情熱と生命力に溢れた風景。


ガブリエル・ガルシア=マルケスによる自伝書『生きて、語り伝える』の第二章。

青年期から始まった回想の第一章は自身の誕生の光景の言い伝えで終わった。それを継いで語る第二章は回想が物心のつきはじめた幼年期、少年期にも及ぶ。その中で、ガルシア=マルケスは作家としての自身の主題は少年期までにおおよそ決められており、その後はそれを表現するための技術を学ぶだけだったと述べる。




第二章


九五頁 “その結果、真実は誰の側にもないと気づくに至った。”

バナナ会社と結託した政府による労働者虐殺の伝えには様々な異同があった。特に死者の数の相違が大きなものだった。話によっては〇人と言う人もいれば、別の人は一〇〇人以上と言う人もいた。ガルシア=マルケスは長編小説で、この事件を扱い、その際に死者の数を三〇〇〇とした。それは厳密な考証に基づいた数字ではなく、ただ単に騒動の悲惨を強調するためのものだった。つまり創作だった。だが、その後、現実が創作に追従するような形になった。ある議員が、公権力の犠牲になった三〇〇〇人のための黙祷を演説中に求めたことがあったという。ガルシア=マルケスによると、コロンビアの歴史において、異同のある伝承が真実を確かめられることなく既成事実化されることは珍しくないらしい。


九七頁 “矛盾した語り伝えがいくつもあるということこそ、私がいろんな偽の記憶を抱くようになった原因”

ガルシア=マルケスには客観的な史実から考えれば、あり得ないはずの記憶が鮮明な像として残っていることがあった。幼少の頃、家の前を通り過ぎていく兵に挨拶されたという。だが、これは労働者虐殺から二年ほど後のことであり、その時には戦闘部隊はアラカタカにはいないはずだった。


一〇〇頁 “家庭というよりも、ひとつの村のようなものだった。”

ガルシア=マルケスは自身の記憶の鮮明さと史実との乖離から自身は夢の中で生きていたのだと語り、それを自らの家庭環境や一族のサーガの流れの中に捉えている。

ガルシア=マルケスの祖父母にとって、最も親しい友人というのは、アラカタカにはおらず、列車でやってくる「田舎」=パディーヤ地方で暮らす親戚や知人だった。家の中で話される言語も、その地域の特徴を大いに残していた。毎日のように列車で誰かがやってきて、バランカスのニュースを土産物として知らせてくれた。それがなければ通常の一日とは言えなかった。そのため一族は故郷での出来事であるメダルド・パチェーコの一件を忘れられなかったのだ。祖父母の家はガルシア=マルケスには、「田舎」=パディーヤ地方の独自の文化をアラカタカに移植し、それは「家の孤独」を構成し、親類知人の入り乱れる一つの村そのもののようだった。

一〇三頁 “私の生き方や考え方の根本は、幼児期の私を導いた一族の女たちと、たくさんいた使用人の女性たちに負っているようだ。”

ガルシア=マルケスの女性観・男性観が披瀝される。彼によると、“世界を維持しているのは女たちであって、男たちはその歴史的な暴虐でもって世界を混乱させているだけ”らしい。こうした認識を彼は主に身の周りの親族や知人を通して得ていった。

奔放で率直なルシーア、バランカス時代から祖父母の家で使用人だったチョン、幼かったガルシア=マルケスに人間の出産を目の当たりにさせた洗濯手伝いのマティルデ・アルメンタ、ガルシア=マルケスに鮮烈に身体を意識化させたトリニダー、一族の中で強く封建的な気風で将軍のようなマーマ、祖父の姉にあたるが不気味だったペトラ、陽気で親しみやすかったナーナ、ガルシア=マルケスは言い伝えでしか知らない奴隷のメーメ、一家の資産が底をつきはじめたときに経済的支柱となった祖母――。

『百年の孤独』のサーガは男権的な印象が強かったけれど、ガルシア=マルケスの一族自体は母権的だったようだ。家屋の塗装や屋根が男性性によって成り立っているとすれば、見えない所でそれを支える骨組みを成り立たせていたのは女性性だったとするのは単純化しすぎているだろうか。または、男性たちが闘争する歴史に対して、その空間を包み込むように作り上げていたのは女性性だった。そう考えると、『百年の孤独』の構造はガイアというギリシア神話における女性表象が中心となっていると認められなくもない。

一一六頁 “聖書に出てくるような女性たちの大群の中にあって、祖父は私にとって完全な安心を意味した。”

ガルシア=マルケスの祖父は元は軍人だったとはいえ、アラカタカでは穏やかな生活を送っていて、それは生命力の横溢した女性たちよりもガルシア=マルケスには安心を与えるものだった。一族の力強い女性たちはガルシア・マルケスを大人にさせるとともに、しばしば彼の無邪気で自由な創造力を抑圧した。だが祖父は幼かった彼を擁護してくれたのだった。

彼の祖父は逸脱した価値観を持ちながらも、孫を愛し、ガルシア=マルケスもそれを素直に受け取っていたのが窺える。だが、彼がよく祖父に連れられて遊んでいたのは、一方では祖母が夫の不倫行為を平和に防ぐためとの狙いがあったとも語られる。子どもと一緒ならば、――と祖母は自分の夫に孫を連れさせたのだった。幼かった彼は当時、祖母の狙いに気づきはしなかったが、どうやら平和な関係の水面下では緊張があったようだ。人間は誰しもが、良い面、好ましくない面があるものだが、それは女性たちにも祖父にも同様だったと言えるかもしれない。

一四一頁 “私はずっと、ペルーとの戦争とカタカの衰退とを関連づけて記憶していた”

一九三二年頃、ペルーの軍隊がコロンビアの最南端――アマゾン河畔の町レティシアを占拠した。民衆による政府への宝石供与や市民部隊の動員など国家全体を巻き込む激烈なものだったが、ペルーの軍事政権を支配するサンチェス・セッロ将軍が暗殺されるとともに両国の間には和平が成立し、戦争の情熱は忘れられていった。戦争のためにガルシア=マルケスの父母は結婚指輪を失った。

和平が成立して後、一族はガルシア=マルケスの父の故郷であるシンセに引っ越した。その頃、祖父が病気で亡くなった。祖父の死とともにガルシア=マルケスは自分の中の何かが一緒に死んだという。

一四五頁 “しかし私はその夜、自分で自分に固い制約を課した”

再び、アラカタカを巡る青年時代のガルシア=マルケスと彼の母の場面。帰りの列車の中で、またもや彼の進路の話題。だが、やはりガルシア=マルケスは作家にしかならないと母に伝える。この場にいない父に同様に伝えてほしいとも言った。

一四六頁 “当時の私の方法は、のちに職業的な作家として私が採用することになったものとは異なっていた。”

かつてガルシア=マルケスは、一反の巻物のような長い紙に一心不乱に書き進める創作をしていた。とめどなく溢れる水のように、たとえ洗練されていなくても構わず無我夢中にまずは書くという方法だった。考えながら書くのは、その後だった。

一五一頁 “私はあのころほど、あの町と、あの町に根づいた半ダースほどの友人たちと一体になっている感じがしたことはない。”

青年時代、ガルシア=マルケスの創作活動には互いに助言し合う仲間たちがいた。彼らはバランキーヤの書店や喫茶店に集まっては創作について話し合ったり、週刊誌の刊行のために協力し合ったりしていた。

アルフォンソ・フエンマヨールはガルシア・マルケスも記事を寄稿していた新聞『エル・エラルド』で、「その日の風」と題する世相のコラムを担当していた。彼は気ままかつ冗談好きだった。ヘルマン・バルガス・カンティーヨは夕刊紙『エル・ナシオナル』のコラムニストかつラジオアナウンサーだった、彼は非常に説得力のある批評家で、まだ知られていない作家を見つけ、それを世に広く発信することに情熱を燃やしていた。アルバロ・セベーダ・サムディオは短編小説家であり、教養のある映画評論家だった。彼は『エル・ナシオナル』で短編小説をいくつか発表していた。ホセ・フェリックス・フエンマヨールはアルフォンソの父で、グループの中で尊敬を集めていた人物。詩集や小説集を出版していて、批評家からは好評を得ていた。ドン・ラモン・ビニェスは対等な仲間というわけではない。集団の精神的支柱だったが、バルセローナへ旅立って別れる。ガルシア=マルケスは彼から助言を受けることがあった。

一六八頁 “「意識しておかなければならないのは、出来事はすでに起こっていて、人物はそれを回想するためにそこにいるだけだ、ということだ。したがって、書き手はふたつの時間を取り扱わなければいけないわけだ」”

ドン・ラモンからの助言。これは本書『生きて、語り伝える』の問題でもあるだろう。ガルシア=マルケスは自身にとっては、とても大事な創作技巧上の認識だと言う。

一七四頁 “私はしかし挫けなかった。”

ドン・ラモンが去った後、ガルシア=マルケスたちは『クロニカ』という芸術文化の週刊誌を創刊したものの、巷の関心であるサッカーニュースを取り上げたことで、読者にスポーツ誌と認識されてしまい、ついにその誤解を解くことはできなかった。だがガルシア=マルケスは母へ伝えた意志を曲げなかった。彼は作家になるという夢を諦めなかった。

思った事、考えた事


・ガルシア=マルケスは自身が「偽の記憶」を有していると語り、それは伝承が矛盾しているからだとする。その記述に私は違和感を覚え、どうしても心を寄せることができなかった。偽の記憶とは何だろう。単に史実と異なる記憶ならば、矛盾が併存する可能性はあるだろう。定められた正史に取りこぼされた伝承もあると考えられる。だが彼の語りによると、偽とは捏造の意に感じられ、異同が混じる複数の伝承を受容したことから、記憶を捏造している可能性を仄めかしている。それは言葉を穏便なものにすれば創作の意であるも、どちらにせよ事実と分別がつかないと言うのだ。私が問題だと思うのは、彼が、このナンセンスは自身の生い立ちや境遇に由来すると語っている点だ。これは自分の語りが自分の中にはないと言っていることに等しい。もっとも、これだけならば、自分は特別な人間ではないという意味で彼は歴史や記憶に素直で誠実なのだと思える。そういった環境を生きてきただけなのだと――。彼は自分の語りがナンセンスを含んでいると語りながら、それが自己演出であるとの解釈を否定することになる。ナンセンスな環境がガブリエルにナンセンスな語りをさせていると――。しかしながら同時にこれは自らの主体性を曖昧化する環境決定論のようにも思える。彼は自分の記憶が正確ではないと認めながら、そういう記憶を正確に物語ろうとする。曖昧にされているのは記憶参照の恣意性だ。どこからどこまでが事実か非事実かが自分でもわからないということに忠実になるわけではなく、自らの語る事実の不確かさの原因を全て環境に帰している。事実への配慮の文章が上辺の修辞と化している。

・作者は自らの家庭環境や境遇を、しばしば「狂った」、「偽」といった形容をして、常に相対視している。しかし否定的な語彙で相対化しつつも、それらを愛おしんでいるのが伝わってくる。個人の個性を家や土地、民族から切り離して捉える観点からすれば、ガルシア・マルケスの語り口は周囲を巻き込みながら自虐しているようなのだが、誇らしく思ってもいるのだろう。彼の立場は客観的、傍観的だが、当事者的でもある。懐かしい記憶を懐かしみながら伝えている。

・ガルシア・マルケスは自分の記憶を、因果を結ぶ物語として整理している。その中で彼の一族は国や地域の文化と歴史を象徴する役割を担っている。彼自身も土地や周囲の人物の影響によって人格を養成された。そして、そのことに忠実かつ意識的だ。登場する人物たちは彼の一部と化していて、作家としての彼の肉体を構成している。

・二章は一章と比較して、アドベンチャーのような読書とはならなかった。しかし、いまだガルシア=マルケスと彼の母との場面から連鎖するような流れで進んでいる。作家になることの是非をめぐる二人の対話から彼の仲間たちの話題や下積みが語られはじめた。コロンビアや一族が生きてきた歴史の話題も自身の作家としての宿命と結びつける箇所が多かったように思う。次の章はこの流れを引き継ぐのだろうか。


第三章へと続く――。