と聞いて、すぐにぴんときた方もいると思いますが、
まる?
なんで?
と思った方も多いはず。
まる。
描いてみるとなかなかおもしろく、
だんだん調子づいてきて、丸の、描きはじめを、
下にするか、左にするか、はたまた上にするか、、、
(右利きです)
時計回りか、反時計回りか、
なんて、いく通りも試してみたくなり、、、
なかなか味わい深いです。
直線や、曲線とは違って、
惰性では絶対に描けない。
禅寺特有の、一円相
悟りの形象として描く、とか
はじまりもおわりもない〇は、宇宙そのものを表す、とか
限りなく循環するので、欠けることのない絶対の真理を表す、とか。
芥川賞を受賞された小説家でもある、僧侶の
玄侑宗久さんが
「禅僧はなぜ〇を描くのか」
というコラムの中で、
・・・前略・・・
なぜ描くのか、というのも難しい質問だが、
意味づけとしては「無限低に大きなもの」ということだろうか。
何かと比較して大きいというのではない。
だから我々の「心」でもあり「命」でもある。
この〇から我々は出てきて、ここへ帰る。
・・・中略・・・
〇というのは、筆を置いた瞬間から一瞬たりとも惰性では進めない。
「思」という停滞を抱えてしまうと〇にならない。
絶えず変化しつづけるから気が抜けないのである。
いわば流動そのもの、「空」といってもいいだろう。
・・・後略・・・
とかいておられました。
う~ん、さすがの解説!
ところで、芥川賞って
私にとっては微妙な作品が多いのですが、、、
(理解力がないだけか?)
この、玄侑宗久さんの受賞作、「中陰の花」
はよかったです。
手ごろに、禅

