仕事で四国に出向くことの多い私も、なかなか観光する機会

は無く、この連休に思い切って奥方を連れて松山に出掛けて

みることにしました。現存12天守の魅力は凄まじきものがあ

ります。なんと言ってもホンモノです。

四国・愛媛の松山城 (matsuyamajo.jp)

戦災などで二の丸、三の丸など焼失した箇所も少な

くないようですが、この天守は築城当時のモノ。複雑

に入り組んだ造りで天守は3層 落雷で焼失し1854年

5層を3層に造り直したそう。

こういう、長年使い込んですり減ったところに痺れるのです。

松山城は馬喰から身を起こした創設者松山藩加藤嘉明公が四半

世紀をかけて築城しましたが、完成間近に会津に転封され、

1627年の完成を見なかったとか。完成したときには戦国時代は

終わっており、後年は徳川家直系の松平家が14代引き継いだ。

最後は幕末の松山藩は朝敵とされ、土佐藩兵が松山城を接収。

幸か不幸か戦いで城の本領を発揮することはなかったようです。

日本の城のお約束で階段は極めて急角度です。

よくこれで転落事故が起きないものだと見物客の混雑

ぶりを見てそう思います。自分も必死に手すりにしが

みつきながら登ります。

極太の梁 重機のないこの時代、釘も使わず

一本づつくみ上げる先人の知恵と技術に脱帽です。

二階の間 こちらも現代では絶対に使えないこの太い柱

の迫力に圧倒されます。ここがどう使われていたのか、

想像するだけで楽しくなります。

天守最上階から見る松山市内。

人口約50万人。住みたい田舎ランキングナンバー1の

この町は想像以上に大きく、整然とした町でした。

松山市駅上の観覧車から見た松山城

勝山上に君臨し、悠久の昔から領地を見下ろしてきたのでしょう。

お昼はあの「かどや」の鯛飯を堪能。

もともとは水軍が船上で火を使えないことからこうやって

掻き込んでいたものが伝わり、宇和地区の名物になってい

ったものだそうです。入り口で靴を脱ぐ料亭のような、綺

麗な造りで店員さんが下駄箱に収納してくれます。ぎょっ、

これは高いかと身構えましたが2千円を切る良心価格でした。

町の造り、名産品の洗練具合、そして食べ物と地域の都を

感じさせる品の良さがある街と感じました。ちょうど金沢

や仙台、そして城の構えは熊本に通ずるものがありますね。

皆さんも機会があれば是非どうぞ。

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