料や農薬などを使い、水田での作業を簡略化することもできている。


・悪い点
 苗作りの手間・コスト・リスクがかかる。
 苗を水田まで運搬するコストが高い(苗(種)だけではなく苗箱や土もまとめて運搬しなくてはならない)


・どちらとも言えない点
 苗作りの設備や田植え機に対して購入・維持のコストがかかる。ただし既存の農家はすでにこれらを揃えているところが多い。
 どちらかといえば小規模~中規模の稲作に向いた方法


○直播農法
・良い点
 苗作りをしなくてよいため、手間及び時間を短縮できる。
 水田で必要なのが種籾だけなので運搬のコストが非常に低い。
 種籾を播くのも早いため、田植え(?)の時間は早く済む。
 大面積相手ならば農業用ヘリコプターや固定翼機での施行も可能。というかアメリカやオーストラリアなどではほとんど飛行機。


・悪い点
 技術的に未成熟。
 種籾を水田に直接播く以上、それを餌にする野鳥への対応が不可欠。
 播く形態・方法によって発芽のタイミングがずれる可能性がある。
 播く方法にもよるが、ばら播きの場合は稲が定着する場所がばらばらになるため、稲が株ごとに整列する移植農法に比べてコンバインで刈りにくい。


・どちらとも言えない点
 田植え機は必要ない。が、直播をする機械は別に必要になる。トラクターにつける作業機で充分な場合もあるが、まだ高価。
 どちらかといえば大規模の稲作に向いた方法


 で、直播にもいくつかありまして、知っているものを紹介します。ただしそれぞれの名称は正式なのを知らないので、適当です。


●カルパー直播農法
 ・種籾を鉄粉などでコーティングしたもの(カルパーという)を作り、それを播く。
  とりあえず野鳥には食べられにくくなる。
  カルパーを作る機械はななめドラム式洗濯機のようなものだが、一度に作れる量はそれほど大量とはいえず、作成にかなりの手間とコストがかかる。
  以前、とある殺虫剤を鉄粉と一緒に練りこんだカルパーを作れば野鳥なんか完全に対策できる!といわれていたが、農薬の使用基準違反なので、やっぱそれダメとなった。苗ならば苗箱施用が承認された農薬もあるがカルパーには無い。


●打ち込み農法
 ・代掻き後の柔らかい土壌へ、種籾を打ち込む方法。
  土壌の中へ埋没するために、そのままなら野鳥の餌食にはならないが、もし野鳥が水田を歩き回って土壌をほじくり返したら種籾が地上に露出する可能性はある。
  打ち込みがあまり深すぎると芽が出ない。発芽ムラができる可能性がある。


●非耕起V溝農法
 ・田起こしもせず、固い乾いた土壌に対してV字型の小さな溝を掘り、そこに種籾を並べ入れ、土をかぶせるという方法。
  田起こし、代掻きが必要ないため通常の直播農法よりさらに省力化できる。
  専用のけっこうな機械が必要。通常の直播よりさらにニッチな方法のため、普通に買えるかもよくわからない。
  非耕起のため、土に漉き込む肥料(要するに有機肥料)が使えない。


●散布機ばら播き農法(番外)
 ・農薬や肥料を播くための散布機で、水田上に種籾をばら撒く方法。
  一度だけ、実際にやっている人をみたことがある。最初、何をやっているのかわからなかったが、作業者がいなくなってから水田を見たら種籾がぽつぽつ浮いていて、やっと意味がわかった。
  もちろん数日後には種籾はすべて野鳥に食われていて、全く発芽しなかった。やった農家もたぶん本気ではなかったと思う。

 去る7月3~4日、都道府県会館で行われた地域医療を守り・育てる住民活動全国シンポジウム2010に参加してきました。
 医療系のイベントに参加するのは初めてだったんですけど、ブログにコメントをくれる忍冬さん のお勧めもあり、恥ずかしながらの参加です。


 ってかー、私もまぁゆうても医療問題を注視しる! とか作ってて、ネットでの医療問題系クラスタの中ではそこそこ知られた人間だしい、とかはまあここまで軽くは考えてないですけど(笑 でもまあちょびっとは知られてるんじゃね?とか思ってたんですけどただの思い上がりで、老若男女、全くもって知名度ゼロでした。まあいいんですけど。


 でシンポですが、地域医療充実のための住民運動について実際の事例を紹介し、その後グループでディスカッション(複数回)という流れでした。住民運動ではその効果として、コンビニ医療をやめよう!等というような啓蒙活動もあり、実際に夜間の診療回数が減少していて、その点は素晴らしいと思いました。
 ただ私は、地域医療の問題と言うのはちょっと合わなかったですね。


 って地域医療のイベントなんだから最初からわかってるはずで、参加しておいてこんなこと言うのもおかしいんですけど、視点がその地域だけで完結していて、他所の地域のこととかあるいは日本全体のもっとマクロな見方での話がほとんどなかったのに違和感を感じました。もう一度言いますが、それは地域医療シンポなのだから仕方ないのかもしれません。
 例えば、ある地域の医師不足を解消するために、他所の地域から医師を招聘しようとしたとき、それがものすごくうまくいけば、結果として医師を引き抜かれた地域の医療体制が貧困化することも考えられるのですが、そのあたりはどう考えられていたのかとか、よくわからなかったです。


 またこのシンポの参加者は大きく分けて医療、行政、一般(地域住民)のそれぞれの関係者となっていて、それらの人々の連携も一つのポイントだったのですが、主体的に活動している住民団体に対して行政の人たちが出来るのは完全に裏方までで(アドバイスや予算の獲得など)、なんだか連携というには色々な制限が相当に大きそうなのが印象的でした。
 例えばある地域の住民活動に対して、しかし行政側は特定の地域だけえこひいきするわけには行かないからおおっぴらな支援は出来ないなど。気持ちはわかる、という点も多くありましたが、どうにも煮え切らなかったのも本音です。


 もう一つ、地域医療に関する住民運動の内容を見ると、人々の志に期待するものが多かったです。住民達への啓蒙活動を別にすると、地域交流で研修医達に地元を知ってもらうとか、手紙を送るとか、そういうのが悪いとも言いませんが、しかし地域から医療者が減っている原因は果たしてなんなのか?というよりその原因が何だと分析しているのか?がイマイチよくわからなかったです。その地域に対する理解不足から医師が減っているのならいいんでしょうが、そうではないと思うんですが。
 ・・・とはいえ、じゃあそれ以外に住民活動として何が出来るのか?と言われるとなかなかないでしょうし、実際に意気に感じる人はいて、増えているようでしたから良いのだろうと思います(嫌味を言っているのではありません)。


 ただ、住民活動に参加する住民の方があまり増えないことは問題になるでしょう。こちらに関してはとにかく数が必要で、出来れば全住民が参加するのが理想ですし志だけを頼みにしていては届かないと思います。このあたり、何か強引にでも人を釣って、利益を説く(医療体制の充実は確実に利益でしょう)ことが必要かと思います。


 とにかく医師不足に関しては全国的に見てゼロサムどころかマイナスで、どこかが充実すれば逆にどこかが貧困化する状態なので、あえて特定地域だけ「充実させる!」というのも、冷めすぎかもしれませんが、わかりかねる話です。ただ、活動を通じて医療体制への負担を軽くしよう(コンビに受診やコンビニ救急を減らそう、など)てのは実にまっとうですし、それによっては医師を増やさずとも医師不足を解消することもできるかもしれません。その活動が全国に広がればなおさらです。
 で、そうやっている間に国がしっかり対応していく・・・のが理想ですけど、どうかなあ?です。住民運動も行政の活動も国の動きも、それぞれに得手・不得手があって住み分けがあるものでしょうが、今のところは住民運動はそこそこやっているところがあって、しかし国のほうはなんともサッパリです。


 このエントリは全体的に住民運動をくさしているような感じですが、気持ち的にはむしろそうではなく、本当に頑張っている人がたくさんいてすごいなと素直に思っています。が、医療問題の根本のところへの対応がほとんど見えず(それをやるのが政府だったり、あるいはマスコミにもできることはいっぱいある)、住民運動がなんだか孤軍奮闘のように見えるのが悲しいところです