あれから10年...会社の進む道を教えてくれた岩手県 | パワフルキッズ ひで先生ブログ 『Sports Make Smile』

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株式会社パワフルキッズ代表取締役の、ひで先生です。幼稚園や公共施設、小学校や個人指導、体育教室やスイミング。接した子どもは、かれこれ10万人以上・・・。
指導者研修や保育連盟での講演、岩手県でのスポーツ支援活動なども行っています!

パワフルキッズは災害時に役立つ企業を目指しており、災害発生時は業務を止め、支援活動を優先しています。

西日本豪雨の際は、必要な支援物資の把握、物資の確保、輸送、配布。

当時お店で水が手に入らない中、自社の防災備蓄から断水地域に水や簡易トイレを届けられました。

その後も、生徒家庭や取引先からの支援物資を、必要な場所に輸送配布。

ただの零細企業が、日頃から防災備蓄をして(コロナウィルス流行初期には備蓄のアルコールやマスクを配布)、災害時に素早い行動ができるように鍛えられたのは、東日本大震災がきっかけです。

少し長くなりますが、10年前の備忘録も兼ね...




* 2011/3/11
* 支援活動を模索
* 震災後初めての岩手へ
* 被災地から私達へ
* 支援の循環
* 最後に



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2011/3/11

広島市で個人指導を数件やっていて、日中は震災の情報は入らず。

福山に帰る道中に震災を知り、東京に住む家族に何回も電話。

23時過ぎ、東広島のコンビニ駐車場からかけた電話で、やっと繋がり安堵。

今も覚えています。


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支援活動を模索

自粛ムードが漂う中、すぐにチャリティー教室を企画し、芦田川の河川敷で教室を開催。

義援金を送りました。

日々の教室指導をこなしながら、毎日震災のニュースを見ていました。

接する子ども達と同世代の子達が、避難生活を送っている数百キロ向こうの現実。

直接何かできないかと考え始め、岩手県の情報を収集しました。




小学生の頃、東京から一人旅で東北へ。

2日目の夜に岩手県宮古市田老の民宿に泊まり、田老のお祭りに連れて行ってもらった思い出。

その思い出から、東日本大震災で直接何かできないかと考えたとき、真っ先に田老が頭に浮かびました。




田老は3月末当時、たくさんの避難所がグリーンピアという大きな施設にまとめられる頃。

震災直後は、お寺や高校、様々な所が避難所でした。

▲公的な避難所では足りず、人が集まればそこが避難所。大規模災害が起これば、学校や公民館などの公的避難所では足りません。この経験から、パワフルキッズ福山スタジオは避難所としても機能できるよう、非常食や飲料水、簡易トイレやお尻拭き、保温アルミシートやナプキンなどの防災備蓄を行っています。



当時東北への固定電話は繋がらず、1000人以上が避難するグリーンピアの有志が開設した『ネット掲示板』が連絡ツールでした。

避難所の規模を知り、子どもの数を知り、不足しているものを知り...

ただ、当時のニュースからは『ボランティアは向かうな』というアナウンス。

ガソリンが足りない、食事が足りない、飲料水が足りない→人が増えたら困る。

一方、掲示板には物資不足、人手不足の訴え。

当時、ガソリン携行缶は広島でも手に入らず...。

母校の尾道海技学院は、船舶を多数所有しており、携行缶を持っていたので借りました。

ガソリンは、岡山のガソリンスタンドが無償で分けてくれました。

掲示板を通して現地から求められた物資は、生徒の家庭や取引園が支援してくれました。

まだまだ資金のある会社では無かったパワフルキッズ。

広島や岡山、東京や神奈川、たくさんの生徒家庭が活動資金を。

現地に向かうと知り、子ども達へのお菓子やおもちゃはもちろん、向かう先生達の栄養ドリンクなんかも。

1陣の活動で岩手の子が見せてくれた言葉が、まさに身の回りで起きていました。

現地で迷惑をかけないよう、ガソリンや食料を揃え、震災1ヶ月後に初めて現地へ迎えました。


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震災後初めての岩手へ

震災から1ヶ月経ったこの日も、広島から向かう道中、たくさんの消防や警察、自衛隊の災害派遣とすれ違いました。

東京に立ち寄り、東京や神奈川の生徒からの物資を受け取り、東北道へ。

計画停電などがまだあったこの頃、高速道路も薄暗く、初めて走る高速道路で照明があたらない看板に目を凝らして走りました。

当時の社用車は、軽自動車でカーナビ無し、スマホなんて便利なものも持っていなくて、下調べした情報と本の地図が頼り。



盛岡で高速道路を降り、まず町のコンビニに物があることに驚きました。

広島で見るニュースに流れる映像は、沿岸部の情報だけ。

東北一帯が、ニュースに映るような光景と思っており、沿岸部に近づくまでは物があることを知りませんでした。

沿岸部から数十キロまでは、物流が復旧していた4月。

ガソリン不足で、被災した人達はここまでこれない。

家が流され、たちまちの生活資金が確保できない。

行方不明の家族を探す為、遠出できない。

色々な理由で、物流が復旧した地域に向かうには大きな壁があったのでしょう。



沿岸部に向かうまで、郵便局を見つけるたびに立ち寄った事を覚えています。

積みきれなかった物資を、広島から局留めで送ってもらい受け取れるよう、沿岸部にもっとも近い稼働している郵便局を探す為でした。

そんな事をしながら、岩泉町の沿岸部、小本郵便局に着きました。


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被災地から私達へ

郵便局に入ると、中は津波の被害を受けていました。

初めて自分の目で見た津波被害。

理由を説明しここに局留めできるかと確認したところ、今はまだ無理との事。

宮古郵便局ならできるのではという情報をくださいました。

局を後にすると、局員の女性が車まで駆け寄り、新しいタオルをくださいました。


小学校へ向かう道を尋ねる為に立ち寄ったコンビニでは、私達の風貌や車両から察してくださったのでしょう。

おそらく小学生のお母さんくらいの年代の店員さんが、お店を出る時にかけてくださった言葉が忘れられません。

「宜しくお願いします」



1陣以降の6年間、支援活動やプライベートで20回以上、約150日間岩手県へ。

初めての岩手はもちろん、6年間でたくさんの出会いがあり、たくさん私達も頂きました。

震災数年後には、家へ泊めて頂いたり、食事に誘って頂いたり。

なにより、被災地で「この仕事が役に立つ」と教えてくれました。

震災後、初めての岩手で出会ったRちゃん。

出会った当時、大好きだった祖父母はまだ行方不明。

支援物資のゲームをしたり、DVDを見たり。

そんなRちゃんが、パワフルキッズの先生達と夢中で遊んでくれニコニコに。

「震災以来、Rちゃんが初めて笑いました!」

学童の先生が、安堵しながら私達に教えてくれました。

Rちゃんのおじいちゃんおばあちゃんは私達が帰った後見つかり、数ヶ月後岩手で再会した時に伝えてくれました。

お母さんに「ひで先生に言いたかったんでしょ!」と促され、

「おじいちゃんもおばあちゃんも、お墓に入れてあげれました。」

今もあの時の事を覚えています。

ちなみに震災当時年長、出会った時は新一年生だったRちゃんは、今高校生!

まだLINEで近況を教えてくれています☺️

被災地という過酷な状況下、たくさんの子にたくさんの笑顔を見せてもらえ、私自身この仕事に対する誇りが強くなりました。

6年間の支援活動最終日は、岩手県内からたっくさんの人が駆けつけてくれ(^ ^)

東日本大震災後での6年間の活動は、パワフルキッズの企業としての方向性を決めるきっかけ。

災害時に役立つ企業

これ以降、台風や水害、断水など、災害時に真っ先に動けたのは、岩手で得た経験や笑顔のおかげです。


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支援の循環

2018年、西日本豪雨で広島が被災地となり、私個人宅も床上浸水。

引っ越しを余儀なくされました。

そんな時、岩手の保育連盟の皆さんや子ども達が、物資や支援金をひで先生へと(TT)。

個人で頂くのは忍びなく、弊社を窓口として被災した県内地域へ。



宮古市の小学校では、「自分達にも何かできないか」と、児童会の主導で募金活動も行ってくれました。

この小学校や保育連盟、岩手県の個人から届いたお金は、岡山県真備町や広島県の小屋浦にある被災した児童館や保育園へ。

20万円以上の義援金となりました。

支え合いは循環しています。


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最後に

10年前、多くの方が尊い命を奪われた日。

私自身は、あの日から防災意識が生まれ、企業として出来る事を探しました。

西日本豪雨での被災時、避難する気は無かった私に岩手の人から届いた「自分の命は自分で守る」のLINE。

それを見て避難したおかげで、車の水没を免れ、翌日からすぐに行動できました。

東日本大震災で生まれたたくさんの繋がりが、西日本豪雨で広島を思ってくれ、また次に繋がる。

私達が動く事で、周りの子ども達がまた繋がる。

これから先、災害はいつ起こるかわかりません。

支援活動の経験や被災の経験を時々発信することで、東日本大震災の記憶を途絶えさせることなく、教訓として次の防災に繋がればと思います。




p.s.

岩手のみんなー、

岩手のみなさーん、

会いたいねー(ToT)

実は昨年のGW、岩手に行こうと企んでいたらコロナ禍に...

落ち着いたらすぐに行くから、また遊んでください☺️