今朝。
朝一で、いきなり同僚から「vigoristさん、今日午前中何か予定ある?」。
「この前の方のお宅に、予防プラン作成のためのアセスメント目的で訪問するつもりですけど」
そう私が返答すると、
「9月からvigoristさんにお願いしたい方がいるから、同行してもらいたいんだけど。
取りあえずその方とアポを取ってもらって、できればこの後すぐにでも。
午前中しか行ける時間がないので」と言う。
早速連絡してみると、10時頃に来て欲しいとのこと。
「10時か・・・。微妙じゃなぁ。まぁちょっと顔見せだけでもええから、今から一緒に行ってもらってもいい?」
・・・断れる立場ではない。取りあえず行くことにする。
その方は70歳前後の男性。
だだっ広い家に独りで暮らしておられる。
要介護認定は既に更新され、サービス担当者会議も終えているが、
利用中のサービスの一つ(手すりのレンタル)が気に入らないらしく、「これは要らない、返す」と訴える。
同僚との押し問答がしばらく続くが一向に埒が明かず、
そうこうしているうちに10時が近づいてきたので、私は途中で退席させていただく。
後で聞いたところでは、その後もなかなか納得されず、
その話を同僚から聞いている最中にもその方から直接電話がかかってくるありさま。
同僚はレンタル事業所やご親族に電話をしては、対応に右往左往していた。
グッチャグチャだ。
ご本人の同意と納得を十分にいただかないうちに、サービスだけが先行している。
だからこういうことになる。要するにアセスメント不足だ。
そしてそのグッチャグチャも収拾できていないのに、しかも8月末のこの時期に、
9月から俺に丸投げするつもりなのか?
・・・つもりらしい。
「ここで僕に担当を変更するのは、どういう理由からですか?」と尋ねると、
「vigoristさんに少しずつケースを引き継いでもらおうという話だったので」。
またしても当の本人がいないところで、管理者と同僚の間だけでなされた話だ。
ちょっと待ってくれよと言いたい。・・・が、その言葉は呑み込んだ。
そりゃもちろん、これからどんどん担当ケースを増やしていかなければならないのは言うまでもない。
新規だろうと引き継ぎだろうと、受けること自体に何ら異存はない。
しかし今日のケースは一体何だ?
こんな状態で俺に丸投げして、後の収拾は俺がやるのか?
今日が全くの初対面で、それまでの経緯も何も知らない人間に丸投げするのか?
しかもいきなり来月から?
8月も残り1週間というこの時期に?
それは担当者として、あまりに無責任過ぎないか?
一番肝腎な「利用者」というピースが、完全に置き去りにされているではないか。
そうでなくとも来週は、予防プランの方のサービス担当者会議が4件予定されている。
こっちもこっちで、あんたらが考えているほど暇じゃない。
そんな中で肝腎のご本人が納得されていない内容のサービス利用票を作成し、訪問するのか?
無茶苦茶な話だ。
俺に振るのなら、少なくとも今のそのグッチャグチャを収拾させてからにして欲しいものだ。
当の同僚に、そういう考えが果たしてあるか否かは不明だが。
・・・多分ないな。
彼女は私より7歳ほど上。介護支援専門員としての経験は3年ほどと聞いている。
恐らくあまりに執拗に抵抗する利用者さんに閉口し、
「ベテランで経験豊富なvigoristに振ってしまおう」と思ったのだろう。
お粗末な話だ。
・・・さて、だったら実際に私が担当することになったらどうするか?
私だったら、ご本人がそこまでその手すりが気に入らない、要らないとおっしゃるのなら、返してしまう。
もちろん、前任者(あえてこう呼ばせてもらう)がどういう意図でこれをサービスに組み込んだか、
そして手すりがなくなることでどんなリスクが生じ得るかということを、十分にお伝えした上でだ。
この利用者さんは認知機能には全く問題はない。
リスクを十分にお伝えし、それでも「要らない」とおっしゃるのであれば、それが答えだ。
それが「利用者本位」であり、「自己決定の尊重」ではないか。
手すりがなくなったことにより転倒したとしても、それは自己責任。
あるいはそれでようやく手すりの必要性を再認識し、
今度こそ納得して利用していただけるかも知れない。
いささか失礼な言い方になるが、
この手の方は結局、実際に痛い目に遭わなければわからないのだから。
もちろん、手すりなしでも転倒することなく過ごせるのであれば、それが最高。
余分な出費も減らせるというものだ。
・・・それにしても、一体いつまでこんな風に振り回される日々が続くのだろう。
台風一過の晴天とは真逆に、俺の心中はいつまで経ってもスッキリしないままだ。
かき氷で頭と身体をクールダウンし、
整骨院で凝りまくった頸と肩をほぐしてもらって帰宅。
この土日は休みだ。
さて、来週は何が起きるのやら・・・。