ひふみ神示
日月神示で検索して来られる方が多いようなので・・・
いわゆる日月神示(ひふみ神示 )と云うのは
昭和19年から神典研究家の岡本天明へ降りた神示を
自動書記によって記述したとされる書物です。
私が前回取り上げた記事の「大日月地神示」と云うのは
「ひふみ神示」とは別物で最近書かれたものです。
「大日月地(おおひつく)神示」は、日本のシャーマンである神人(かみひと)を通じて、異次元世界より降ろされ続けた、地球人類に対しての救世の神示である。この神示はかつて、艮金神が出口ナオを通して「大本」のお筆先として伝え、さらには岡本天明を遣って「日月神示」を表した霊団からの、現代の霊言である。(発行=野草社)
霊言であるか著作物であるかは問題としません。
霊言であって世に広めるべきものであるならば
ネットでばら撒けば済むことです。
無償奉仕の世の中を説くのであれば無償奉仕すれば良いだけのことです。
(私は上下2巻買ってしまいましたが・・・)
私はただ単に私の考察と似通っている部分が多々あるのでご紹介したまでです。
さて、日月神示(ひふみ神示 )
これの全文が下記サイトにあります。
ひふみ神示
https://hifumi.tomosu.link/all.html#01
無償で全文を公開なさっている事に敬意を表します。
確かに大変興味深い内容なのですが、
少し読むと気になる言葉があります。
「てんし様」です。
ひふみ神示は昭和19年ですから戦時中から書き始められました。
全文を「てんし様」で検索すると37箇所がヒットします。
「てんし様」は天皇のことだと思うのですが、
この「てんし様」が昭和20年8月10日を最後に
登場しなくなります。
終戦の詔書が昭和20年8月14日ですから・・・
・・・お分かりですよね
戦意高揚のための書物であった可能性が高いのです。
戦後も神示は降り続けるので、
訳者集団が「てんし様」の部分を書き加えた可能性もあります。
大本教の弾圧もあった時代ですから検閲を考慮したのかも知れません。
皆様にはその点を踏まえてお読みいただくことを願います。
ひふみ神示を見終わったら、この動画をご覧ください。
「予期しないことが起こることを予期してね・・・」^^)
日本はお土があかる、外国はお土がさかる。
神示の中で書記されている天変地異については、具体的には、次のような災いが起こるとされる。
神示には大峠や三千世界の大洗濯の最中になったら、この壮大で美しい富士山も遂に動くのだと記されている。
- 世界中が唸り、陸が海となるところや、海が陸になるところもあるという。(上つ巻第三帖)、(地つ巻第十六帖)
- 大地震、火の雨降らしての大洗濯になるという。(紫金之巻第五帖)
- 火と水の災難がいかに恐ろしいかを大なり小なり知らされることになるという。(富士の巻第十九帖)
- 一時は天も地も一つにまぜまぜになるという。(富士の巻第十九帖)
- 天地がうなり、上下引っくり返るという。(上つ巻第二十七帖)
- 大風が起こり、大海原には竜巻が発生し、やがて火の雨と地震が、山は火を噴きどよめくという。(富士の巻第二十四帖)
- 富士山がいよいよ動くのだという。(上つ巻第二十一帖)
- 大地も転位、天も転位するという。(五葉之巻第十五帖)
ひふみ神示 第一巻 上つ巻 (昭和19年6月10日 - 7月9日) (全42帖)
第一帖(一)
二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るから みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。いま一苦労あるが、
この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労であ る。
このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ、
日本はお土があかる、外国はお土がさかる。
都の大洗濯、鄙の大洗濯、人のお洗濯。今度は何うもこらへて呉れというところまで、後へひかぬから、その積りでかかって来い、神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る☉は神の国、神の力でないと何んにも成就せん、人の力で何が出来たか、みな神がさしてゐるのざ、いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯して置いて呉れよ。戦は今年中と言ってゐるが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。
加実が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり、
口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。
六月の十日、ひつくのかみ。
第二十八帖 (二八)
世界中まるめて神の一つの詞(王)で治めるのぞ。それが神のやり方ぞ、百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度はとことはに定まるのぞ、身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ、茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、今の世はみなそれでないか。これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。神とアクとの力競べぞ。今度はアクの王も神の力には何うしてもかなはんと心から申す所まで、とことんまで行くのざから、アクも改心すれば助けて、よき方に廻してやるぞ。
神の国を千切りにして膾(ナマス)にするアクの仕組は分りて居る、アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ。残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、この仕組、心で取りて呉れよ、神も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。
臣民この世の神ぞ、と言ふて鼻高になると、ポキン折れるぞ。七月一日、ひつ九のか三。
ひふみ神示 第四巻 天つ巻 (昭和19年8月31日 - 9月14日) (全30帖)
第三帖 (一一〇)
一日のひのまにも天地引繰り返ると申してあろがな、ビックリ箱が近づいたぞ、九、十に気附けと、くどう申してあろがな、
神の申すこと一分一厘ちがはんぞ、ちがふことなら こんなにくどうは申さんぞ、同じことばかり繰り返すと臣民申して居るが、この方の申すこと みなちがってゐることばかりぞ、同じこと申していると思ふのは、身魂曇りてゐる証拠ぞ。改心第一ぞ。八月三十一日、一二
ひふみ神示 第十一巻 松の巻 (昭和20年6月17日 - 7月19日) (全29帖)
第七帖 (二九八)
偉い人 皆 俘虜(とりこ)となるぞ。
夜明け近くなったぞ。夜明けたら何もかもはっきりするぞ。夜明け前は闇より暗いぞ、慌てるでないぞ。神の国一度負けた様になって、終ひには勝ち、また負けた様になって勝つのざぞ。腹の中のゴモク一度に引張り出してもならぬし、出さねば間に合わんし、いよいよ荒事にかかるから そのつもりで覚悟よいか。わからん人民 退いて邪魔せずに見物してござれよ。六月二十三日、アメのひつ九の
。
第八帖 (二九九)
神の国には昔から神の民より住めんのであるぞ、幽界(がいこく)身魂は幽界(がいこく)行き。一寸の住むお土も神国にはないのざぞ。渡れん者が渡りて穢して仕舞ふてゐるぞ。日本の人民、大和魂 何処にあるのざ、大和魂とは神と人と解け合った姿ぞ。
戦いよいよ烈しくなると、日本の兵隊さんも、これは叶はんと云ふ事になり、神は此の世にいまさんと云ふ事になって来るぞ。それでどうにもこうにもならん事になるから、早よう神にすがれと申してゐるのぞ。誠ですがれば、その日からよくなるぞ、神力現れるぞ。今度の建替は、此の世 初まってない事であるから、戦ばかりで建替出来んぞ。世界隅々まで掃除するのであるから、どの家もどの家も、身魂も身魂も隅々まで生き神が改めるのざから、辛い人民 沢山出来るぞ。ミタマの神がいくら我張っても、人民に移っても、今度は何も出来はせんぞ。世の元からの生神でない事には出来ないのであるぞ。それで素直に言ふ事聞けとくどう申すのぞ、今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は固(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。戦の手伝い位 誰でも出来るが、今度の御用はなかなかにむつかしいぞ。赤いものが赤い中にゐると色無いと思ふのぞ、気付けて呉れよ。悪神の守護となれば自分で正しいと思ふ事、悪となるのざぞ。悪も改心すれば助けてやるぞ。海の御守護は竜宮のおとひめ様ぞ。海の兵隊さん竜宮のおとひめ殿まつり呉れよ。まつわり呉れよ。竜宮のおとひめ殿の御守護ないと、海の戦は、けりつかんぞ。朝日照る夕日たださす所に宝いけておいてあるぞ。宝 愈々世に出るぞ。人民の改心第一ぞ。顔は今日でも変るぞ。民の改心なかなかぞ。六月二十三日、アメのひつ九のかみ。
第九帖 (三〇〇)
悪のやり方は始めはどんどん行くなれど、九分九厘でグレンぞ、善のやり方 始め辛いなれど先行く程よくなるぞ。
この世に何一つ出来んと云ふことない此の方のすることぞ。云ふ事聞かねば、きく様にしてきかすぞ。因縁だけのことはどうしてもせねば、今度の峠は越せんのざぞ。ここの役員は皆因縁ミタマばかり、苦労しただけお蔭あるぞ。六月二十四日、あめのひつ九のかみしるす。