双子のイエス、幻の拂菻国 | Violet monkey 紫門のブログ

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十字架の国  1998 不思議の国、ZIPANG

 

 

 

 

 

 

 

・ペルシャ・ミトラ(BC1200)

聖母から12月25日に生まれ、

十二人の弟子と旅をし、

埋葬3日後に復活。

ミトラの礼拝日は日曜日。

 

 

 

 

 

上記が事実ならばえらいこっちゃです😁

イエスの磔刑は神話の再現ということになるからです。

 

 

実は以前に紫門もこの情報を見つけて調べていました。

 

細かい点を指摘すると・・・

ホルス神話を探しましたが原典を確認できませんでした

アティスもミトラも同様です。

 

その時代に十字架刑があったかどうかさえ確認できませんでした。

12を神聖数とするのもバビロニア以降です

 

 

でもね、もしかすると、隠された神話があって、

その内容が上記であったなら

キリスト教は崩壊しますね

 

 

 

紫門の考察では

冬至の前後3日間が

目視による観測で太陽が静止して見える期間であり

「太陽の死」であります。

4日目の朝日で、昇る方向にわずかな移動が確認できたのだと思います。

 

つまりユリウス歴でもグレゴリオ暦でもお構いなしに

「冬至」が共通点なのです。

それが太陽の死と復活神話の根拠となります。

 

 

 

 

紫門はミタンニ国のミトラ神話を

ネフェルティティがエジプトへ持ち込んだと考えています。

イクナートンがそれをアトン神と習合させ

唯一神を定義し、アメン神団から国を取り戻したと・・・

 

 

 

その思想をヘブル(放浪)人であった宰相ヨセフが補強し、

息子のエフライムへ、

そして孫のヨシュアへと引き継がれます。

 

数百年後にイスラエルは分裂し十部族はアッシリアに捕囚され帰って来ませんでした。

 

紫門の妄想は広がります。

十部族はシリア商人となり後のシルクロードにイクナートンの思想を広めます。

ガンダーラの王子シッダルータを古代キリスト教の修行僧が連れ出したという伝説もあります。

ブッダです。

ゆえに釈迦牟尼世尊とヨシュア(世尊)が結びつきます。

ブッダの生前の伝説で雪山童子が紀元後に語られます。

 

バビロニアに捕囚されたユダヤ民族を解放したのは

ペルシャ王キュロスでした。

キュロスはそのまんまクロス(十字)王です。

ペルシャの遺跡です↓

 

シリア商人となった十部族の自由平等友愛の思想を体現したと言っても良いと思います。

ゆえにユダ族ではキュロス王を救世主として崇め、

旧約聖書が編纂されます。

ユダヤ族だけに都合の良い歴史の改竄であり、

ユダ族だけの神です。

神の律法としてジュビリー(債務免除)を書き加えたのが証拠です。

紀元前600〜400年頃です。

 

イエスの時代、

ローマ帝国の属国に成り下がったユダヤ国を開放するキュロス王のような

救世主待望論が巻き起こります。

しかしイエスはイクナートンの思想を受け継ぐ者

ユダ族の救世主ではなく

失われた子羊の救世主でした。

 

失われた子羊とは・・・

異邦人とされたサマリア地方(今のパレスチナ)の十部族の残党組のこと。

 

このイエスの行動に

ユダ族の救世主待望論派であるエッセネ派やグノーシス派が便乗して

新約聖書が作られてバチカンキリスト教へと発展します。

取税人のパウロの立ち上げた集金システムの宗教です。

 

1人東方へ布教に旅立ったトマスはシリア教会を設立し、インドへ旅立ちます。

これが景教となります。

 

景教の景は「日+京」であり、太陽の都と呼ばれたエジプトのヘリオポリスの教え・・・

 

今一度、トマスという名前に注目しましょう。

デドモ・ユダ・トマス

ギリシャ語でデドモは双子の意味

ヘブライ語でトマスは双子の意味

 

1人の名前で双子が2度出てくる不思議・・・

このトマスがアトン神の別名であるテムとかトムである可能性・・・

 

アトゥム(Atum)はエジプト神話における創造の神。

ヘリオポリス九柱神に数えられる。

アトム(Atmu[3])、

アテム(Atem)、

トゥム(Tum)、

テム(TemuもしくはTem)とも呼称される。

 

つまり「アトン」の「ア」は尊称や定冠詞と考えれば・・・

その実態は「トムまたはテム」であり、

完成を表す「10」=「テン」である可能性・・・

 

思考の跳躍が必要ですが

紫門のインスピレーションは

使徒トマスは「ぁトム+ス」であり、

十部族とは「ぁトムの部族」であり、

「テン部族」=「天孫族」として日本へやって来ていると・・・

 

「秦」が「シン」や「ティン」であり「チン」となって「チナ」「チャイナ」となります。

しかし中身は別物です。

三国志の時代にヒゲモジャの武将がたくさんいた民族の現在は・・・

現在の中国人でヒゲモジャを見たことありますか?

 

太古にイタリアに居た「ラティウム民族」が古代アルファベットを発明し、

そのラティウム民族を征服した連中がその文化を奪い、ラテン民族を名乗って現在に至っています。

ラティウム民族の遺した古代アルファベットの文章はいまだに解読されていません。

ラティウム民族は彼らにとってET(別な者)でした。

ゆえに「ET+アーリア人」で「イターリア」です。

 

古代中国ではそのイタリアのローマのことを「大秦(ラテン)」と記述しました。

シリア商人によるシルクロードが繁栄し始めた紀元前1世紀頃です。

景教碑ではイエスの生まれた国を「大秦」と書かれています。

そしてその大秦国は別名「拂菻(フリン)国」とも書かれています。

「拂菻国」は現在のシリアからパレスチナを含む壮大な国でした。

この「拂菻(フリン)国」とは「エフライム国」の意味です。

そうヨセフの息子のエフライムです。

 

以前お話ししたパレスチナがティナの神殿という意味・・・

イエスが神官団に狙われて身を隠したとされる、新約聖書に一度だけ登場する幻のエフライムの町・・・

全てが繋がってくるでしょう😁

 

 

一方、シリア商人(十部族)は古代中国にも入り込み秦帝国を樹立します。

始皇帝がペルシャ人であったという伝説があります。

始皇帝の財力が貿易にあったと考えればさもありなんです。

 

さらに始皇帝は東を目指し、徐福に偵察させます。

この頃から東方の海上にある扶桑国が幻となっていきます。

焚書坑儒や万里の長城や専制政治で悪の代名詞の始皇帝・・・

歴史は次世代の支配者が書かせたものです。

万里の長城などはトランプの壁に似ていませんか?

秦が豊かだったから北方民族が難民化した?

 

始皇帝が自由平等友愛の思想で民族をまとめ上げたゆえに

史上初めて広大な中国大陸をまとめ上げ

わずか十数年の歴史に名を刻み込んだとは考えられませんか?

 

焚書坑儒が始皇帝の死後のことであり、

その自由平等友愛の思想が封印されたと考えるのも楽しいことです。

だって度量衡を整え、漢字を国語に統一したのが始皇帝ならば

焚書坑儒すべき書物はどこにありましたか?

老子も孔子も現代に伝わっています。

 

 

もうおねむの時間なので大幅にはしょります😁

 

聖徳太子の母親は穴穂部の間人(はしひと)です。

「はしひと」とは「ペルシャびと」の意味です。

 

景教碑に「波斯胡寺(ペルシャ寺)」とあります。

「波斯(はし)」だけでもペルシャ、

「胡」だけでもペルシャです。

野菜のきゅうりが「胡瓜」でありペルシャからの渡来品です。

 

 

 

 

そうそうフリン将軍・・・

拂菻将軍ならばエフライム族ですね

 

 

 

 

 

 

 

 

旅を続けましょう・・・