完全版 第一巻
第七章 背乗りの完成
「中大兄皇子」という名の意味
翌週、晋作と二人で飯を食った。今日はオシャレは来ない。晋作が「今日は長くなる」と言っていたからだ。
蕎麦を待ちながら、俺はふと気になっていたことを口にした。
【タケ】 そういえば——ずっと気になってたんだが。中大兄皇子って、本名は何なんだ?
【晋作】 そこに気づいたか。
【タケ】 他の皇族には本名がある。大海人皇子には大海人という名がある。有間皇子には有間という名がある。なのに——中大兄皇子には「中大兄」しかない。
【晋作】 「中大兄」とは「中の大きな兄」——兄弟の中の長兄を指す「役職名」に近い呼び方だ。本名ではない。
【オシャレ】 本名を隠している……ということ?
オシャレが今日も来ていた。「長くなる」と晋作が言ったのに関係なく来ている。
【晋作】 あるいは本名が「豊璋」だったから、書けなかった。
俺は蕎麦を一口すすった。
豊璋——百済の王子の名前。それが「中大兄皇子」の本名だったとすれば、日本書紀には書けない。書いてしまえば、全てが露わになる。だから「本名のない皇子」として歴史に刻まれた。
背乗りの完成条件
国家レベルの背乗りが成立するためには、三つの条件が必要だ。
条件一 本物の人物を消す
条件二 証人を全員消す
条件三 歴史を書き換える
645年の三日間で、条件一と条件二は完成した。
本物の大王家・蘇我一族——消えた。
目撃者の古人大兄皇子——4ヶ月後に「処刑」された。
歴史書「国記」——中大兄(豊璋)の手に渡り、消えた。
残るは条件三——歴史の書き換えだ。
それを担ったのが、百済の参謀・岐味(鎌足)の息子——藤原不比等だった。
藤原不比等という男
中臣鎌足(岐味)の息子として生まれた不比等。しかし一説によれば、不比等の本当の父親は天智天皇(中大兄皇子)だとも言われている。真相はともかく、不比等は異才の持ち主であり、長身で美形だった——まるで王家の血筋のように——
「不比等」という名前——「ふひと」とも読む。「史(ふひと)」とは「歴史を書く者」の意味だ。自らその名を持った男が、歴史の書き換えを主導した。
【タケ】 歴史を書く者という名前を自分でつけたのか。
【晋作】 あるいはつけさせられたのかもしれない。どちらにしても、その名の通りの仕事をした。
【オシャレ】 どんなふうに書き換えたの?
【晋作】 大きく分けて三つのことをした。
書き換えその一——蘇我氏を「悪役」にした
まず入鹿と蝦夷を徹底的に「悪者」として描いた。そのためのエピソードが「山背大兄王の滅亡事件」(643年)だ。
入鹿が聖徳太子の息子一族を皆殺しにした——という物語。これにより、中大兄(豊璋)が入鹿を殺した行為が「正義の討伐」に変わる。
【タケ】 643年の事件を作り上げることで、645年の暗殺を正当化したわけか。
【晋作】 しかも殺した入鹿は既に死んでいる。反論できない。
【オシャレ】 死人に口なしね。
俺は山背大兄王の「死の場面」を思い出した。馬の骨を使って死んだふりをして逃げた男——あの脱出劇が「入鹿の最大の罪」を作るための舞台だったとすれば、全ての構造が一つに繋がる。
書き換えその二——アマテラスを縄文から奪った
これが最も巧妙で、最も罪深い書き換えだ。
「アマテラス(天照大神)」——この名前は、もともと縄文の原住民族が長年にわたって崇拝してきた太陽神の名前だった。推古天皇(アマタリシヒコ)にも「アマテラス」の名が冠されていた。大王は「アマテラスの化身」として人々に崇められていた。
不比等はこのアマテラスを——天皇家(渡来系)の祖神として古事記・日本書紀に書き込んだ。縄文の魂の象徴を、乗っ取った側の「お守り」にしてしまったのだ。
【タケ】 それはひどい。
【晋作】 日本書紀において、アマテラスの記述は神功皇后の時代で一旦消える。次に登場するのは数百年後——天武天皇の時代だ。
【オシャレ】 どういうこと?
【晋作】 天武天皇がアマテラスを伊勢神宮に祀り直した。乗っ取られたアマテラスの魂を、せめて伊勢に封じて守ろうとした。あの男が——本物のヤマトの神を、守り続けようとした。
俺はその言葉を噛みしめた。
壬申の乱で勝利して天皇になった「あの男」が、最初にしたことの一つが——縄文の神を伊勢に封じて守ることだった。取り戻しに来た男が、まず神を守った。
【タケ】 だから明治まで天皇が伊勢神宮に一度も参詣しなかったのか。
【晋作】 そうだよ。彼らにとって伊勢神宮は「自分の祖先の神」ではなかったんだ。
書き換えその三——万世一系の神話を作った
そして最後の、最大の書き換えが——「万世一系」の神話だ。
神武天皇から一度も途切れることなく続く天皇の血統——という物語。これを古事記と日本書紀に書き込むことで、中大兄(豊璋)=天智天皇以降の天皇家が「正統な継承者」として固定された。
さらに律令(大宝律令・701年)によって、縄文から続く原住民の土地と人民が、全て天皇のものになった。
「これに同意できない者は——蝦夷(えみし)と呼ばれ、征伐される対象になった」
縄文の民が「鬼」と呼ばれ、討伐されるまでの物語。それが第五巻「ねぶたの炎」へと続いていく。
【晋作】 1300年間——日本人は「嘘の英雄」を信じ続けてきた。しかも大嫌いなはずの「半島の王家の血筋」を、天皇として守り続けてきた。
【タケ】 ……気がついたら何もかも乗っ取られていた、か。
【晋作】 でもね——だからこそ、本物のヤマトの魂がどこにあったかを知ることが大切なんだよ。
俺は蕎麦を食い終わって、しばらく黙っていた。
三つの書き換えが、頭の中で一枚の絵になっていく。
蘇我氏を悪者にして——正当性を作った。縄文の神を奪って——権威を作った。万世一系を書き込んで——永続性を作った。
完璧だ。
あまりに完璧で、1300年間誰も崩せなかった。
第八章 聖徳太子という謎
日本人が一番よく知っている「謎の人物」
しばらく間を置いてから、晋作が切り出した。
【晋作】 聖徳太子の話をしよう。
【タケ】 聖徳太子? 一万円札の顔の?
【晋作】 そうだよ。十七条憲法を作り、仏教を広め、遣隋使を派遣した。「和を以て貴しとなす」という言葉を残した聖人。日本人なら誰でも知っている。でも——実は、誰も「本当のこと」を知らない。
【オシャレ】 え?聖徳太子って実在しないの?
【晋作】 「厩戸皇子(うまやどのみこ)」という人物は実在したと思う。でも「聖徳太子」という超人的な聖人像は、後から作られた可能性が高い。
【タケ】 証拠は?
【晋作】 三つあるお墓が、まず一つ目の証拠だ。
三つのお墓
聖徳太子の墓と言われている場所が、日本に三つある。
一 大阪・叡福寺北古墳(河内磯長陵)——宮内庁が「公式」の墓とする
二 奈良・法隆寺——聖徳太子を祀る霊廟がある
三 奈良・橘寺——太子誕生の地とされ、関連の墓がある
実在する人物の墓は一つだ。三つあるということは——複数の人物の墓が「聖徳太子」という一つの名前に統合された可能性が高い。
【タケ】 じゃあ「聖徳太子」は複数の人物の合成体ということか?
【晋作】 そう考えると全て辻褄が合う。推古天皇の時代に活躍した複数の人物——蘇我馬子、厩戸皇子、そして推古天皇自身の事績が「聖徳太子」という一人の英雄に束ねられた。
【オシャレ】 なんのために?
【晋作】 藤原不比等の側にとって都合が良かったからだよ。「聖人の息子を殺した悪人・入鹿」という構図を作るために、まず「聖人」が必要だった。
俺は第五章で晋作が言ったことを思い出した。
「聖徳太子の息子が643年に入鹿に殺された」——その物語が「入鹿の最大の罪」として日本書紀に刻まれている。しかしその「聖徳太子」が「作られた象徴」なら——罪そのものが存在しないことになる。
なぜ聖徳太子が教科書から消えかけたか
2022年、学習指導要領の改訂で、教科書における「聖徳太子」の扱いが大きく変わった。「聖徳太子」という名前は当時は使われていなかったとして、「厩戸王(うまやとおう)」という表記が主流になりつつある。
これは偶然ではない。歴史学の世界では、20世紀末から「聖徳太子非実在論」が本格的に議論されてきた。大山誠一氏らの研究は「聖徳太子の事績はことごとく捏造」と主張する。
【タケ】 つまり学者の世界では、もう聖徳太子の実在は怪しいと思われているんだな。
【晋作】 そうだよ。でも一般にはまだ「実在した」と思われている。なぜかというと——日本書紀が徹底的に書き込んでいるからだ。
【オシャレ】 たくさん書けば信じてもらえる?
【晋作】 嘘を隠すには、嘘の10倍の文書が要る。長い文書は長いというだけで誰も読まない。だから長い嘘は1300年間、暴かれてこなかった。
日本書紀という「唯一の証拠」の問題
聖徳太子に関する資料をリストアップしてみよう。
① 日本書紀(720年・藤原不比等主導)
② 上宮聖徳法王帝説——成立年代不明、日本書紀と同時代か
③ 天寿国繡帳——制作年代不明
④ 伊予温泉碑文——現存しない
⑤ 法起寺・塔露盤銘文——現存しない
⑥ 法隆寺・薬師如来座像の光背銘——制作年代不明
全て——年代が特定できないか、現存しないか、日本書紀と同時代に書かれたものだ。しかも②~⑥は全て、日本書紀の記述を「元」に作られた可能性がある。
【タケ】 つまり独立した証拠がない?日本書紀だけが証拠で、他は全部そこから派生している?
【晋作】 そうだよ。しかも薬師如来像の光背銘には「池辺大宮治天下天皇」——つまり用明天皇という名が出てくるんだが……
【タケ】 それが何か問題なのか?
【晋作】 「天皇」という言葉が日本で初めて使われたのは、天武天皇の死後——673年以降だ。薬師如来像の制作年とされる607年には、「天皇」という言葉はまだ存在しなかった。
【オシャレ】 ……じゃあ、光背銘は後から書き直された?
【晋作】 あるいは、日本書紀が完成した720年以降に「制作された」ものかもしれない。
俺は少し間を置いた。
「天皇」という言葉がまだない時代に作られたはずの銘文に、「天皇」という言葉がある——これは矛盾だ。そしてその矛盾を、1300年間、誰も正面から指摘してこなかった。
聖徳太子の「本当の姿」
では、「聖徳太子」という存在をどう解釈するか。
聖徳太子とは——蘇我氏を中心とした「縄文大王家の政治集団」の象徴として、日本書紀編纂者たちが作り上げたキャラクターだ。
その核心にいたのは——馬子の晩年の子・善徳(よしとく)という人物ではないかと思われる。善徳は、推古天皇の時代に摂政として「十七条憲法」を作り「遣隋使」を派遣した。彼こそが「本物の聖人政治家」だった。そしてその子が——蘇我入鹿だ。
【晋作】 聖徳太子から始まり、入鹿で終わる。縄文大王家の「聖徳」は、乙巳の変で断ち切られた。
俺はその言葉を繰り返した。
聖徳——入鹿——断ち切られた。
【タケ】 ——そして770年に称徳天皇で、正統な天武の血も途絶えるわけか。
【晋作】 そうだよ。
晋作は少し間を置いてから、静かに言った。
【晋作】 「聖徳(しょうとく)太子」から始まり「称徳(しょうとく)天皇」で終わる。同じ読み方の名前に、1300年の物語が挟まれている。
俺はその言葉を聞いた瞬間、背筋が少し冷えた。
聖徳——称徳。
しょうとく——しょうとく。
偶然か。
しかし、偶然にしては——あまりに正確すぎる。縄文大王家の「聖徳」に始まり、縄文大王家の最後の血が途絶えた「称徳」で終わる。同じ読みの名前が、失われた時代の「入り口」と「出口」に立っている。
【オシャレ】 ……それは偶然じゃないわね。
【晋作】 偶然じゃない。柿本人麻呂が仕込んだ、最後の暗号の一つかもしれない。
俺はしばらく黙っていた。
「また同じ猫が廊下を通り過ぎた」——第五章で晋作が言った言葉を思い出した。プログラムが書き換えられたサイン。
「しょうとく」と「しょうとく」——それもまた、誰かが仕込んだサインなのかもしれない。
1300年後の誰かが気づくことを信じて——。
第一巻を終えるにあたって
この巻では七つの謎の「入口」を見てきた。
一 「韓人が入鹿を殺した」——古人大兄皇子の証言
二 中大兄皇子の正体——豊璋という百済王子
三 乙巳の変の三日間——計画的な国家簒奪
四 古人大兄皇子の行方——吉野への「三度のデジャブ」
五 蘇我入鹿の善政——「悪役」の真実
六 日本書紀という「証拠書類」——書いた者は誰か
七 背乗りの完成——「中大兄皇子」という名の意味
八 聖徳太子という謎——三つの墓と「しょうとく」の暗号
これらは全て、一つの大きな問いに向かっている。
「本物のヤマトとは何だったか」
次の巻では、乙巳の変の後——豊璋(天智天皇)が何をしたか、そして岐味(鎌足)の計画がどのように完成していくかを追っていく。百済王子の野望は、白村江の戦いへと向かう。
そして敗戦の後、廃墟の飛鳥に「あの男」が戻ってくる——。
俺は帰り道、夜の街を歩きながらずっと考えていた。
「しょうとく」と「しょうとく」。
1300年前に誰かが仕込んだ暗号が、今夜、居酒屋のカウンターで解けた。
その「誰か」は、今夜の俺たちを想像していたのだろうか。
——きっと、していた。
第一巻 了
次巻「百済王子の野望」へ続く
これらの考察から聖徳太子の謎も解けます。
聖徳太子の墓が三つある。蘇我馬子、蝦夷、入鹿である。
天武天皇陵の裏山に鬼の俎と鬼の雪隠があり、これは蘇我蝦夷の古墳造営を途中で破壊したもの。
そこから数百m先に石舞台古墳があり、これは蘇我馬子の古墳を破壊したもの。
入鹿は殺されたばかりだから古墳に手を付けていなかった。
よって馬子と蝦夷と入鹿の三人合わせて聖徳太子伝説を作り上げた。
不比等の妻の犬養三千代と聖武の藤原系皇后の光明皇后が聖徳太子を手厚く信仰したのは藤原家=百済人の成してきた蘇我氏滅亡への陰謀の罪滅ぼしだったと考えます。
馬子から入鹿の時代が善政が敷かれた時代だったとすれば、蘇我を悪者にするために聖徳太子を作り出したと考えられます。
日本書紀には入鹿の時代に盗賊は落ちてるものも拾わなかったとあります。