根本的にテレビ番組と言うものは、ありふれた事柄など紹介しません。誰も見ないからです。「普通の人が、普通に頑張っている」姿など絶対に紹介される事はありません。それこそが社会を支えている大本であるにもかかわらずです。まあしょうがないことではありますが。
 「エチカの鏡」なんて番組はコンセプトからして特にそうでしょう。ま、見たことないんですけど。


 当然、そこで語られる「自然」なんてものは、その言葉の意に反して極めて特殊な事例のことを指すのでしょう。普通は自然と言われると全くありふれたもののように感じますが、「いわゆる自然」とは特殊な人の理想(妄想)の産物であり、本来の自然や天然などとは一線を画します。


 吉村医院の件は真面目に考え出すと吐き気がするくらい気持ち悪いので今さら内容についてどうこうとはしませんが、こういう話に触れるたびに、「自然の中に奇跡があるのではない、自然があることそのものが奇跡なのだ」といったある人の言葉を思い出します。
 そこからあまりに遠い場所にいる人たちは、自然について語りながら決して自然を見ようとしません。

 テレビの報道バラエティや情報バラエティ、雑誌や健康・ダイエット系の書籍など、・・・といちいち例示するのも面倒くさいほど、世の中では「専門家」がもてはやされています。医学博士か、あるいはよくわからない横文字の資格所持者じゃないとダイエット本は書けないかのごとく、表紙には必ず肩書きが載っていますが、多少リテラシがある人にとっては当然、そんな肩書きなど単なる箔付けに過ぎず、内容の正しさを保証するものでは全然無いことは常識です。
 むしろそんな肩書きほど恣意的に、悪意を持って利用されるもので、よくあるのが「○○問題に詳しい大学教授の□□さん」のようなパターンです。一見専門家のような顔をしながら、実は調べてみると大学教授は正しいけど全然分野が違う学部の教授だったりして、ほとんど身分詐称レベルの悪質さです。実例としては、有機化学や農薬問題に詳しい(経営学部の)大学教授ってのがNHKに出てたりしましたねえ。


 そういうわけで今の社会、専門家の肩書きについてはものすごく重要視されているように見えますが、では専門家本人についてはどうかと考えると、どうもその能力はかなり軽視されているとしか思えないことが多々あります。
 例としては、昔から明白な、素人でも普通に思いつくような「問題」を提示する人がたくさんいる事です。


 例えば農薬問題で言うと、未だにレイチェル・カーソンの「沈黙の春」を語る人がいます。残留性の高い危険な農薬を、バンバカ使っていくのは危険じゃないか!というようなお話で、ついでに「複合毒性」の話や、微量の農薬が体内に蓄積していく!なんてのもよくあるパターンですが、こういうことを言う人は果たして、農薬メーカーの専門家達はこれら「問題」を知らないとでも思っているのでしょうか
 カーソンの「沈黙の春」はもう40年以上前の本で、色々な方面に衝撃を与えましたが、おそらくもっとも大きな衝撃を受けたのは実際にDDTを扱っている業者だったのではないでしょうか。少なくとも当時、DDTは使われすぎで、そこに問題があった事は間違いないのですが現在までそんな問題が残っていると考えるのはこっけいです。


 DDTはすでに30年以上前に全世界で使用が禁止され、あまりにも禁止されすぎたせいでアフリカ諸国でマラリア患者が激増したのも有名な話です。もちろん、それ以後の農薬はその時その時の教訓を活かし、「問題」をできるだけ解決しようとしながら開発されているのです。中国ギョーザ事件の際、有機リン系殺虫剤が瞬間的に話題になりましたが、有機リン剤の毒性問題ももうとっくに語りつくされているもので、現代に残っている有機リン剤などほんのわずかでしかありません。


 私はここで「素人にも思いつくような明白な問題」など全て解決されているのだ、と言いたいのではありません。誰でも思いつくが意外に難問であったり、設問そのものが誤解であったりする場合などもありますが、少なくとも何か問題が存在する時、それが本当に最新最先端の問題でない限り、誰か他のもっと優秀な人がそれについて検討したことはあるだろう、という事です。


 例が長くなりましたが、つまり素人が思いつくような問題が今でもまだ問題として存在しているのだ、と思って疑わないことが、社会的な専門家軽視を感じる点なのですが、もうちょっと考えてみればこれは専門家がどうとかは関係なく、そう考える人の想像力や責任感の問題でしょう。
 つまり何か問題に触れたとき、「もしかしたらこの問題はすでに解決(検討)済みなのではなかろうか?」とちょっとでも考えれば済むこと(結果について調べてみればいいだけ)なのですが、解決されていないと感じる、というより問題を単に問題のままにしてそこからどうするかなどという考えが全く無く、単に他の人(専門家)に投げるだけ、という無責任さが一番の問題でしょう。
 ここでいう無責任は、問題の検討や解決を人任せにしていることではありません。それら問題の解説、検討の過程を、専門家達は私ら素人に伝えてしかるべき、というような考えが透けて見えるところが問題です。


 そしてそんな無責任さの一端を担っているのは間違いなく、冒頭に出した報道バラエティや情報バラエティの番組、無責任な書籍などでしょう。もちろん「肩書き専門家」がついていれば悪質さは増します。なぜなら今、まさにそういうマスコミ情報にて「単に問題を放り投げるだけ」と言う行為がしょっちゅう行われているからです。


 簡単に言えば、「○○が今、問題になっています」「あー確かにそれは問題だよねー」「んだんだー専門家達は何をやってるんだー」「えっ?そんなのもうとっくに知ってて対応済みなんですけど・・・」「でも今問題になってるんだから、改めてもっと対策しろ」てな感じ。


 てか、もともとohira-yさんのブログで■「食の安心」の「真の脅威」は? を読んで、社会の信頼度は結構高いですよねえ、みたいな話を書こうと思ってたのに何だか全然まとまらなかった。以下の部分が、重要なことだと思ったのです。

 ここから引用。



具体的な例示がないので、昔からのものを使いながら「バランス」のとれた生活というものがどういうものかは分からないが、昔に比べて今の方が「食の安全」に対して脅威が迫っているということはないだろう。それは、社会が食のリスクに対して無知でなくなり、適切に対応が行われているから。個人が無知であろうと無かろうと、「食の安全」への対応は適切に行われている。少なくとも私は現在の食を取り巻く環境を信頼している。それは、食に対してだけでなく、公共交通や医療やエネルギー供給についてもそうだ。私が無知である分野についてもその方面の専門家が多くの場合適切に対応している、社会は信頼に足るものと考えている


 入院前に参加したとある会合で、最近就農されたある若手農家のお話を聞きました。なんでも大学で環境について勉強したらしく、卒業して農業に携わり、再びトキが繁殖できるような農業環境を目指したいとか何とか言っていました。主に無農薬とかの方面で。
 いったい大学では、その手の「環境問題」について何をどう教えているのでしょうか。


 野生の動物が生きることを第一義に考えると、耕作放棄地こそがもっともその任に相応しく、農業などすべきではないのではないでしょうか。もちろんそれは極論で、本来は共生していく中でのバランスを考えて・・・と言う話なのでしょうが、件の彼に限ると耕作放棄はイクナイ!ようでした。野生の動物のためにわざわざ人工で環境を整えてあげなければならない時点で、野生・・・??とか思ってしまうのですがその辺に矛盾は感じないのか。


 ま、そんな彼の話はどうでもいいのですが、この手の「農業と環境」の話をする際に私が一番気になるのは、すでに農地でなくなった農地の話が全く無視されているところです。
 つまり、最近だけ見たとしても農地はどんどん道路や住宅や駐車場や郊外型大規模店舗(イオン)などになっていて、「以前はこのあたりって一面の田んぼだったんだけどな・・・」な話は地方なら特に古老に限らずとも普通にお父さんお母さんレベルにも知られているのですが、土建国家的にはそっちの話は「発展している」からどうでもいいのでしょうか。
 いや、そういうものを作るなってのではないのですが、そうやって発展しているそばで農地に対しては生息する生き物がどうとか農薬を使うなとか言われるのは嫌だということです。


 むしろその手の発展に関しては、道路やらなにやらに土地を提供してお金を得た農地成金みたいな人のことを取り上げて批判されることならあるのですが・・・まっ特に地方では異常なまでの業突張り爺さんみたいのがいて、本当にむかつく土地成金も存在するので批判もむべなるかなとは思う。


 さてトキに関してですが、トキがまた繁殖できる環境を作るために地域で有機農法に取り組む・・・なんて話はたまに聞きますが、意味不明です。トキを国内絶滅に追いやったのは農薬のせいではないからで、さらに今の農薬がトキを殺すとも思えないからです。


 農薬がトキを殺すと言う話の元になっているのは、1970年代に死んだある一羽のトキの体内から水銀と微量の農薬(DDT、BHC)が見つかった件と思われます。が、このトキを看取った獣医師は死因は寒さ及び老衰としています。例えれば、「ある死者の胃の中からご飯を食べた跡が見つかったので、ご飯は有害なのだ」と言うような話です。DHMOの恐怖ネタにもあったような。

 そして、もし万が一仮にこのトキを殺したのが本当に農薬だったとしても、それは単に一羽の死因と言うだけであって、トキと言う種全体を滅ぼした要因とは違います。もう一つ言えば本当にこの農薬がトキを殺したのならば話は全然簡単で、その時体内から見つかった農薬はすでに日本では使われていないものばかりですから、トキ対策はすでに完了しているとなってしまいます。


 さてトキ全体の生息はどういう経過だったのでしょうか。そもそもトキはその美しさで珍重された鳥で、どうやら食ってもうまかったらしく、密漁の対象になっていました。実は江戸時代からすでにその減少は危惧されていて、幕府から繁殖期の狩猟を禁止する旨の通達が出ています。
 そして明治時代に入ってからその狩猟は本格化し、大正時代にはすでに一旦絶滅したと思われていました
 昭和初期になってから北陸地方でわずかに見つかり、本格的な保護にも乗り出していますがすでに遅く、その後数十年を経て国内のトキが絶滅しているのは周知の通りです。


 さて以上の通りトキが大幅に数を減らし、絶滅を決定づけたのはおよそ明治~大正期であったことが分かるのですが、実は日本で化学農薬が使われだしたのは昭和30年代以降で、トキの絶滅に関与するのは時間的に無理なのです。今さら有機農法など取り組んでも、トキは現にその有機農法(しかも農業機械などが入らない「理想的な」)の環境下で数を減らしてきたのであり、その点が無視されています。
 そもそもトキは日本以外の地域でも数を減らしていますが、例えばシベリアや中国奥地などでも「農薬汚染」はひどかったのでしょうか。


 そういうわけで、トキを保護するための努力そのものは色々やってくれて結構なのですが(残念ながら徒労に終わりそうな気がしますが)、そのための手段と言うかスローガンとして農薬を使うのはやめていただきたいです。こういうところで使われると、そのスローガンが逆輸入される(トキ保護→無農薬が、無農薬→トキ保護に変換されて全然関係ないフィールドで使われる)事もよくあり、迷惑です。

 なんとかCRPも3程度に下がり、あとは自宅療養となりました。

 養生はしないといけませんが一応退院できました。


 コメント等ありがとうございました。

 ある程度元気になりましたので、久しぶりにネットなどしていてこういうのを見つけました。



 私の、サボりすぎなコンテンツを元にして作られたMAD動画です。去年の5月にアップされたもののようですが、いまさらですが紹介します。

 感動しました。いいですねなんか、こういう広がり。