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すべてのものが双子どころか
イエスと一身同体なのだ。
消えたイスラエル十部族
- 法華経・古事記の源を探すの巻
- 著者 松居桃樓・田所静枝
「大乗仏教の中心になっている思想は空だ。
『なにものにも執着せず』『いかなる固定観念にもとらわれず』・・・
ところで、この思想を、どこまでも拡大していくと
『菩提(さとり)も煩悩(まよい)も仏も魔も、善も悪も一つであって区別はない』ということになる。
そして最後には、『ありとあらゆる存在に仏性(仏となる可能性)がある』ことになる。
それにしても、この思想を、大乗経典の中ではっきりと謳いあげたのは、三世紀から四世紀にかけて現われた如来蔵経や、勝蔓経や涅槃経だったわけだが、しかしここまでくると、『これはまったく仏教独特の境地で、西欧の宗教にも哲学にも、そんな思想はない』と、大ていの仏教学者が断言する」
「東は東、西は西・・・だな」
「じつはね、この桃棲じいさんも、若いころは、ほんとうにそうだと思いこんでいたよね・・・
ところが30年ほど前、うん、第二次大戦が終わった年の暮れに、エジブトで、とんでもないものが出てきた。
ナイル河のほとりの、ナグ・ハマディという町に近い、山沿いの崖で、一人のアラブ人の農夫が、素焼きの壷を掘りあてた。・・・1メートルぱかりの。その中から、13冊のパピルス本に書かれた、52編の、コプト語の古文書が出てきた。しかしそれが公開されて、一般人が読めるようになったのは、ごく最近のことなんだ。
・・・その中に、〈トマスによる福音書〉というのがある。
それを、はじめて見たとき、われをわすれてアッ! と叫んでしまった。・・・」
「ホウ・・・桃棲じいさんでも驚くことがあるんだな」
「そのわけは・・・ああ、その前に、さっき言った『すべての衆生に成仏の可能性がある』という考えかたね、これを、はじめて具体的に説いたものとして有名な、如来蔵経のことを話す必要があるな・・・
この経典は『ある夏の暑い目に、釈迦がおおぜいの弟子たちと一緒にいたとき、目の前に無数の蓮の花が咲いて、その一つ一つに仏が一体ずつ鎮座している光景が現われた。・・・ところが、よく見ると、蓮の花の花弁が枯れかけて、黒ずんで悪臭を発してさえいる。にもかかわらず、その花の上の、おのおのの仏の姿は光り輝いているんだ。
それを見て一人の菩薩が、その光景の意味するところをたずねると、釈迦は、『この世の、いかなる醜いものにも仏性はあるのだ』と答えて、『一粒の木の実にも、一枚のぼろ布にも、ごみ捨て場にも、大小便にも、仏性が宿っている・・・という意味のことを、くり返して説ききかせる・・・」
「なるほど・・・その、ごみ箱の中の塵芥も仏だという哲学を証明するためだったんだな? きみが華麗なる劇場生活の将来を捨てて、終戦後のバタ屋部落に住み込んだのも・・・」
「・・・ところが、だ、例のエジプトのナグ・ハマディで発見された〈トマスによる福音書〉を読んでみたら、なんと、如来蔵経の中で、釈迦が説いているのとそっくりのことを、イエスが、トマスに語っている・・・」
「あのトマスだな? さっきからの話の」
「まちがいなく、そのトマスだ。
・・・だから、〈トマスによる福音書〉は、『これは、隠された言葉である。これを、生けるイエスが語った。そして、デドモ、ユダ、トマスが書きしるした』という言葉ではじまっている。
この、デドモというのはギリシャ語で双子のという意味で、トマスもアラム語の双子だ。
それにしても、なぜ〈双子〉ということに、それほどこだわるのだろうか?
じつは、例の〈トマス行伝〉(第四)に、『キリストの双子』という言葉が出てくる。
つまり、シリア教会の伝承ではイエスとトマスは双生児だったことになっているわけだ」
「トマスが、正統派から異端とかグノーシスとかいって排斥されたっていうのは一つはそんなところに理由があるんじゃないのか?」
「しかし〈トマスによる福音書〉を貫いている〈イエスの教理(隠された言葉)〉は、
『神(父)とイエス(子)が一つであるように、この世のありとあらゆるものが一つである』
したがって『この世のすべてのものが神の子で、イエスと双子だ』(ヨハネ17-21,22,23参照)ということになる・・・
しかしほんとうは、
すべてのものが双子どころか
イエスと一身同体なのだ。
だから〈トマスによる福音書〉が書いている
『・・・イエスが言った。
〈わたしは、彼らのすべての上にある光である。
わたしはすべてである。
すべてはわたしから出た。
そして、すべては、わたしに達した。
・・・木を割りなさい。わたしはそこにいる。
石を持ちあけなさい。そうすれば、あなたがたは、わたしをそこに見出すであろう〉』」
「なるほど・・・釈迦と同じことを言っているのか・・・〈ごみ捨て場〉だの〈大小便〉という言葉は出て来ないにしても、言わんとしてることは同じだ・・・」
ヨハネによる福音書 17
21父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります。 22わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。 23わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に一つとなるためであり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼らをお愛しになったことを、世が知るためであります。 24父よ、あなたがわたしに賜わった人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい。天地が造られる前からわたしを愛して下さって、わたしに賜わった栄光を、彼らに見させて下さい。
誰もが地球の第5次元に入るに値するわけではありません。
旅行者、
イエスを見つけた人、
そして正義の選民と
探求者だけです。